楽しい楽しいディズニーランド、の向こう側

Photo: カリフォルニア、、なわけねーだろ 2004. Maihama, Contax Tvs Digital, Carl Zeiss Vario Sonnar T* F2.8-4.8/35mm-105.

Photo: “カリフォルニア、、なわけねーだろ” 2004. Maihama, Contax Tvs Digital, Carl Zeiss Vario Sonnar T* F2.8-4.8/35mm-105.

楽しい楽しいディズニーランド、の向こう側には茫洋とした海が広がっている。薄汚れた川砂を敷いた埃っぽい偽の大地、埋め立て地特有の直線的な海岸 線が続いている。赤黒い夕日を背に、無理矢理植樹されたパームツリーが揺れている。このスカスカ感、どこかサンノゼの裏通りに似ている。


なんで俺はこんな場所に、スーツ姿で立っているのか。ディスニーランドと東京湾の間に、いくつものホテルが建ち並ぶリゾートエリアがある。なんで、 こんな場所でプライベートショウをやるのか。海辺の高級リゾートホテルの午後、という野望は、ミッキー型の窓をしたバスが走り回る光景を目にした瞬間に崩れ落ちた。ここは、完全に奴らのテリトリーだ。ホテルのロビーでは、ガキが走り回り、芝生が気持ち良い庭ではヤンキー風のカップルが結婚式の下見をしてい る。なんてことだ、ここはリゾートなんかじゃない、ファミリー地獄だ。

俺は、ミッキーマウスが全面にあしらわれたモノレールに乗って(パスネットが使える)、ここにやって来た。乗りたかったからではない、乗らないと目的地に行けないからだ。よくよく言っておくが、俺はミッキーマウスやミッキーマウス的なものは大嫌いだ。虚ろな視線で見上げると、つり革もミッキー。やはりか。背広姿の男が、怪しくカメラを取り出して、ミッキーの形をしたつり革を撮っている時も、車掌に扮したテロ対策の警備員は邪魔をしなかった。むしろ、 見切れないようにどいてくれた。さすがディズニーランド。


それにしても、背広で来て本当に良かった。大の男二人が、いかにも観光然として私服で歩くには、このディズニーランドという場所は切実に厳しすぎる。展示会が終わり、各々が家路につく頃、ディズニーランドはお子様達の時間から、お子様趣味をひきずった大人達の時間に様変わりする。

帰路、高輝度LEDの星がまたたく、ロマンティックな夜のイクスピアリを当然のように素通りした我々は、あえて舞浜駅のNEWDAYS(駅コンビニ) でディズニー絵本のおいやげ(くまのプーさん)を購入し、家路についた。二度と、こんな面子で来ることが無いように祈りながら。


注:実はユーロディズニーにも行ったことがあったりする訳だが、、。

「旅を感じさせる本特集」

Photo: ぐー 2004. Tokyo, Contax Tvs Digital, Carl Zeiss Vario Sonnar T* F2.8-4.8/35mm-105.

Photo: “ぐー” 2004. Tokyo, Contax Tvs Digital, Carl Zeiss Vario Sonnar T* F2.8-4.8/35mm-105.

飛行機の座席には、たいてい幾つかの読み物が入っている。脱出経路のガイド、通販カタログ、そして機内誌。僕は機内誌が好きで、いつも楽しく読んでいる。なんといっても、内容の無いのが良い。

その特集記事に「旅を感じさせる本特集」というのがあった。旅をテーマにした、本のリスト。何冊か、自分が読んだことがあり、かつけっこう面白いと 思った本が入っている。それなら、これを真に受けて、リストにあるものを片っ端から買ってみるのはどうか。Web で検索をかけて、どんどんカートに放り込む。自分では絶対に買わないだろうな、と思う本もある。でも、全部買って読んでみよう。


最初に読んだのはアイザック・ディーネセンの「アフリカの日々」。まずこの本、高い。2,500円。(高くないか、、)しかも帯には映画「愛と哀しみの果て」の原作などと書いてあって、自分で撰んだらまず買わない。

私はアフリカに農園を持っていた。ンコング丘陵のふもとに、この高地の百マイル北を赤道が横切り、農園は海抜六千フィートを越える位置にあった。昼間は太陽の近くまで高く登ったような気がするが、明けがたと夕暮れは涼しくやすらかで、そして夜は冷えびえとしていた。*1

これはアフリカでコーヒー農園を開いたある女性の手記なのだが、そこで描写されるアフリカの景色というのは、良くも悪くも僕が今まで持っていたアフ リカという場所に対する印象を根底から覆した。強い太陽と、強い自然、そして匂い。正確で、かつ優しい文章で、自分の全然知らない世界のことを読む、本の凄くベーシックな楽しみを思い出した。コーヒー農園の朝って素敵そうだ。


続いて、永井荷風の「摘録 断腸亭日乗」。これは永井荷風の日記。しかも、文語調だ。これもまず自分では買わない、受験でもないのに文語の本は買わない。

正月元日。快晴。九時頃に夢より覚めたり。直ぐに枕頭の瓦斯炉に火を点じショコラを煮る。これを啜って朝餉に代わること、築地僑居以来十年間変わることなし。諒闇中年賀の郵便物少なきは最も喜ぶべし。終日門巷蕭条として追羽子の響も聞こえず日は早く暮れたり。山形ほてる食堂に赴き独り晩餐をなす。*2

