「外資系」ホテル

Photo: 2001, Yakushima, Japan, Nikon F100, Zoom Nikkor 35-105mm F3.5-4.5D, Fuji-Film

Photo: 2001, Yakushima, Japan, Nikon F100, Zoom Nikkor 35-105mm F3.5-4.5D, Fuji-Film

とりあえず、泊まる所を確保しなければ。で、そのリゾートホテルってやつはどうなんでしょう?民宿より快適じゃないのかなぁ?

「あのホテルはさぁ、島外の資本だからね、あんまりお勧めしないよ」

と観光センターのおっさんは言った。島に着いた日の午後のことだ。狭い島の中にあって、利益は連鎖している。早い話、客を回し合っている。その鎖の外に位置する「外資系」ホテル(国外という意味ではなくて、鹿児島の資本)は、あきらかに歓迎されていない。おっさんは続ける。

「民宿とかに泊まって、屋久島にどっぷり触れて欲しい、人と出会って欲しいんだよ、知り合いの民宿に電話してあげるから」


うんざりだ。

俺は休暇に来たのだ。ゆっくりできる、ケアの行き届いたホテルがいいのだ。旅行者と語り合ったり、ほのぼのと食器の片づけを手伝ったり、洗面所の流しを譲り合ったり、そんなことをしに来たのではない。俺はぜったい、その島に唯一のリゾートホテルに泊まる。観光センターのおっさんが否定すればする程、我々はそのホテルに泊まろうという意思を強固にした。

もちろん、観光センターはその「外資系ホテル」を紹介してくれなかったから、僕たちは飛び込みでホテルの駐車場に乗り付け、その場で部屋をとった。(思ったよりも、全然安かった)


結論から言えば、その外資系ホテル いわさきホテル は、良い宿だった。広く快適な部屋、教育の行き届いたスタッフ。正直言って、この僻地に、このようなホテルがあることは意外だった。オフシーズンの静かなホテルでは、一人旅とおぼしき女性が、夕暮れの海を一望できるロビーでゆっくり本を読んでいた。6階まで吹抜のホールには、大きな屋久杉の模型が、佇んでいる。目の前の海は、夕日を受け、まるで油を流したように輝いていた。

よくよく聞いてみれば、屋久島の自然をモチーフにしてなんとかいうアニメをつくった「あの監督」や、ここの自然にインスパイアされて曲をつくった 「あのミュージシャン」も、みんなこのホテルに泊まったという。自然を満喫するのに、わざわざ快適なベットや、水洗トイレを放棄することはない。そういうことだろうか。

そして食事。メインダイニングのレストランは予想以上に良かった。安くはないけれど、地の材料にきちんと細工をした料理には好感が持てた。山ほどバターを使った、屋久島産旭蟹のビスクスープは、記憶に残る心楽しい味だった。僕らは、夕食時にはちゃんと山から下りてきて、ここでご飯を食べるようにした。


「お客様、もしかして髭を召し上がられてますか?」

「は、はぁ」

夕食に注文した伊勢エビのグラタンは、殻を使ってなかなか綺麗に盛りつけられていて、ぴんとはった髭は、特に香ばしそうに見えた。だからポリポリ食べていたのだが、、。

「そ、それは、、食べられません、、」

それを食べたお客は、

「はじめて見ました、、」

確かに、枯れた珊瑚みたいな味がした。

正しければ速く、速ければ正しい

Photo: 2000. Suzuka, Japan, Nikon F100, SIGMA 100-500mm, Fuji-Film

Photo: 2000. Suzuka, Japan, Nikon F100, SIGMA 100-500mm, Fuji-Film

数百メートル離れたパドックから聞こえてくる甲高い音は、何かの管楽器に似ていた。規則正しく、ファン、ファン、ファンと、呼吸する様に。

やがて、ホームストレート正面のスタンドから、怒号にも似た歓声が上がり、最初の一台が、ウォームアップのためにコースに入った。音はすぐに遠ざかり、コントロールタワーの向こうに消えていった。

