沖縄で島と道路を間違える、そして天ぷら屋にたどり着く

Photo: "Sea side tempura shop."

Photo: “Sea side tempura shop.” 2023. Okinawa, Japan, Fujifilm X-Pro2, Fujifilm M Mount Adaptor + Carl Zeiss Biogon T*2,8/28 ZM

今さら、言えないが、多分間違っている。Youtuberが走っていた道路はこんなに広くなかった。中間地点に道の駅なんて無かった。今さら、言えないが。

海中道路に行こう、という話になったときに、僕は、ああYoutubeで見たヤツだと、とっさに思った。海の真ん中を通る道路は、海がとても綺麗で、確か橋を渡った先には有名な天ぷら屋が有るのだ。そんな話をして、それはいい、明日朝一でそこに向かおう、という話になった。
たけちよ倶楽部は、感心するような蘊蓄が沢山あって、法令を遵守する、なぜかずっと見てしまう系のチャンネルだ。)


違う道路の気がするんだよねー、とは言えないまま、ちょうど雲も晴れて皆のテンションは高い。オープンにしたビートルで、この海中道路はとても気持ちが良い。絶対こんな施設無かったと思いつつ、海の駅(海中道路だけに)で大袋に入ったワカメご飯の素も買えて、気分は良い。

島に渡ると、なんか見覚えのあるような外周道路になっている。(考えて見れば、島の周りを道路が通るなんて構造は、皆一緒なのだが)そうなると、反時計回りに島を行けば、名物の天ぷら屋があるのではないか?そんな気になった。よし行こう!という事になってどんどん進むと、ああ、確かに天ぷら屋がある。大人気、という事でも無いがオフシーズンで平日だからこんなものか。


直ぐ近くの海を眺めながら、食事をとれるスペースがたっぷりある。夏場は、きっとここが埋まるのだろう。奥の券売機で食券を買うのだが、注文したいデラックスみたいな盛り合わせは券売機に無くて、金額が揃うように適当に他の券を買って、という事だった。ボタンが足りないわけでも無さそうなのだが、そんなあたりがいかにもで良い。

他に客が居ないこともあって、天ぷらは揚げたてが出てきた。白身の魚、烏賊、もずくが一人1つずつ。それを、卓上の醤油やソースで食べる。フカッとした食感がウスターソースに合う。改めて、専門の店で天ぷらを食べたのは初めてかもしれない。天ぷらと言っても、本土とは違うフリッターに近い衣の、ご飯とおやつの中間みたいな食べものだ。

同行の二人は、帰りがけに塩蔵もずくをキロで買っていた。大将は、塩抜きのための塩(呼び塩?)をくれたり、何を言っているのか、方言がきつすぎていまいち分からなかったのではあるが、良い人である事は間違いない。帰り道にある御嶽の場所を、教えもらった。(仰せの内容はほぼ理解出来ず、だいたいの方角だけをたよりに場所を見つけた)


ところで、後で調べてみると、Youtuberが行っていたのは古宇利島という、北部の方にある離島だった。しかし、島を間違えたのに、都合良く天ぷら屋があった。それは、単なる偶然なのだが。いずれにしても、古宇利島は位置関係から言っても、朝のうちに到達することは無理で、行けたとしても午後の雨の中の訪問になったろう。そう思えば、海中道路の方に行ったのは、運が良かったとも言える。ちなみに、元々の天ぷら屋は、奥武島という南部の方の小さな離島にあり、我々が行ったのとは全然違う店だった。

偶然、みたいなものが、旅をつくる。

 

春節

Photo: "Tokyo Tower."

Photo: “Tokyo Tower.” 2017. Tokyo, Japan, Fujifilm X-Pro2, Fujinon XF23mm F1.4 R

日本は、今頃お祝いかな?

