Macの時代からATOKを使ってる。辞書も、そのときからのを引き継いでる。
昨日の夜、「辞書がオープンできません」という見慣れないダイアログがでて、ATOKのユーザー辞書が壊れてしまった。(こんなことは初めてだ)
ちょうど、ATOK16からATOK17に(もう17なんですね、僕が使い始めたときは8だったかな)アップデートするときに残っていたデータがあったので、ここ半年ちょっとの学習結果を失った感じ。
変換順序とかが微妙になれない感じに戻っていて違和感。使い慣れた道具は、おかしくなってやっとその存在に気がつくわけですね。
僕は操作方法に慣れているのと、10年ぐらい育てている辞書があるからATOKを使ってるけど、そんなものにこだわってる人って、どれぐらい居るんだろうか。
最近のFEP(っていうのか?今でも)は賢くなってるから、どれでもあまり変わらないのかな。
月: 2004年10月
太郎の椅子
部屋の一角に椅子が何脚か置いてあって、坐って作品を観るのに丁度良い。が、これも岡本太郎の作品だ。よく見ると、ちゃんと窓際に作品名をかいたプレートがある。
でも、やっぱり丁度良い椅子なので、お客さんはどんどん座っている。ちょっと難しそうな表情を浮かべながら作品を観ていた女性の1人客も、「ふー」という感じで荷物を椅子の上に置いて一休みだ。
この記念館の良いところは、そんな風に、堅苦しくなく作品とふれあえること。
みんながそうするせいか、座面の布はちょっとすり切れている。いやー、それは作品なんだよなー、とちょっと心楽しくその光景を眺める。
秋、秋。
秋です。
久しぶりに昼間の新宿を歩く。都庁から公園に抜けていく。新宿は、前に働いていた街で、秋のからっとした空気とともに、懐かしい気分になる。
どっか地方から来ているおじさんの団体が、都庁をバックにして写真を撮っている。あんなもん撮るなよ、、と思ってみると、今日の都庁はなんか凄いことになってる。高い高い空を思わずブックマーク。TVS を持ってこなかったことをちょっと後悔した。
公園脇を歩いていくと、ちょっと思い出があって寂しくなる。でも、のんびりしている暇はない。ささっと、次の予定の場所に向かわないと。