そして、1分後。僕の正面に立ちふさがる丘の向こう側から、歓声が上がる。同時に、金属音が響く。突然、シケインの奥から、低いシルエットのボディーが表れる。500mmの望遠レンズに、はっきりとそいつが映った。


爆音が、アスファルトとコンクリートウォールに跳ね返り、大気をビリビリ震わせた。一点の曇りもない、乾いたエグゾーストノートには、今まで聞いた ことのない「調子」があった。最終コーナーで、シフトアップ。そして全開。頭の中を、激しい爆発音が埋め尽くし、そして300Km/hで遠ざかっていっ た。

僕はファインダーから目を離し、呆然とマシンが走り去った方を眺めた。手には、押し損ねたNikonのリモートシャッター。なるほど、これがF1。 今にも雨が落ちてきそうな鈴鹿の空に、響いた音。人が作り出したエンジンというものから、ああいう音が出るとは、想像したことさえなかった。それは、20 世紀が生み出した、新しい音楽。


カーレース自体、僕は見たことがなかったのだが、会場で初めて、実際に目の前を走り抜けるF1カーを見て、明確に分かった。F1、それはつまり、極めて地道なエンジニアの仕事の集大成だ。

全てがカスタムメイドのF1カーに、決まった答えはないし、予定調和もない。未知のものを作るには、作り手に、センスと信念が無ければならない。素人の僕にさえ、フェラーリのエンジンが奏でる艶っぽい音と、メルセデスのエンジンから発せられるより金属的な音の区別が付いた。モノ作りの結果は誤魔化しようがない。それが正しければ速く、速ければ正しい。そして、答えは一つではない。フェアで残酷なルール。

そのエンジニアリングの技の全てが、音をつくる。鈴鹿の山に響いた26台のエンジン音。僕は、その音を作ったエンジニア達に対して、素直な賞賛を送り、そして、ある種の羨望を感じた。


5時間後。その楽器の演奏者たるドライバー達がマシンを降り、勝利の美酒に酔う時間。パドックでは、マシンの解体整備、あるいはマレーシアでの最終戦に備えたエンジンのチューニングが行われている。

スタンドでは、まだまだ居座り続けるつもりのファン達が、白熱灯の飴色の光に照らさたパドックの様子を見つめていた。今日、この鈴鹿で勝利を決めた フェラーリのパドック前には、深紅のツナギを着たメカニック達が集合していた。次の闘いに向けて、エグゾーストノートが響く。また、エンジンに火が入った。

アドリア海

Photo: 1995. Venice, CONTAX T2 Carl Zeiss T* Sonnar 2.8/38, Agfa, FS

Photo: 1995. Venice, CONTAX T2 Carl Zeiss T* Sonnar 2.8/38, Agfa, FS

映画ハンニバルは、確かに酷い代物だったが、ベネツィアの美しさは良く撮れていた。

ブレード・ランナーで有名な、監督のリドリー・スコットは、闇を撮る監督である。ハンニバルのスクリーンの中で、街の其処此処に潜む闇は、南欧の光と美しく調和していた。中世の暗さと、華やかさを併せ持つ、それが、この街の空気である。


入り組んだ水路を、アドリア海に向かって抜ける。

陰鬱な壁の向こうに鮮烈な青空。このあたりの景色は、ルネッサンスの時代から、さほど変わってはいまい。建築は、太古の昔からそこにある岩壁のように聳える。ベネツィアの闇には、死と恐怖と、そして妖しい魅力が潜んでいる。


ベネツィアは海の街だ。僕は、いつか、海のある街に住みたいと思っている。
未だ住んだことは、ないのだけれど。

注1:リドリー・スコットは、ブレード・ランナーや、ブラック・レインの監督。撮る画の綺麗さで、群を抜く。トップガンの監督トニー・スコットの兄。最近、いまいち、、。
注2:映画ハンニバルのあまりに、あまりなラストに愕然とした人も多いと思う。なんじゃ、ありゃ。あと、スターリングやクレンドラーのキャスティングも最後まで馴染めなかった。原作は、とっても面白いので、お勧めです。
注3:1995年撮影。6年たって、やっとコメントを付けられました。