笑ってはいけない

笑ってはいけない、を見ている。もう、最近のは笑ってはいけない前に、笑えないけれど、豆絞り隊だけは見なくてはいけない。

少し前。すき焼きをつつきながら、シンガポール人と話していた。

「お前は、Japanese comic showを知っているか?」

と訊かれる。なんの事だろう?日本の有名なテレビというが、そんな名前の番組、知らない。


「Don’t laughだ」

ん?んん?それはもしかして、

「笑ってはいけない」

の事だろうか。笑うと、バットで殴られるやつ。そう、それか。そういうジャンルの番組って、ものすごく日本オリジナルらしい。あの笑いが分かるのか。でもって、Youは肉を生卵にからめて食べられるのか。

外国人と親しくなるのが、だいぶ苦手だったが、彼とはその後、けっこう仲良くなった。

砂漠の中のサターンロケット

Saturn V S-IVB

Photo: “Saturn V S-IVB” 2011. TX, U.S., Ricoh GR DIGITAL III, GR LENS F1.9/28.

サターンロケット。月に人類を運んだロケット。

開発者チームを率いたのは、あのV2ロケットを作ったウェルナー・フォン・ブラウン。

計画は道半ばで中止され、打ち上げられることのなかった機体が、NASAの巨大な倉庫に展示されている。まったく馬鹿馬鹿しい大きさ。背伸びして、その切り離し部分を覗きこむことができた。


中身は、メカメカしい。ボードコンピュータと、見たことのない規格のレセプタ。職人技の無数の配線。当時の技術の粋が結集されたのだな、と一目で分かる。この配線の塊が、人間を月まで運んだのか。

打ち捨てられたメカは、厚い埃をかぶっている。年月に凝り固まり、ラバーは劣化している。だが、もし電気を入れたら、眠りから覚めて動き出すかもしれない。そんなリアリティーが漂っていた。


国家の威信をかけたプロジェクトの成果は、今は砂漠の中の倉庫で眠っている。地上で飢える人を尻目に、ロケットを打ち上げる愚かさを、あるいは思うかもしれない。だが、埃をかぶって目前にあるこの機械には、この国が世界の覇権に向けて突き進んだ時代の空気が、まだ残っているように思えた。


本当は打ち上げられて、大気圏で燃え尽きる運命だった機械だ。

予算は確保されず、計画は道半ばでキャンセルされ、ロケットはここに有る。

船越気分で覗く

The raised aqueduct

Photo: “The raised aqueduct” 2013. Nanzen-ji, Kyoto, Richo GR.


様式美、というのはあって、実にそれを作り上げる努力というのは、並々ならないものがあるのだと、最近は思う。

ただのマンネリじゃねーか、という、そのマンネリを作る力というのは、バカにできない。様式美は合理性に勝つ。それって、凄いことだと、改めて思う。

この間、仕事で対談した「エバンジェリスト」みたいな人も、いったいそのテーマで、どれだけのことがいまさら言えるんだろう?と思っていたのだけれど、実際話してみると、すげぇな、と思ってしまった。職人が行き着くと、様式美になるのだ。

別に伝統芸能とか伝統工芸とかに限らない。それが、ITみたいなものであっても、何であっても。


京都南禅寺、水路閣。火サスに出てくる、あのシーン。絶対に見たことがあるはず。

船越が待ち合わせたり、追いかけたり、襲われたりする、例の水道橋だ。これが実際に行ってみると、南禅寺の一番奥まった場所にあって、たまたま行き着くような場所ではない。交通の便も良くないし、この場所へのアプローチは長い一本道だから、さぞかし尾行などもしづらいだろう。

ようは、ここで襲われたりする事は無いだろうし、待ち合わせるような場所でも無いのだ。しかし、絵にはなる。


ということで、ここで事件が展開する妥当性は、実際ところまったく無いのだけれど、京都ゆけむり殺人紀行の様式美としての水道橋は、絶対に必要なのだ。

ここに来たら、どうしたって、船越気分で覗くしかない。この現場に立った僕は、むしろ様式美に自分を合わせてしまうのだった。