攻殻機動隊論と羊ページ 30周年

Photo: "Keep Changing, Connect with Everything, Continue Forever." 2025.
Photo: “Keep Changing, Connect with Everything, Continue Forever.” 2025. Tokyo, Japan, Fujifilm X-Pro2, Fujifilm M Mount Adaptor + Carl Zeiss Biogon T*2,8/28 ZM

攻殻機動隊論、という本を書店で見つけた。少し中身を見てみると、分厚い文献リストが巻末に付いた、ちゃんとした「論」だった。Kindleも出ていたが、紙で買った。ちゃんと読みたいものは紙で買う、物質としての知識を手にすることが、贅沢のように思える。ビットとアトムの価値観が逆転してきている。

主人公、草薙素子の草薙が、日本の神話から来ていることに、僕はこの本を読むまで気がつかなかった。それを指摘されたときに、ぞわっとした。既に原作の設定年代を追い越した2026年の現時点でなお、攻殻機動隊原作が示した未来のビジョンが、古くなって居らず、むしろAIが台頭する未来が攻殻の世界に寄せてきているようにさえ思えるのは、作者の士郎正宗が設定した攻殻機動隊の世界が向いている方向が、数千年前に端を発する神話の領域から来ている事と、無関係では無い。


原作準拠の観点からは賛否両論あるとは言え、間違いなく未来社会のイメージに影響を与えた、映画Ghost in the shellが公開されたのが1995年。そこから30年が経過し、実際にビッグテックのネットが世界を覆い、国家や民族が大揺れしても消えてはいない。そんな時代を自分が生きていて、未だに攻殻機動隊の話をしている。

本の中では、戦後の日本に於いて、世界への理解や死生観といったものの議論に、哲学や宗教が応じることができず、サブカルチャーがそれを引き受けた、としている。そうなのだ、この30年続いているホームページが(blogなのかもしれないが)、結果として僕自身の信じるものや、人生観や、あるいは死生観といったものを反映しているとして、それは、サブカルの場を通して、表現されるというのは、まったく日本に於いては自然なこと。それで、全然良いのだ。


1996年に、自分でもホームページを作ってみよう、というあやふやな表現欲から、このページは始まった。最近思うのは、一周回って、最初の自分の興味・関心・楽しいこと、に戻ってきた気がする。30年の間に、こうして文章に書けたこと、この場所に載せられたことは、極々限られたことではあるのだけれど、読み返してみると、その時の自分にしか書けないことを書いていると思う。

そういう場を、思いつきで作った30年前の自分は、偉かったなと初めて思った。もし、引き続きこの場所を読みに来て頂ける方が居るのであれば、それは大変に嬉しい事だ。

ありがとうございます、これからもよろしく。

徳川最後の将軍、の弟と日記

Photo: “Closed unknown shops.”
Photo: “Closed unknown shops.” 2025. Chiba, Japan, Apple iPhone 14 Pro Max.

千葉県立美術館に隣接するポートパーク、夏場は凄い人出で、近づく気にならなかった。今は、人もまばら。アーティストトークの時間まで、暇を潰す。

丘の頂上のベンチも誰も居らず、背にかかる風は冷たく、ずっと文章を書いていられる気分では無い。家族連れの歓声が遙か遠くに聞こえていて、部活の練習だろうかジョギングの列が近くを通る。


選ばなかった未来は分からない、だから考えないにしても、徳川慶喜の弟昭武の日記には、全くもって今日起こった出来事しか書いていないという。そこには心情も、感想も、過去の回想も、未来の予想も無い。幕府の名代としてヨーロッパに滞在した徳川昭武は、日記と沢山の写真を残している。

撮影した写真の露出まで記録している彼は、しかし、徳川幕府が滅びたその時のことも、日記では特に触れていないという。逆に、日本人として、初めてココアを飲んだ記録が昭武の日記には残っている。実は、そんな記述にも、結構な価値があるのだと思う。

