今はもうない、Bistroの写真

Photo: "Bistro M."

Photo: “Bistro M.” 2006. Tokyo, Japan, CONTAX T3 Carl Zeiss Sonnar T* 2.8/35, Kodak 400TX.

外食をすっかりしなくなった。COVIDによる売り上げの減少よりも、行動変容が怖い。そんな外食産業の人のコメントは、確かにその通りになっているのかも知れない。


今はもうない、Bistroの写真を見る。

今とは違う別の街で働いていたときには、昼前にみんななんとなく出勤して、それも会社にでは無くて、馴染みの店のどれかにまず向かう事が多かった。そこで待ち合わせて、しっかり食べて、しっかりお喋りをして、デザートの選択肢があればそれもちゃんと頼んで、そこから会社に行った。


なんか働いてないみたいな感じに見えるけれど、生産性が高かったかどうかは知らないが、凄くちゃんと働いていた。そこで話したことの大半は、忘れてしまったけれど、とても大事な時間だったと思う。店では仕事の話は、あまりしなかった気がする。

そうして、夜遅くに仕事が終わって、また昼の店に皆で行って、その頃には他の客はだいたい引けてしまっていた。気取った、常連だけの裏メニューっていう訳じゃ無く、単に毎日行きすぎて頼むものが無くなって、なんとなく違うモノをつくってれるような、そういう感じで、山盛りのパスタとか、そういうものを平らげた。


自分の人生にそういう事が何回あるのか、その時はあまり自覚をしていなかったけれど、そういう幸運というのは、その場に居るときにはあまり自覚をされないみたいだ。

すっかり変わってしまった世界と、自分のライフステージと、今の皆の働き方。この時代の、あの空気に戻る事はできないのだけれど、人が昔を懐かしむ気分が、どうやら僕にも分るようになってしまった。そういう、事みたいだ。

「深掘り」って何

Photo: "Osaka Castle Park."

Photo: “Osaka Castle Park.” 2006. Osaka, Japan, CONTAX T3 Carl Zeiss Sonnar T* 2.8/35, Kodak 400TX.

「深掘り」というのは、ある種の業界 / クラスタの用語なのだろうか。虫唾が走るくらいに嫌いな響きだ。「掘り下げる」で良いでは無いか。

「深掘りできてますか?」

深く考える、深く追求する、深く調べる、そういう事を曖昧に、一塊にして、なんとなくやってる感を出すクソ単語。百歩譲って、「堀る」で良いはずだ。あえて、「深」を付けているところに、なんとも言えない浅ましさを感じる。


「食べやすい」「飲みやすい」も同じく嫌いだ。

食べやすいというのは、形状とか、固さとか、状況とか、そういう食事や咀嚼の動作自体に対する、阻害要因に対する評価としての意味合いではないのか。しかし、今は味的な意味で使われている。じゃあ、食べにくい料理って何だ。それは、不味いのか。いったいどんな食べやすさを追求して、料理を選んでいるのか。「この日本酒飲みやすいですね。」飲まなくていいよ、それ。

もちろん、言葉は常に変わっていく。しかし、表現の審美というのは、ある程度時の流れに耐えるのでは無いかと、僕は思うのだ。

デヴィ夫人来店

デヴィ夫人来店

Photo: "デヴィ夫人来店" 2007. Osaka, Japan, CONTAX T3 Carl Zeiss Sonnar T* 2.8/35.

大阪のとある街を歩いている。

お勧めのベーグル屋がある、という地元情報はしかし、明確な店の場所と名前が示されておらず、店の前にたどり着くのは容易なことではなかった。これは少し前の出来事であり、iPhone と GPS があまねく”鷲の目”を与える前の話だ。そして、ようやくたどり着いた店は、定休日だった。


行き場のないやるせなさを感じながら、とぼとぼと駅に戻る。広い県道とも、狭い国道ともつかない道を歩いていると、パチンコ屋に行き当たった。いや、正確に言えば、先に凄い看板が目に飛びこび、僕は思わず引き寄せられて足を止め、それがパチンコ屋の看板だったのだ。

デヴィ夫人来店。

パチンコ屋のプロモーションというのは、下手に予算が使えるだけに予想外の豪華さを醸していることがある。上野の裏道を歩いていたら、パチンコ・エヴァンゲリオンの宣伝で、本物の声優の誰だかがトークショーをやっていたのに行き当たったこともある。しかし、デヴィ夫人が来店するというのはどうなのか。パチンコ屋の来客層に、デヴィ夫人の来店は何かアピールするポイントがあるのか。デヴィ夫人は、パチンコ屋の営業で、一体どんなトークをするのか。観衆への呼びかけはやはり「あーた」なのか。


大阪在住でも無ければ、パチンコもしない僕が、実際にデヴィ夫人と出会うことは出来なそうだった。残念ながら、彼女の来店予定は半月ほど後の日付だったのだ。しかし、その看板だけで、もうお腹が一杯だったことも否めない事実ではあった。