読み始めて分かったが、文語というのは、思った以上に直ぐ慣れる。そして、口語には無い、美しい響きが新鮮。美しく生きる日本人、東京が美しかった時代。そういう空気が、染みこんでくる。そして、戦争の嫌な空気、老いに向かう男の姿。日記というものを、文学として読んだのは、多分この本が初めて。今は、web日記というジャンルがあって、笑われるかもしれないけれど、僕はこれを読んでいて、似たようなもんだなと思った。


3冊目も日記だ。「『地獄の黙示録』撮影全記録」。本の装丁はかなりインパクトがあるというか、うすっぺらいというか。濁った沼から、マーチン・シーンがぬっと顔を出しているスチール。店頭で見たら、まず買わない。

五月二十日、マニラ 嵐はさらに激しくなってきた、一階に浸水してきた。何カ所かカーペットが浮き上がって見えるのは、パッドとの間に水が入り込んでいるからだ。子供たちはウォーターベットみたいだと言って、ぴょんぴょん飛び跳ねている。*3

タイトルの通り、フランシス・コッポラの妻エレノア・コッポラが映画、「地獄の黙示録」の撮影に同行した時の日記。最初、ただの金持ちの嫁の不平不満日記か、というような感想。当時、コッポラは既に成功した映画監督であり、セレブレティーであり、十分に裕福だった。ジャングルの真ん中で、エアコンが無いとか、ビールが冷えないとか、このわがままヤンキーが。でも、あまりにも有名になっていく夫と自分の関係、映画のための莫大な資金調達のリスク、そして家族を守ること。そういう非常に個人的な葛藤が、ありのままに書かれていて、好感が持てた。天才の側(そば)に居るというのが、どんなことなのかと。そういえば、「地獄の黙示録」を初めて見た時、これは戦争映画とは違うものだ、と思った。この本を読んで改めて、その印象が正しかったと感じる。このあいだ 再編集された「特別完全版」を見直して、今日でも通用するそのクオリティーに目を見張った。というか、むしろ今はもう撮れない類の映画だろう。黒沢の 「乱」のように。


その他、ケルアックの「路上」(アメリカ横断の話)、星野道夫の「ノーザンライツ」(アラスカの話)なんかも読んだ。「路上」は翻訳のせいかちょっと読みにくいが何とか最後まで読む。「ノーザンライツ」には、反則だろと思うような綺麗な写真が載っている。

リストにあったうち、何冊かはまったく合わなくて放り出した。気が付くと最後まで読んだのは、ほとんど回想録と日記。人生は旅、というわけでもないだろうけれど、旅と日々を淡々と書いたその数冊はどれも、今の僕には良い気分で読めるものだった。人は、なかなか他人のセレクションを信用したりしないものだけど、たまには当たることもある。


*1 アフリカの日々、アイザック・ディーネセン、横山貞子訳、晶文社 1891年, p11
*2 摘録 断腸亭日乗(上)、永井荷風、岩波文庫 1987年, p135
*3 『地獄の黙示録』撮影全記録、エレノア・コッポラ、岡山徹訳、小学館文庫 2002年, p89

定食屋

Photo: 副都心のあたり 2004. Tokyo, Contax Tvs Digital, Carl Zeiss Vario Sonnar T* F2.8-4.8/35mm-105.

Photo: "副都心のあたり" 2004. Tokyo, Contax Tvs Digital, Carl Zeiss Vario Sonnar T* F2.8-4.8/35mm-105.

久しぶりに乗った、ある個人タクシーの運転手と、ずっと話をする。都心の個人タクシーの運転手には珍しく、彼はグループに入らない、一匹狼だ。

「つるんでお客さんをまわしあうのは、嫌いなんです」

ちょっと変わってる。


決まったお客も取らないんだという。いつも、街を流している。

「いままで、ずっと乗って頂いたお客さんは 3人しかいないんです」

どうやら、僕は、その 3人目らしい。(でも、めったに乗らないけど)彼が乗せた数少ない「決まった人々」は、皆、出世したそうだ。残念ながら、いつも出世なんかしたくない、と言っている僕が乗ってしまうのはどうかな。

「あんまり偉くなってしまうと、運転手が付いちゃうんで、乗って頂けないんですけどね」

元々は自衛官をしていたらしい。年齢と、個人タクシーになるための資格制限を考えると、最短で個人になったぐらいだと思う。物腰は柔らかく、口ひげと洒落た眼鏡で、タクシーに乗っていなければ何かのショップのオーナーみたいに見える。


乗っている限られた時間、お互いが考えているいろんなことを話す。年齢も、職業も、バックグラウンドも、なにもかもが違う、その時間だけの関係。
「日本は、どんどん悪い方向に行っているような気がするんです」
「そうですね、そう思います」

どちらが言い出した訳でもないが、なんとなく息の詰まるような、嫌な世相。景気が悪い、とかそういうんではなくて、もっと不自由で、不幸な時代の予感。そんな空気への認識を、ふと共感したりもする。


そういえば、出会ってしばらくたった頃、

「学生相手のね、定食屋をやりたいんですよ」

なんてことを言っていた。人にご飯を作って食べさせるのは、確かに、幸せそうな仕事だと思う。(大変だろうけど)盛りのいい、学生向けの定食屋。良さそうだ。それなら僕にも考えがある。

「僕はパン屋がいいなぁ」

と言うと、妙に喜んだ。

「やっぱり、xx さんはちょっと変わってますよ」

あんたに言われたかぁないが。