姿ハ似セガタク、意ハ似セ易シ。

姿ハ似セガタク、意ハ似セ易シ。(本居宣長 1730?1801)

コンセプトとか発想を真似るのは簡単だが、姿形を真似るのは難しい。まあ、そんな意味のことだと思う。一瞬、「それって逆じゃないか?」と違和感を覚えるが、よくよく考えると、こっちが正解。

物事の姿形の大切さと、そこに込められた愛おしさ、そんなことを最近よく思う。それがデザインなのであれば、製品の見た目や使い心地。それが文章であれば、バランス感や空気感。

あるいは人であれば、それは佇まい。その笑顔も、その俯いた表情も、あなたにしかできない。例えば、そういうことだ。

注1:もともとは、フォントメーカーとして有名なモリサワの雑誌広告で引用されていた一言。最近、デザイン系の雑誌に興味があるのです。
注2:本居宣長 江戸中期の国学者。国学四大人の一。三十余年を費やして大著「古事記伝」を完成。儒仏を排して古道に帰るべきを説き、また、「もののあはれ」の文学評論を展開した。[株式会社岩波書店 広辞苑第五版より、抜粋]

人生にチャンスは少ない

うつむいて、地面を見ながら街を歩いていると、足元にバナナの皮が落ちていた。

あまりにも、あまりな展開に、僕は心底驚いた。足元にバナナの皮って、、。

人生にチャンスは少ない。しかしその時、僕はどうしてもバナナの皮というチャンスを生かそうと思えなかった。まだまだ、甘いのだろうか、、。

もの書きに関する雑感その2

もの書きに関する雑感その2。

つまり、モノを書くと言うことは、愛である。だから、愛がなければ書けないのだ。[直子の代筆]とは訳が違うのである。まあ、日常生活の大半は[直子の代筆]でカタがつくという話もあるが。

ということで、僕のブックマークのなかから愛を感じるサイトを5つほど選んでみた。(いや、もっといろいろあるんですけど)いろんな愛のカタチがあるのだ。

注1:リンク先にはとくに了解は得ておりません。