おっさんとコーヒー

おっさんというのは、実によくコーヒーを飲む。社会人ならコーヒーだろって感じだ。仕事で一息入れるときは、絶対コーヒー。客先に行っても、出てく る飲み物はたいていコーヒー。自分の会社にお客を呼んでも、うちのセクレタリが出すのは、コーヒー。サラリーマンが群れる喫茶店のランチに付いてくるのも コーヒー、会社のベンディングマシンで一番種類が充実しているのもコーヒー。今日は気分を変えて、、、じゃあ、アイスコーヒー。

コーヒー、コーヒー、コーヒー、、。

でも、僕はコーヒーがキライなのだ。


飲めないわけではない。例えば、イタリア料理をちゃんと食べたら、ちゃんとエスプレッソを注文する。おやつに甘いチョコレートケーキがあったら、一 緒に飲むのはコーヒーがいいと思う。コーヒーを、ある種の状況の演出として、飲むことは好きだ。しかし、わざわざ、好んで飲むものではない。まして、 あー、なんかコーヒーが飲みたい、なんて気分になったことは無い。何が美味いのだ?あれは。

お茶は好きだ。緑茶でも、紅茶でも、プーアル茶でも、なんでも飲む。韓国に行った時は、朝鮮人参茶を好んで飲んでいた。最近、韓国から現地のマネージャーが来たときに、お土産に懐かしい朝鮮人参茶を持って来た。部では飲む人が誰もいないので、ほとんど僕一人で、1箱飲んでしまった。こういう時は、お茶好きが有利なわけだが(朝鮮人参茶というのは、高いらしい。そういえば、なんか木箱に入ってたし、、)、一般的に言えば肩身が狭い。日本のビジネスパーソンはコーヒーがお好きだ。日本社会においては、コーヒーが圧倒的優位を保っているのだ。

しかし、ホントか?


会社の近所に、なかなか美味しいイタリア料理の店があって、そこのランチでは食後の飲み物を選ぶことができる。この前、7人で行ったときは、3人コーヒーで4人が紅茶だった。おや?

よくよく聞いてみると「コーヒーは最近胃にしみるから」「コーヒー、キライなんです。マジで寝れなくなるし」「今日はお茶」と、まちまちなご意見で はあったが、コーヒー嫌いは確かにいた。しかも、かなりの確率で。この例に限らず、コーヒーはそんなに好きじゃないって人は、実は結構いるみたいなのだ。

しかし、世間の「とりあえずコーヒー」的な風潮によって、コーヒー好きじゃない派の嗜好は、日々虐げられている。

確かに、とりあえずコーヒー、にしておけば面倒はない。毎日、飯や休憩の時に、こまめに飲むようにすれば、墨みたいな味にも慣れるだろう。そして、 いつの日にか、コーヒーの虜になる日が来るのかもしれない。そして、気がつけば、タバコにコーヒーに日刊ゲンダイ、なんていうオヤジの金字塔みたいな人になっているのだ。

それって、イヤだ。

そういう恥ずかしい態度は、きっぱりやめていただきたい

名古屋からの出張の帰り、間違って「こだま」の指定席を買ってしまった。

別に、変更できないというわけでもないが、こんな機会でもなければ各駅停車の新幹線に乗ることなどないだろうから、そのまま「こだま」で行くことにした。

(今回の「今日の一言」はあんまり意味無いです。最近、こういうのが多いけど、、)


「こだま」がホームに入ってくる直前、少しの時間をみつけて、立ち食いのきし麺をサッとすする。店内は、ぎりぎりの時間を使って、最後に名古屋名物を腹におさめようというビジネスマンで混みあっている。僕が食べていた、牛肉入りのうどんをみて、今入ってきたオヤジもつられて肉を頼む。肉うどんは一番高い、600円。

ホームの弁当屋で、味噌カツ弁当でも買っておこうかと思ったが、「幕の内しかない」とのつれない返事。もう、午後 8時になろうとしている時間だから、しかたない。買わなかったら確実に車内でやることが無くなってしまうので、1つ買う。でも、買った直後に、丁度売店への弁当の配達とすれ違った。惜しい。


名古屋から新横浜まで、図らずも「世界の車窓から」状態である。車内は、当たり前だがガラガラ。窓際に一人ずつ人がいるぐらいで、とてもゆったりしている。「こだま」を使うと、名古屋から新横浜まで2時間半かかる。行きは「のぞみ」で1時間半かからずに来たことと比べると、全く違う旅。

たっぷり長いこの時間をどうしたものか。ホテルから持ってきた新聞を読むとも無く読み、幕の内弁当を食べながら、やたらに時間をかけてビールを飲んだ。僕は、別にビールが好きということでもないのだが、最近は「ビールを飲むという状況」がなんとなく好きで、気に入っている。ビールを飲むと言うのは、他の酒を飲むときとは、少し意味が違う気がする。「仕事終わったよなー」そういう区切りが、カタチとして出てくるような感じ。さて、渋々買った幕の内では あったが、存外に丁寧に作られていて、好感がもてた。酒のつまみに、弁当を食べるような輩には、かえってこういうものの方が、好ましいかもしれない。


