鍋屋のランランの磁器

Photo: replica china 2009. Beijin, China, Sony α900, Carl Zeiss Planar T* 85mm/F1.4(ZA)

Photo: "china replica " 2009. Beijin, China, Sony α900, Carl Zeiss Planar T* 85mm/F1.4(ZA)

北京で鍋屋のランランが見せてくれた磁器。晩冬の北京の、弱々しい太陽に照らされている。

さる貴族が用いていた家財の一つだ、とランランは言っている様だったが、すり切れた敷物の上に重ねて置かれたそれらは、もちろん後代のレプリカだろう。しかし、逆にレプリカだからこその本物感というか、今の北京の日常の空気感、みたいなものを感じてしまう。


薄寒い部屋の中で、ランランはそうした、安っぽいレプリカを、一つ一つ一生懸命に説明してくれた。僕は、彼女が何を言っているのかさっぱり分からなかったが、その一つ一つを丁寧に写真に撮った。


去年の年賀状には、この写真を使った。最近は、年賀状を送ってくれた人にだけ、時間をかけて手作りで返すようにしている。

送った一人から「和で雅な感じ」という感想をもらって、そういえば、写真に何の注釈も説明も付けなかったことを思いだした。中国の焼き物が感じさせる和。

日本の焼き物の源流が、中国をルーツとしていることを、そのレプリカはちゃんと感じさせたと言うことなのか。

昭和の喫茶店とナポリタン

Photo: show case 2010. Kamakura, Japan, Sony α900, Carl Zeiss Planar T* 85mm/F1.4(ZA), cRAW

Photo: "show case" 2010. Kamakura, Japan, Sony α900, Carl Zeiss Planar T* 85mm/F1.4(ZA), cRAW

昭和は既に遠くなったか。でも、この鎌倉駅近くの、昭和テイストの喫茶店には客が引きも切らない。

そこに求めるのはアトラクションなのか。であれば、既にそれが日常ではなくなってしまったということか。昭和は既に遠くなった。


などと考えて、ふと見れば、下町であるところのうちの近所にも恐ろしく昭和な感じの喫茶店がある。

しかも、そこはアトラクションとしての昭和ではなくて、リアルの昭和がある。で、なんというか怖くて入れない。夏はレーコーが主力商品だろうし、禁煙でも分煙でもないだろうし、週間なんちゃらみたいな雑誌とスポーツ新聞が常備されているに違いない。


たまに通りかかると、近所のおじちゃん達が結構入っている。怖々看板を見てみると、モーニングとかやってる。個人経営の喫茶店でモーニングを食べたのは、名古屋で一度だけだし、名古屋でモーニングと言えば観光客にとっては十分アトラクションだ。やっぱり、トーストとゆで卵とブレンドみたいなセットなのだろうか。ちぎったレタスに、酸っぱいサウザンアイランドドレッシングがかかっているのだろうか。恐ろしい。

でも、ナポリタンみたいなものがあって、メロンソーダ的飲み物があるなら、日曜の午後にちょっと行ってみても良いかもしれない。週間新潮とか読みながら、ナポリタンを食べるのだ。やっぱりアトラクションだな。

食卓塩の瓶

Photo: table salt 2010. Kamakura, Japan, Sony α900, Carl Zeiss Planar T* 85mm/F1.4(ZA), cRAW

Photo: "table salt" 2010. Kamakura, Japan, Sony α900, Carl Zeiss Planar T* 85mm/F1.4(ZA), cRAW

食卓塩の瓶は、マスプロダクトのデザインとして完成されている。合理的で、効果的で、無駄がない。

例えば、ゲランド海塩の小さいサイズ(それでも食卓塩の倍はあるが)の紙とプラスチックでできたボトルは、あまり合理的とは言えない。簡単にこけるし、スライド式の開け口はいつも半開きになって、しょっちゅう湿気っている。

その食卓塩の瓶を、緩やかに捻る、ということを誰が考えついただろう。横に写っている味の素の瓶しかり。


僕は、既に完成されたデザインを、テコのように使って、別のものをつくってしまうことが、何かちょっとずるいなと思ってしまうし、どうしても否定的な目で見てしまうのだが、これは素直にやられた感じがする。

誰もが知っている記号がちょっとずれている感じ。キャンベルのスープ缶よりも、日本人にはこっちの方が馴染みがあるということもあると思う。