スウェーデン人から、あまり要領を得ないLINEが来る。お祝い?何のことだろう。そうか、春節みたいなもののことを言っているのか。いや、日本はあまり祝わない。スウェーデン人の誤解だ。確かに、割と多くのアジア圏で、旧正月は祝われる。過去への決別というか、執着の無さという点で、アジアの中でも、現代の日本はやっぱりちょっと違っている。


夜、集まりが終わって坂道を少し歩く。土地勘が無いので、家の方向に行っているのか、とんでもなく外れているのか、よく分からない。それでも気分良く歩ける。よく後輩と、何キロも意味も無く夜の道を歩いた。こんな冬の終わりみたいな時期も、歩いた。寒すぎて、ドンキでパーカーを買ったりした。

今日は、一人で歩いている。際限なく歩くわけにも行かないので、信号待ちをしていたイカツい漆黒のホンダの個人タクシーに、手を挙げた。


「今日は、陽気が良いですから、人が多いですね」

初老、と言って良い運転手は、気さくに話しかけてきた。この仕事は一期一会だから、お客には必ず一言話しかけることにしている、と、元自衛官の運転手は言っていたな。そんな事を思い出す。彼も、今では某区のタクシー協会の理事になってしまっている。最近連絡したら、理事はあまりタクシーには乗らないらしい。

少し乗って、突然

「今日は東京タワー見られました?」

と訊いてくる。いや、今日は東京タワーを見てない。日々のほとんどは、東京タワーは見ない生活だ。

「春節でね、今日は真っ赤になっているんですよ」

そう言って、1分も経たずに、ビルの谷間からちらりとタワーが見えた。予想と違って、全体が赤いのでは無くて、大きな赤い斑点が、タワーの輪郭を浮かび上がらせていた。

そうか、中国正月か。台湾華語でも勉強するか。

万年筆、再び

お礼状、という仕来りが世間にはあるそうだ。アシスタントが、名前の部分だけを空欄にして、端正に印刷された礼状を机に並べる。

「こちらに、お名前をお願いします。」

「万年筆とか無いんですけど、ボールペンでいいですかね。。」

「、、いいと思います。。」

まぁ、良くは無いのだろう。だが、持っていないものは仕方ない。書き損じを考慮して、練習用の紙も用意されているのは助かる。手書き文字なんて、ちょっとした走り書きしかしないのだ。

言うまでも無く、僕は中学の時から、文章を書くのは基本的にキーボードを使ってきた。そういう時代が来ると思ったから、どちらかと言えば、努力してキーボードを使うようにしてきたし、Palmの時代から、記録はガジェットに入れるようにしてきた。

それが、手書きのぬくもりだの、メモの大事さだの、改めての手書き礼賛みたいなのはどうなんだ。万年筆はずいぶん昔に1本買ったのだけれど、案の定使い道も無く、インクが固まって、どこかにやってしまった。


しかし、今回の件でさすがに反省して、もう署名だけの用途と割り切り、万年筆を物色。一瞬、YouTubeのレコメンドが文具チャンネルだらけになる。とはいえ、文具愛好家界隈のようなキモチにはどうしてもなれないので、必然的に何か一ひねりあるものを探す。

結局パイロットが出している、キャップレスのノック式万年筆、というものにしてみた。キャップがいらない、というのは画期的。一見するとボールペンみたいで、ロープロファイルというか、全然高価そうに見えないのもいい。ちょっとだけ青っぽい色のインク「月夜」を、もう見栄を張らずにカートリッジで買ってしまう。

日本の文具の技術は世界最高水準、とはいえ、ほんの一週間程使わないだけでペン先は乾いてしまう。インクも思わぬタイミングで切れる。しかし、元が不便なものだと割り切って常用を諦めれば、そんなに悪くない。それに、落書きの楽しさというのに目覚めた。そう、電子的なものでは、なかなかできないのが、落書き。マウスでは落書きは出来ないし、タブレットを用意して落書きをするというのちょっと違うのだ。