徳川幕府が滅びた後も、華族として不自由の無い生活を送っていたようではあるが、その胸中はどのようなものだったか。それは、一切残っていないのだと。


人生の残りはあと一万数千日。自由に出かけられるのは、数千日が良いところだろう。その目の前の一日をどう過ごすのか。自分の思い通りに、いつになった日々を送れるようになるのか。送れていた時期もあった気がする、いつのまにかどうにも出来なくなっていた。

華族として身分は保証されていた昭武も、実際には日記一つ自由では無かった。記録魔なのであれば、自分の心情を書き残したかったのでは無いか。あるいは、私小説のような概念は、当時無かったのかもしれない。生まれたときから将軍家の公人であり、「私」として何かを残す自由も、発想も無かったか。


高校生達が戻ってきた、ずっと同じ所を周回しているのか。日記は今しか書けない、昨日のことは書けない、明日のこともかけない。しかも、自分の今の気持ちを書けるようにしておくには、心のバッファが必要だ。

鳥がうるさいくらいに鳴いている。別に楽園では無いのだろう、縄張り争いだろうか。木々は紅葉が始まっている。あと何回、紅葉を見るのか。背に当たる風がいい加減冷たい。少し先まで歩いて海でも見るか。

今日の展覧会:オランダ×千葉 撮る、物語るーサラ・ファン・ライ&ダヴィット・ファン・デル・レーウ×清水裕貴

狩野尚信 山水図屏風

Photo: “Saru Machi Cafe.”
Photo: “Saru Machi Cafe.” 2025. Tokyo, Japan, Apple iPhone 14 Pro Max.

荏原 畠山美術館。入り口から建物を周りを囲む庭は立派で、そこまでなら無料。こんな場所に、こんな立派な私営の美術館がある、東京の文化資本の凄さ。

国宝も含む展示のクオリティはとても高いが、中でも狩野尚信「山水図屏風」(ざっくりな名称なのか?)の一双を、かなりの時間眺めていた。床几台に座って全体をボンヤリ眺めたり、最近買ったZeiss Mono 4X12T*(とても良い)で筆運びを見たり。


狩野尚信は狩野探幽の弟。探幽の名前は、多くの人が知っているから、それを軸に〜の弟とか、〜の孫とか言われるのは仕方ない。それは、後世の事だろうか?リアルタイムでは、どのように認識されていたのだろう。鍛治橋とか、浜町とか、現代の地理感覚でも認識できる、徒歩圏の狭い地域に江戸狩野派が住まっていた時代というのは、どんな感じだったのか。

くどくど解説が書いてあるわけでは無い。基本、自分で眺めて、自分で感じるしか無い。

画面全体が、水に満ちた構図というのは分かる。しかし、これが川なのか、湖なのか、海なのか。標高はどうなのだろう。水表の向こうから、太陽が昇りつつあるようにみえる。馬に乗った師匠と弟子が配される構図は、定番なのだろう。

立ちこめた朝霧の向こうから、岩礁が、やがて目に入ってくる。村の中には急流が流れている。とすれば、ここは山奥だろうか。しかし、水面は広く、彼方に船のマストが見える。これは漁船だろう、とすれば、カルデラ湖のようなものか、あるいは中国の険しい山中を想像して書いたのか。南宋画の世界観だろうか?

ずっと見ていると、日が昇りいろいろなものがカタチを持って見えてくる。音だけがしていた急流がカタチを持って現れ、それを渡ろうとする村人の生活が立ちあらあれてくる。向こうには、立派な寺院のような屋根が見える。遠くの峰も見えてくる。霧が晴れると一日がはじまっていく。そういう世界だろうか。分からない、が、正解も別に無いだろう、。

最近は、日本画が良いなと思う。自然に体の中に入ってくる感じがある。あるいは、小さい頃に祖父母の家で見ていた、古びたふすま絵の様子を、脳が想起しているのかもしれない。


ちなみに、併設のカフェでは、(タイミングによるのだろうけれど)凄く手の込んだケーキを食べられた。