上物の大吟醸を1合だけ

精神年齢を調べるWebページで、44才と診断された20代、羊です。

あまりに渋すぎるかもしれないが、ここ数ヶ月来、日本酒の美味しさに気がつき始めた。同僚と愚痴でも言いながら、ちびちび飲む日本酒。そういうのではない。純粋に美味しいから飲みに行く。

新宿某所にある、日本酒が充実した店。ここに、酒と肴だけを求めて立ち寄った。仕事が長引いて、きちんと飲むには、もう遅すぎる時間。夕食もまだ食 べていない。飯と酒。こういうものを大切に考える人と行くと、面白い。何喰っても一緒でしょ、という人が悪いとは言わないが、食事を共にしたときの面白さ は減ってしまう。

暖簾をくぐると、カンバンまであと40分。食事はいきなりラストオーダーだった。黒板に書いてある、日替わりのメニューから、旨かった記憶のあるものを、適当に頼んでいく。適切な料理と酒の組み合わせを選ぶことは、真剣に何かを食べようと思ったら、とても重要だ。

樽酒を2合ばかり飲みながら、出てきたものを順に片付ける。お互いに、ほとんど喋らない。黙々と、肴を頬張り、少し安めの生酒で流し込む。日本酒の匂いは、自然に料理に溶け込み、五感を刺激する。

鴨のつくね焼き(串)、鯛の兜焼き、白子ポン酢、笊蕎麦、菜の花の芥子和え、平目薄造り。この店のメニューは、最高級の旨さというよりも、旬の美味 しさをリーズナブルな値段で、という感じ。季節のものが400円ぐらいから選べるので、身構えなくて良い。今の季節、菜の花の芥子和えは、どんな酒にも合 う、清々しい品。昆布締めされたほろ苦い菜の花に、薄く芥子の風味。

面白かったのが、鯛の兜焼きだ。鰤のカマ焼きというのもいいが、鯛が意外と素晴らしい。脂気はほとんど無いが、綺麗な白身と、香ばしい皮がなんとも 良い。半身なので、目玉は1人分しかない。プチ成金に勧めてみたが、目玉ということにどうも躊躇しているので、僕がもらった。ものがいいから、トロッとし てとても旨い。その表情を見て、彼は、非常に悔しがっていた。次回はきっと譲らないだろう。

この店で飲むもう一つの楽しみは、蕎麦。池波正太郎の本を読むと、蕎麦屋というのは酒を飲むための場所、と書かれている。蕎麦屋で海老の天麩羅を肴 に一杯。そのあと、蕎麦を。なんとも粋だ。逆に、日本酒の店が、美味い蕎麦を出してくれればこんなに都合の良いことはない。そして、この店の蕎麦は、日本 酒と合わせていただくことを念頭につくられた、嬉しい品だ。蕎麦は少し太めで、短い。少しとってタレにつけ、これを文字通り「飲み込む」。蕎麦がアルコー ルで麻痺した喉を伝う感触と、蕎麦の香り。2:8ぐらいの蕎麦の喉越しは、適度にヌルリとしていて、気分が良い。ここの蕎麦を、モグモグ噛んで食べる奴 は、アホだ。

最後に、上物の大吟醸を1合だけ頼む。このクラスの酒になると、酒の色は、薄く黄味がかっている。秋の稲穂の色だ。酒というよりも、果物の香りが溶けた清水。これを飲むときは、白子を少し口に含む。

食べ終わったら、勘定をしてさっと出る。長居はしない。3合くらい飲むと、丁度ほろ酔いの気分になる。日本酒だけの酔い具合というのが、また、いい。

暖炉

炎が、揺れていた。大ぶりの薪が、タイル張りの暖炉の中に積まれている。炎が、柔らかい光を撒くと、煙突に向かう薄い煙が、チラチラと照らしだされた。パチリ、かすかはぜている。

周りはみな、本や雑誌に目を落としている。僕だけが、じっと炎を見つめていた。窓の外では、雪が勢いを弱めることなく、降りつづいている。

その日の泊り客は、僕たち4人だけ。飛び込みの宿泊を快く承知してくれた宿の人が用意した夕食。鹿の刺身、茸を山ほど入れた鱒のホイル焼き、セロリ を刻み込んだスープ、野菜を山と添えたステーキ、そして手作りの漬物。スキー場の宿で、これほど心づくしの料理に出会うのは珍しい。

