晩春、麦秋、東京物語

Photo: "Daydream."

Photo: “Daydream.” 2017. Tokyo, Japan, Fujifilm X-Pro2, Fujifilm M Mount Adaptor + Carl Zeiss Biogon T*2,8/28 ZM, ACROS+Ye filter

Amazon Prime Videoが、いったいどういう気まぐれか、小津安二郎のラインナップを充実させている。「晩春」、「麦秋」、「東京物語」、「秋刀魚の味」、あたりが揃っている。そのことに気がついて、この正月休みに一気に観ようと言う事で、今日は「晩春」から。

1949年、つまり終戦から4年後の作品だ。そういう目で見ていると、本当か、という気がする。日本はたったの4年で、ここまで復興していたのか。あるいは、焦土と化した形容されたあの時代に、こんなに日本が残っていたのか。もちろん、映画だから小津が描きたい部分をフレーミングしているというのは、そうだろう。ただ、年代で考えて見ると、ちょっと今までのイメージとは違う。闇市とか、そういうので語られる日本の戦後の混乱期というイメージは、それもまた局所的なフレーミングに過ぎないことに気付かされる。当時の人の、それぞれにとっての、戦後の像というものが当然そこにはあるのだ。


「晩春」の筋立てやキャストは、まぁ、だいたい、いつものやつ。豆腐屋がつくった豆腐の安心感。この映画が発表された当時でさえ、「新しい風、そんなものどこ吹く風(笑い)」(注1)という評を受けている。(これは肯定的な方の評だが)

この映画はしかし、同時期に撮られた他の幾多の映画は廃れてしまったけれど、豆腐は残った。当時、復興期に映画を撮っていた若い世代の監督達には、なんとも歯がゆく映る映画だっただろう。しかし、残ったのはこちらなのだ。

一方で、生涯独身だった小津が、なぜ娘の嫁入りというテーマを何度も描き続けたのだろう?とシンプルに疑問に思う。それにしても、監督が得意なテーマをずっと描くというのは、観ている側にとっては幸せなことだ。押井守がパトレイバーや攻殻機動隊をずっと撮っていてくれたら、どんなに良かっただろうか。でも、たいていは、そういう風にはいかないものだが。

注1:『小津安二郎 晩秋の味』、尾形敏朗、河出書房新社 2021、p75 深作欣二(深作欣二・山根貞男『映画監督深作欣二』ワイズ出版)

思いつきの旅(ただし、御安全に)

Photo: “Shinjyuku 2021.”

Photo: “Shinjyuku 2021.” 2021. Tokyo, Japan, Apple iPhone XS max.

緊急事態宣言が再発令されようとする、まさにそのタイミングで、ならず者氏から小旅行の提案がある。相変わらず、ノールールだ。彼の思いつきで、旅のようなものが決行されるのは今も昔も変わらない。

しかし、安全性に最大限の配慮を行う彼のこと、旅の内容は僕の家の前から、もう一人の家の近所まで、ドラクエウォークドライブをする、なお、会食等はせずさっさと解散する、というものだった。さすが、ISOなんちゃか、とかの世界に生きているだけの事はある。


文字通り家の真ん前まで迎えに来てもらって、ドラクエウォークしながら(彼はウォークモード)、ゲーム会社勤務氏の家までドライブ。高速は使わずに、なんやかんやで片道1.5時間ぐらいかかる。甲州街道から、久しぶりに見た新宿駅の光。バスタ新宿のある景色に慣れる前に、まったく電車に乗らなくなった。

車の数が減り、少し山のような地形が混じり始める頃に目的地に到着。ここは、そういえば自分の実家のあたりにむしろ近い。社外に出ると、大気はずいぶんと寒く、セブンの駐車場はえらく広かった。待ち合わせの友人を探す。あの駐車場の隅に座ってる怪しい人物、あれじゃね?(違った)


合流して、たわいの無い話をする。気がつけば、3人が物理的に顔を合わせるのは2年近くぶりだ。ゲーム氏の奥さんもちょっと顔を出す。こちらは10年ぶりぐらい、全然変わらない。酒も飲まないし、食事もしない。ただ、距離をとって静かに話しただけ。途中で駐車場の冷えを感じて、午後の紅茶ホットの加温中を買う。それ程には熱くなかった。

日清の激辛の焼きそばと、謎のエナジードリンク (version 1.0.0と書いてあった)をお土産にもらってきた。

今はもうない、Bistroの写真

Photo: "Bistro M."

Photo: “Bistro M.” 2006. Tokyo, Japan, CONTAX T3 Carl Zeiss Sonnar T* 2.8/35, Kodak 400TX.

外食をすっかりしなくなった。COVIDによる売り上げの減少よりも、行動変容が怖い。そんな外食産業の人のコメントは、確かにその通りになっているのかも知れない。


今はもうない、Bistroの写真を見る。

今とは違う別の街で働いていたときには、昼前にみんななんとなく出勤して、それも会社にでは無くて、馴染みの店のどれかにまず向かう事が多かった。そこで待ち合わせて、しっかり食べて、しっかりお喋りをして、デザートの選択肢があればそれもちゃんと頼んで、そこから会社に行った。


なんか働いてないみたいな感じに見えるけれど、生産性が高かったかどうかは知らないが、凄くちゃんと働いていた。そこで話したことの大半は、忘れてしまったけれど、とても大事な時間だったと思う。店では仕事の話は、あまりしなかった気がする。

そうして、夜遅くに仕事が終わって、また昼の店に皆で行って、その頃には他の客はだいたい引けてしまっていた。気取った、常連だけの裏メニューっていう訳じゃ無く、単に毎日行きすぎて頼むものが無くなって、なんとなく違うモノをつくってれるような、そういう感じで、山盛りのパスタとか、そういうものを平らげた。


自分の人生にそういう事が何回あるのか、その時はあまり自覚をしていなかったけれど、そういう幸運というのは、その場に居るときにはあまり自覚をされないみたいだ。

すっかり変わってしまった世界と、自分のライフステージと、今の皆の働き方。この時代の、あの空気に戻る事はできないのだけれど、人が昔を懐かしむ気分が、どうやら僕にも分るようになってしまった。そういう、事みたいだ。