小津安二郎 DVD ボックス

小津安二郎 DVD ボックスを買った。

司馬遼太郎は紀行文 “アメリカ素描” の中で、アメリカを「文明に寄って成り立つ国」と定義した。アメリカ合州国は、暗黙の文化ではなくて、明記された文明がそのカタチをつくる人類の歴史上初めての国家である、というのである。僕はこれ程までに簡潔に、そして的確に、アメリカを説明した文章を他に知らない。そして、その文章を読んだ瞬間、不意に小津の映画のシーンが思い出され、同時に、小津作品の魅力の場所というか、美しさの源のようなものが瞬時に理解されるような気がしたのである。


小津の作品は、日本の「文化」が、「文明」にその場所を譲り渡していこうとする時代を描いている。そして、その足許は、ハリウッド的な「文明」の側にあるのではなくて、失われていく「文化」の側にある。その立ち位置から描かれる美しかった日本の姿に、我々はもはや追いつくことは出来ない。

小津の映画で日本を知った外国のとある映画監督が、スクリーンの上で恋い焦がれた場所「東京」にはじめて降り立ったとき、彼が感じたのは「自分はもう存在しないものを探しに来たのかも知れない」という思いであったという。

DVD ボックスの第一集には、有名な作品の多くが収録されている。中でも、僕が一番好きな作品が「秋刀魚の味」だ。筋は、娘を嫁がせる家族を描いている、書いてしまえばそんなところ。地味な展開と、地味なカッティング。しかし、台詞にも、筋にも、画にも、隙は全くない。アグファのカラーフィルムで撮られた、柔らかい画が、美しい。


秋刀魚の味は、小津監督の遺作となった映画である。キャスティングも、筋の運びも、小津作品の集大成のような作品で、ちょっとおかしくて、ちょっと 悲しい、でも安心して観ていられる良い映画。岩下志麻が凄く若い(綺麗ですよ)とか、水戸黄門がラーメン屋を演じているとか、まあ、見所はいろいろあるのだが、何が凄いって、秋刀魚なんて一つも出てきやしないのに、見終わると「ああ、これは確かに秋刀魚の味という映画だったな」と思ってしまうところだ。

リフレッシュ工事

最近、中央線でリフレッシュ工事というのをやっている。平日の昼間あたりに、電車の運転を止めて全線で一斉工事するのだ。

いったい、どんな工事をしているんだろうと思って、併走している総武線から眺めてみた。なんか、作業をしている雰囲気が無い。

ヘルメット姿の人々が、タバコを吸ったり、ジュースを飲んだりしてリフレッシュしていた。

すり減るのが恐い

Photo: 2001. Tokyo, Japan, CONTAX T3 Carl Zeiss T* Sonnar 2.8/35, Knodak Ektachrome DYNA 200, Dimage Scan Elite(Digital ICE)

Photo: 2001. Tokyo, Japan, CONTAX T3 Carl Zeiss T* Sonnar 2.8/35, Knodak Ektachrome DYNA 200, Dimage Scan Elite(Digital ICE)

「感性がすり減るのが恐い。自分が、何も感じなくなっていくことが恐い、、。」

その日、僕はいくらか酔っていて、安居酒屋のラミネートされたメニューを眺めながら、そんなことを言っていた。


このページに、何度も書いていることだけれど、人は慣れる。どんな辛いことも、どんな楽しいことも、どんな新しいことも、やがて慣れる。仕事も、生活も、だんだん慣れてくる。いろんな事は殻に覆われて、辛くもなく、楽しくもなく、なんでもなくなってしまう。

あるいは、人には、何かが出来る季節、みたいなものがある。少し前まで、そういう季節が失われるなんてことは、想像することもできなかった。でも今は、自分にひらめきみたいなものが失われ、日常に埋没して、なんとなく生きていってしまうのが、恐い。

信号機が、パッと赤に変わるように。あるいは蛇口から最後の一滴が落ちてしまうように。ある日、全ては、手の届かない記憶になってしまうんじゃないか。


いろんな痛い思いをするのは嫌だけど、何も感じないのは、もっと嫌だ。僕には変わりたい部分もたくさんあるけれど、変わりたくない部分もある。時間が、無情にそれを奪ってしまうことが恐い。

昔は、大人になるまでの年月を数えていたけれど、今は、残された人生の年月を数えている。そんな転換があって、こんなことを考えるのかもしれない。


いずれにしても、その居酒屋で蛸山葵をつつきながら口をついて出た不安は、未だに僕をとらえている。あるいは、その不安すら、失う日が来るのかもしれないのだが。

注:ラミネート【laminate】合板にすること。また、プラスチック‐フィルム・アルミ箔・紙などを重ねて貼り合せること。「―‐チューブ」[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]