大阪のタクシー

「もう、サミットは大阪で決まったようなもんですわぁーーーっ。」
「はぁ、そうですか、、。」
「そらそうですわ。なんや言うても、、(以下略)」

僕は、生まれた初めて降り立った大阪で、ものすごい勢いでしゃべり続ける運転手と一緒にタクシーに詰め込まれ、窓の外の渋滞をウンザリしながら眺めていた。

僕にとっては日本でサミットが開かれること、そしていくつかの地方都市がサミットの会場として誘致合戦を繰り広げていること自体が、ほぼ初耳に近かった。そいうえば、なんかのニュースでやっていたような、、。


「むこうには、どれぐらいで着きますかね?」

と尋ねると
「いや、そんなにかかりまへんで。どんなに混んでも、まぁ1,700円ぐらいですなぁ。それ以上は、ぜったい、いきまへん。まぁ、ようお客さんで、、(以下略)」

僕にとっては値段はどうでもよかったが(僕は所用時間が聞きたかったのだ)、まだまだ先は長いようだった。


新幹線や飛行機で通り過ぎたことはあったが、一度も歩いたことのない街、大阪。新大阪の駅を降り立ち、とりあえず今日の仕事先であるホテル・ニューオータニに向かおうと、タクシーに乗った。(電車の接続が、いまいち分からなかったのだ)

しかし、乗りこんでわずか10秒で、僕は大いに後悔することになった。このタクシーはハズレだ。
「きょうは、暑おまんなぁー。」

から始まった運転手のおしゃべりは、大阪府の中心街で日常的に発生している大渋滞に巻き込まれてから、ますます冴え渡った。50代半ばの白髪の運転 手は、まさに生粋の大阪人といった様子である。この運転手にとって、お客様にさまざまなおしゃべりを持ちかけることは、明らかに「サービス」の一環である らしかった。

東京から来た大阪は初めての、20代のサラリーマン。「サービス」したくてしょうがない運転手にとって、僕は全くのカモネギだった。

大阪のタクシー運転手というのは、みんなこうなのだろうか?ならば、このタクシーがハズレというよりも、タクシーに乗るという選択自体がハズレだったのかもしれない、、。(これ以降、僕は全日程電車で移動した)


結局、2000年のサミットは、沖縄県名護市で開催されることになった。(落選した都市の代表者からは、「あまりにも政治的な判断だ」という意見が見られたが、サミットの開催地選定が政治的でなくてどうするのだろう?)

僕はサミットの開催地に決まった名護に滞在したことがある。そこには、基地と、それにべったり依存して、今は寂れ疲弊しきった街があった。(繁華街 の外れに、「ジェイズ・バー」という看板を見つけ、おおいに盛り上がったりしたものの、その店も閉じられて久しいようだった。)

本土の政治に長年振り回され続けていながら、政治の力に頼らざる終えない現実が、名護にはある。


さて、大阪城公園にほど近い、ホテルニューオータニの車寄せに着いたとき、メーターの料金はとっくに 2,000円を越えていた。

それでも、「サービス」から解放された僕は、喜んで料金を払い、車を降りた。

オムライスを食べる

「昼飯に、オムライスを食べるっていうのは、いいことだよ」
と友人は言った。
その時、僕はジャックダニエルズの水割りを飲みながら、目の前の大振りなオムライスをつき崩していた。
「そうだな、言われてみれば、いいな」
と答えた。

真剣に考えたことはなかったが、昼飯にオムライスを食べる、というのは、確かにどう考えても好ましいことのように思える。


「オムライスを食いに行こう」
僕の誘いに、友人は別に反対しなかった。

一杯飲んだ後のオムライスが美味しいというのは、意外な発見だった。僕と友人は、二人でオムライスを食っていた。

この洋食屋は、僕が昼飯にオムライスを食べに、よく来る店だ。新宿のとある交差点の一角に建っている。深夜ということもあって、店内はガラガラだった。外の景色は、見慣れた昼間のオフィス街とは印象が違って、まるで別の街のようだった。

街から雑踏は消えていた。時折、車がやや速めのスピードで交差点を走り抜けていった。


「おまえの店にも、オムライスは絶対置けよ」
将来はバーを開きたい、学生の頃からそんなことを言っている友人に、僕は言った。
「ああ」
当然、といった風に、彼は答えた。

「バーで、オムライスを食うのは、カッコイイからな」
新宿の某所で出される、このオムライスは確かにうまい。

分厚い卵の衣が、とろっと半熟になって、ご飯全体を覆っている。オムライスには、何故か熱々の味噌汁がついていて、そいつをすすりながら、とろとろの卵衣とケチャップご飯を混ぜて食べるのである。


すっかり食べてしまって、酒も飲みほし、店を出ることにした。この店の会計は少し怪しい。レジがあるくせに、ちゃんと使っている気配が無い。計算は、いつもレジの傍らに置いた電卓でやっている。

会計を払って外に出た。交差点の反対側にある交番では、誰かが尋問されているようだった。新宿の夜の空気は、ちょうど良い涼しさで、気分が良かった。すり切れ気味のレコードから流れる、時代錯誤なワルツが、今出てきたばかりの店内からもれていた。
「この店気にいった」
友人が言った。

違和感(あるいは微笑ましさ)

ワインが、またブームだ。

僕は、ブームなものは苦手だ。お店で、店頭に並んでいるワインに、視線を注ぐのだって、恥ずかしい。「ああ、あの人もブームに流されちゃってる人なのね」と哀れまれるのではないかと思ってしまう。

だから、酒屋の店頭で季節モノのボジョレー・ヌーボーを買うなんてことは、できない。


でもたまたま、飲む機会に恵まれた(別にはやっているモノはキライではない)。

味がどうこう、というような話は、はっきりいって「ワカラン」というのが感想。やっぱり、物心つく前から、水代わりにワインを飲むような文化で育たないと、ワインの味なんてわかるものではないと思う。

日本人がワインを飲んで、あーだこーだ言っている風景というのは、それこそ、あちらの人々から見ればカリフォルニア巻きを食べながら、日本の詫び寂びをかたり合うフランス人のような違和感(あるいは微笑ましさ)があるに違いない。

でも、そういう風景が悪いのかというと、決してそんなことはない。細かいことはどうでもいいから、なんか飲んでみようよ、とか、そういう軽さはいいと思う。