「旅を感じさせる本特集」

Photo: ぐー 2004. Tokyo, Contax Tvs Digital, Carl Zeiss Vario Sonnar T* F2.8-4.8/35mm-105.

Photo: “ぐー” 2004. Tokyo, Contax Tvs Digital, Carl Zeiss Vario Sonnar T* F2.8-4.8/35mm-105.

飛行機の座席には、たいてい幾つかの読み物が入っている。脱出経路のガイド、通販カタログ、そして機内誌。僕は機内誌が好きで、いつも楽しく読んでいる。なんといっても、内容の無いのが良い。

その特集記事に「旅を感じさせる本特集」というのがあった。旅をテーマにした、本のリスト。何冊か、自分が読んだことがあり、かつけっこう面白いと 思った本が入っている。それなら、これを真に受けて、リストにあるものを片っ端から買ってみるのはどうか。Web で検索をかけて、どんどんカートに放り込む。自分では絶対に買わないだろうな、と思う本もある。でも、全部買って読んでみよう。


最初に読んだのはアイザック・ディーネセンの「アフリカの日々」。まずこの本、高い。2,500円。(高くないか、、)しかも帯には映画「愛と哀しみの果て」の原作などと書いてあって、自分で撰んだらまず買わない。

私はアフリカに農園を持っていた。ンコング丘陵のふもとに、この高地の百マイル北を赤道が横切り、農園は海抜六千フィートを越える位置にあった。昼間は太陽の近くまで高く登ったような気がするが、明けがたと夕暮れは涼しくやすらかで、そして夜は冷えびえとしていた。*1

これはアフリカでコーヒー農園を開いたある女性の手記なのだが、そこで描写されるアフリカの景色というのは、良くも悪くも僕が今まで持っていたアフ リカという場所に対する印象を根底から覆した。強い太陽と、強い自然、そして匂い。正確で、かつ優しい文章で、自分の全然知らない世界のことを読む、本の凄くベーシックな楽しみを思い出した。コーヒー農園の朝って素敵そうだ。


続いて、永井荷風の「摘録 断腸亭日乗」。これは永井荷風の日記。しかも、文語調だ。これもまず自分では買わない、受験でもないのに文語の本は買わない。

正月元日。快晴。九時頃に夢より覚めたり。直ぐに枕頭の瓦斯炉に火を点じショコラを煮る。これを啜って朝餉に代わること、築地僑居以来十年間変わることなし。諒闇中年賀の郵便物少なきは最も喜ぶべし。終日門巷蕭条として追羽子の響も聞こえず日は早く暮れたり。山形ほてる食堂に赴き独り晩餐をなす。*2

読み始めて分かったが、文語というのは、思った以上に直ぐ慣れる。そして、口語には無い、美しい響きが新鮮。美しく生きる日本人、東京が美しかった時代。そういう空気が、染みこんでくる。そして、戦争の嫌な空気、老いに向かう男の姿。日記というものを、文学として読んだのは、多分この本が初めて。今は、web日記というジャンルがあって、笑われるかもしれないけれど、僕はこれを読んでいて、似たようなもんだなと思った。


3冊目も日記だ。「『地獄の黙示録』撮影全記録」。本の装丁はかなりインパクトがあるというか、うすっぺらいというか。濁った沼から、マーチン・シーンがぬっと顔を出しているスチール。店頭で見たら、まず買わない。

五月二十日、マニラ 嵐はさらに激しくなってきた、一階に浸水してきた。何カ所かカーペットが浮き上がって見えるのは、パッドとの間に水が入り込んでいるからだ。子供たちはウォーターベットみたいだと言って、ぴょんぴょん飛び跳ねている。*3

タイトルの通り、フランシス・コッポラの妻エレノア・コッポラが映画、「地獄の黙示録」の撮影に同行した時の日記。最初、ただの金持ちの嫁の不平不満日記か、というような感想。当時、コッポラは既に成功した映画監督であり、セレブレティーであり、十分に裕福だった。ジャングルの真ん中で、エアコンが無いとか、ビールが冷えないとか、このわがままヤンキーが。でも、あまりにも有名になっていく夫と自分の関係、映画のための莫大な資金調達のリスク、そして家族を守ること。そういう非常に個人的な葛藤が、ありのままに書かれていて、好感が持てた。天才の側(そば)に居るというのが、どんなことなのかと。そういえば、「地獄の黙示録」を初めて見た時、これは戦争映画とは違うものだ、と思った。この本を読んで改めて、その印象が正しかったと感じる。このあいだ 再編集された「特別完全版」を見直して、今日でも通用するそのクオリティーに目を見張った。というか、むしろ今はもう撮れない類の映画だろう。黒沢の 「乱」のように。


その他、ケルアックの「路上」(アメリカ横断の話)、星野道夫の「ノーザンライツ」(アラスカの話)なんかも読んだ。「路上」は翻訳のせいかちょっと読みにくいが何とか最後まで読む。「ノーザンライツ」には、反則だろと思うような綺麗な写真が載っている。

リストにあったうち、何冊かはまったく合わなくて放り出した。気が付くと最後まで読んだのは、ほとんど回想録と日記。人生は旅、というわけでもないだろうけれど、旅と日々を淡々と書いたその数冊はどれも、今の僕には良い気分で読めるものだった。人は、なかなか他人のセレクションを信用したりしないものだけど、たまには当たることもある。


*1 アフリカの日々、アイザック・ディーネセン、横山貞子訳、晶文社 1891年, p11
*2 摘録 断腸亭日乗(上)、永井荷風、岩波文庫 1987年, p135
*3 『地獄の黙示録』撮影全記録、エレノア・コッポラ、岡山徹訳、小学館文庫 2002年, p89

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