入国審査の係官は、怪訝そうに僕のパスポートを眺め「日本人?」と訊いたきり、沈黙してしまった。懐から、小さなルーペを取り出すと、パスポートの 写真に張り替えた跡がないか、執拗に探し始めた。運転免許証まで出させられ、それでも納得がいかないのか、じっとパスポートを見ている。隣のブースの係官が、面白そうにそれを眺めている。
入国に関してやましいところは無いが、夜も遅いガランとした空港で、僕はじっと立たされている。下手に口を開くのは、一番賢明ではないやり方だとも分かっていて、さしあたり僕にできることは入国ブースの観察、だった。僕が中国に入国するには、それからたっぷり 5分はかかった。
オリンピックを経て、北京首都国際空港は、大きな変貌を遂げていた。だだっ広いだけだった空港には、いろいろな設備や、しゃれた天井が設置され、なんとも言えないおおざっぱな張りぼて感はあるものの、ゴミ一つ落ちていない清潔で近代的で、そうして社会主義な空港になっていた。
手荷物を受け取って、薄暗い空港正面を出ると、いきなり喧噪とゴミと人の混ざり合う混沌とした車寄せ、、のはずが清潔な地下鉄乗り場に変わっていたりする。おなじ空港とは思えない。中国は変わったのだろうか、そんな疑念?が湧いてくる。
それでも、インフォーメーションカウンターでは「詰め寄った者勝ち方式」で、案内が行われており、列に大人しく並ぶマナーよりも、厚かましさと声の大きさが必要なようだった。オリンピックを経ても、行列するというシステムはこの国には馴染まなかった。後に、僕は色々な局面で、行列文化の定着失敗を思い知らされる。
自動改札を抜けて、プラズマディスプレイのインフォメーションボードが至る所に取り付けられたホームで電車を待つ。ボードを見ていると、勝手にチャンネルが変わったり、緑色のブランク表示になったり、そして、突然表示が落ちて真っ暗になったり。そう、やっぱりここは中国なのだ。体裁は整っても、基本的に大雑把なのだ。やってきた自動運転の地下鉄車両のヘッドライトは、やっぱり片側が切れていた。
前回僕が中国に来た時、一番最初に覚えた中国語は(そして唯一の中国語は)、メイヨーだった。漢字で書くと、没有(Not available)。そして、そのメイヨーの響きを僕はすっかり忘れていたのだけれど、空港からライナーの地下鉄に乗り、市街の地下鉄に乗り換えようと した瞬間に、再びメイヨーの洗礼を浴びた。
「もう電車はメイヨーだ。」
改札が閉じられているだけでは飽きたらず、何人もの駅員が改札をブロックしている。乗り換え先の改札に、Mr. & Miss メイヨーが陣取って、意地でも通さない構え。そうしないと、無理に乗ろうとする人が居るのだろうか。多分、居るのだろう。
あらゆる行き先の券売機がメイヨーになっているところを見ると、どうやら、地下鉄は終電の接続なんてちっとも考えないで運行されているのだった。そうなった瞬間に、地上に到るまでの階段にはエレベータもエスカレータもメイヨーであって、スーツケースを抱えて地上に出ると、タクシー乗り場もメイヨーであった。あらゆるメイヨーが、僕に一気に襲いかかってきた。ホテルの方角もメイヨーで、ここはいったいどこなんだ。
そこには、北京オリンピックですっかり近代化されて、どこの中国かさっぱり分からなくなった景色ではなくて、見慣れた、冷たく埃っぽいアスファルトと、石と、コンクリートと、なんだかよく分からない物質でできたいつもの薄暗い街路が広がっていたのだった。