新幹線の崎陽軒

Photo: "Shiumai bento box."

Photo: “Not-Shiumai bento box.” 2006. Osaka, Japan, Zeiss Ikon, Carl Zeiss Biogon T* 2.8/28(ZM), Kodak 400TX.

古い写真を発掘すると言って、1枚目がシウマイ弁当かよと言う話だが、新幹線の崎陽軒というのはなんとも堪えられないものがある。

それに、滅多に飲まないのだけれど、サイダーは好きだ。

14年前の写真だけれど、シウマイ弁当の完成され切った組み合わせは、今も何も変わらない。

来年の目標は、台北に進出したと言う、崎陽軒シウマイ弁当を食べること、だな。


、、なんて書いていて、なんか違和感を感じたのだが、これシウマイ弁当じゃないな。仕切りが違うし、シウマイ弁当にバランなんて入ってない。

単なる謎の弁当と、サイダーの写真だった。

歴史の踏み絵

Photo: “Nathan Road 2”

Photo: “Nathan Road 2” 2011. Hong Kong, Apple iPhone 3GS, F2.8/37.

あの事件の翌日のテレカン、香港から参加した人も居た。もちろん政治的なトピックは話されない。しかし、彼はその日どんな思いで朝を過ごし、その場に臨んだのだろう。


香港の国安法の一件は、現代国際社会の踏み絵になるかもしれない。歴史の流れの中に居る人間が、その歴史的事実にどんな態度を取るのか。1930年代のヨーロッパで、誰が悪にNoと言えたのか。同じ事が、突きつけられている。

歴史の流れの中に身を置いたとき、正しく自らを処するのはいかに難しい事だろう。一体、どんな信念や、教育や、経験が、それを助けてくれるのか。歴史の知識か、直感か、勇気か。

英会話の先生は、”Hindsight is 20/20.”だと言っていた。


大学時代、ゼミの研究で在日米軍の基地を見に行ったことが有る。敷地の境界を越えた瞬間、警備員がすかさず寄ってきて恫喝された。その時、生徒を差し置いて、自分が真っ先に逃げた反戦平和を研究し生業にする助教授の姿を、僕は今でも忘れていない。(だから、僕はそういう人達を容易には信用する気にはならない)

一方で、別の(こちらは実に尊敬に値する)先生が言っていた「中国は、歴史上、一度たりとも民主主義を体験したことが無い国なんです(つまり易々と民主化はしない)」という言葉は忘れがたい。丁度、天安門事件から数年が過ぎ、ソ連は崩壊し、結局は中国も民主化に向かうのではないか、と多くの人が思っていた頃の話だ。そこから、20年あまりを経て、まさに先生の言ったとおりの事になっている。

瞑想(MINISOではなく)

Photo: "Early summer reflection."

Photo: “Early summer reflection.” 2018. Kagawa, Japan, Fujifilm X-Pro2, Fujifilm M Mount Adaptor + Carl Zeiss Biogon T*2,8/28 ZM

瞑想をきちんと始めてから、というか習慣として継続するようになってから2ヶ月半。結構前から、瞑想をちゃんとやりたい、という思いはあった。何冊か、本も読んだ。元々、Steve Jobsの本をきっかけにして、IT業界に入ったのだ。今思えば、多分その本の中にあった、ガランとした部屋にマットレスだけを置いて、瞑想するJobsの様子というのが、ずっと頭の隅にはあった。

転機になったのは、COVID-19での在宅勤務の長期化と、Relax Meditationアプリが良く出来ていた事だ。それっぽい背景音と共に、リラックスを誘う声色のガイダンスが流れる、言ってみれば良くあるタイプのアプリなのだが、背景音とコンテンツの大半で使われている女性の声のクオリティが抜きん出ている。


Habitifyに管理されつつ、Relax Meditationを使い続けて、そして75日。最近目に見える変化を感じる。小学校の頃の事など、完全に記憶の蓋が閉じていたものが、ポツリポツリと浮かび上がってくるようになった。そして、その意味づけを改めて今日の価値観で行い、複雑な思いはあるものの、大抵は許せる気分というか。いや許せないが、少なくともそれが自分の責任では無い事に気づき、確認し、整理されるプロセスが始まっている気がする。


在宅、デジタルでだけ働く。つまり、いくらでも内省する時間が有る特殊な環境と合わさって、そういう効果が何倍も早く進む。自分が、今までよりも、より客観的に生きている気がする。自分の中身が時間に逆行し、何かが取り戻され、変わっていく気がするのだ。大事なのは、それが何かのサプリとか、何かの教義とか、誰かの影響で起こっている訳では無いことだ。大人は、自分のご機嫌は自分で取るべきだ、と言うけれど、そういう事にも良いと思う。

こういうものを、マインドフルネスと呼んだりする人も居るのだろう。好きに呼べば良いと思うが。