ゆっくり食べても、無くなるものはなくなる。車内販売で何か買うことにする。腹は一杯だが、とにかく暇だ。

僕にとって、新幹線の車内販売のベストメニューというのは、文句無くサンドイッチだ。別に美味いようなものでは全くないのだが、小さい頃に新幹線に乗るたびに食べていたから今でも頼む。(本気で美味しい車内販売を求めるなら、浜松あたりで売られる鰻弁当が良いらしい)今日もサンドイッチは不味かったが、やはり新幹線ではこれを食べる。胡瓜が生臭いのも、ビールに合わないのも、いつものとおり。

呼び止めた車内販売のオヤジがとても良かった。どう見てもカタギには見えない。40代前半だろうか、白髪混じりの伸びきったパンチパーマ。巨大なもみ上げ。着ている制服は、くたびれてよれよれ、普通なら、気が滅入るような代物。しかし、夜の疲労と倦怠の渦まく新幹線の中で、黙々とビールやつまみを売る彼の姿に、僕はなんとも言えないプライドのようなものを感じた。きっとはやくに離婚していて、娘二人を男手一つで育てているに違いない。夜遅くの車内販売はハードな仕事だが、彼は家族のために頑張っているのだ。過去からきっぱり足を洗って、、と、100%僕の勝手な想像なので、本人にはいい迷惑だな。でもそんな雰囲気の人ではあった。

領収書を頼んだら、手元に無いからと言って、嫌な顔一つせずに後からわざわざ届けてくれた。とても親切。


豊橋あたりで、小うるさい3人組みが乗り込んできた。訛りの感じからして、ドイツ語圏の外人2人。それを案内している、20代後半の日本人女性1人。会話は、怪しい英語で行われている。それまで、静かで快適だった車内に、少しだけ不穏な気配。案の定、なんともうるさい。日本人の女の得意げな(しかも巧くない)英会話が、静かな車内に響き渡る。

その連中が、もみあげの彼の車内販売を呼び止めた。ビールは無いのか、なんだ、かんだとやっている。バカ女の誇らしげな同時通訳が入る。(TOEIC 500点ぐらいか、、)
「コーク、あ、コーラ」
「あらら、私英語で言っちゃったー(原文は怪しげな英語)」

そういう恥ずかしい態度はきっぱりやめていただきたい、と思った。しかし、そんな奴らを相手にしても、彼は親切だった。僕の想像では、彼はきっと4ヶ国語ぐらいはペラペラなはずで(昔、禁輸品を買い付け、密かに横浜港で陸揚げしていたのだ)、その気になれば全てドイツ語で対応できるはずなのだが、 礼儀正しい彼はそういうことはしなかった。


いつの間にか眠っていた。電車はもうすぐ小田原に着こうとしていた。新横浜まで、残り20分。ビールは買いすぎて、残りを全部飲み干すには、少しほねが折れた。

最悪の晩飯

先週は、かなり最悪の一週間だった。何が最悪かっていうと、晩飯が。

半月ぐらい前から、深夜まで会社に居残ることが多く、その間はずっとコンビニの飯を食っていた。しかし、もはや限界。

コンビニの弁当というのは、とりあえず棚に並んでいるものを見ている分には楽しいし、色とりどりで美味しそうだ。しかし、食べ続けるうちにげんなりして、疲れてくる。確かに、見た目には色とりどりで鮮やかなのだが、どれを食べても、実は味はそんなに変わらなかったりするし、最初は楽しい「体に悪いもの食べてる」という罪悪感も、ほんとに体を壊しそうになってきて洒落にならなくなる。

コンビニ弁当を食べ続けると体がおかしくなる、というような話はよく聞くが、たしかにその通り。なんとも言えない気分の悪さが、「食べるたびに溜まってゆく」ような気がするのだ。火曜日あたりには、発疹まで出てしまった。僕にはとことん合わないらしい。(平気な人も居るみたいだし)

そういえば、コンビニの弁当というのは、食事としてはちょっと変わっている。見た目は「一食」という体裁をとってはいるし、「ほか弁」のようなものと大差なく見える。いわゆる「弁当」である。ところが、食べてみた感触はビニール包装された工場製のパンのようなものに非常に近い。工場で生産された「製品」。


コンビニの食事は、衣食住に縛られていた人間の生活スタイルの一部、「食」をかなり自由にした。しかし、それはそれでやはり無理がある。人間は、結局、ちゃんと食べないと生きていけない。コンビニのサラダを食べてみても(いちおうバランスには気をつかって、サラダなんかは付けるようにしている)、不思議なことに生の「生き物」を食べているような気がしない。大根サラダの大根は、シャリシャリした大根のような歯触りはあるが、その味には、なんというか完全に根っこが無いのだ。こういうものを食べ続けていると、自分が何によって生きているのか、分からなくなってしまう気がする。

それは凄く不思議な感覚だ。貧しくて栄養価の低いものしか食べられない、というのとは違う。言ってみれば、高度にソフィスティケートされた、高価な貧しい感覚。

もちろん、コンビニの弁当そのものを批判する気はない。それは商品・サービスなのであって、それを買うか買わないかは利用者の勝手だからだ。コンビ ニ弁当の開発・製造をしている方々には、これからも頑張っていただきたい。ただ、僕みたいな人間は、これだけではとても生きていけないことが、よく分かった。


さて、週末はお客さんと一緒に焼き肉に。お客さんお勧めの店だけあって、「美味しい」というより「旨い!」をいうような感じでした。ようやく、コンビニ地獄に終止符。