夕食後、せっかく用意された暖炉に向かわないのは、あまりに無粋というもの。少し怪しい足取りで、暖炉の周りに置かれたソファーに身をうずめる。普段より量の多い夕食と、ビールのアルコールが眠気をさそう。

炎を見るのが、こんなに面白いものだったかと改めて思い直す。木から生まれた炎は、一時として同じ形を保つことはなく、燃えつづける。なんでもない 木。そこから、突然炎が立ちのぼっている。すぐ後ろにそびえる雪山、降り続く雪の中に冷え冷えと立つ樹木。その中に、こんなに暖かい光が隠されていること を、どうして想像できるだろう。

薪が炎に変わってゆく。そんな不思議な光景。

一番太い薪が燃え尽きてしまうまで、ずっと見ていた。

売れないピザ屋

近くの駅に、ピザ屋ができた。

駅は、都心から離れているせいで、構内がやたらと広い。駅ビルのエントランスは、6階までの吹き抜けになっていて、クリスマスには、15メートルぐらいあるクリスマスツリーが、春には、桜の巨木が、まるごと飾られる。

改札口の周囲も、やはり相当に広い。駅が改築されてすぐは、がらんとした何もない空間が広がるだけだったが、いつの間にか売店やら、マクドナルドやらが出来始めた。そのうち、小さなコンビニとか、アクセサリーや化粧品などの雑貨を売る店も登場した。

しまいには、ちょっとしたカフェができた。なぜカフェかというと、駅の中なのにオープンテラスがあるからだ。数量限定のスペシャルメニューもやっているし、エスプレッソも出す。ここまでやれば、いくら駅構内にあるとはいってもカフェと呼ぶしかあるまい。

ほとんど、改札前商店街。

商店街に新しい店が出来ると、開店の初日はなんとなく面白い。朝、会社に行きがけに見ると、真新しい店が、まさに営業を始めようとしている。神妙な 顔をした、一目で関係者と分かるオジサン達が、遠巻きにしながら店の様子を窺がっている。ピリピリした店員が待ち構える、ちょっと異様な雰囲気の店に、そ れでも徐々に人が入り始める。オジサン達は、ひそひそ話しながら、心配そうに店の様子を見ている。

それから数時間、僕が会社から帰ってくる頃には、店は昔からあったかのように、普通に動き始めている。そうやって、新しい店が、風景の一部になっていく。


さて、その改札前商店街の一角に、突然、ピザ屋ができた。ピザ屋といっても、持ち帰りだけの小さな店だ。

店の大きさは、ほんの数平米。これ以上はこじんまり出来ないだろう、というぐらいこじんまりした店。しかし、いちおうオーブンというか釜というか、 そんなものはある。値段は、市価の半値ぐらいで、フルサイズのピザが1,000円からの値段で買える。宅配サービスや、食べるスペースを省いてあるから、 その値段で出せるのだろう。

店員はたいてい、バイト(多分)の女の子が2人。1人が焼きで、1人が呼び込みだ。周囲には、いつもピザの焼きあがる香ばしい匂いがしていて、美味しそうだ。メニューも、何種類かあって、1人でつまめるミニサイズのピザも用意している。

しかし、僕は、客を見たことがない。

別に、不味そうではぜんぜんない。しかし、誰も買わない。僕は、誰も取らないチラシ配りとか、人気の無いストリートミュージシャンとか、有権者が集 まらない選挙カーとか、そういうものに同情してしまう性質だ。同情というのが言いすぎなら、関心を持ってしまうと言っても良い。それだけに、この客の無さ 加減が、なんとも興味を惹く。なんで客がいないんだろう。

実は、何度か買おうと思ったことはある。しかし、その度に困るのは、買うべき理由が思いつかないこと。僕には、そこでピザを買う理由が何も無いの だ。アツアツをテイクアウトしても、駅から僕の家までは、ピザが冷めるに十分な距離がある。でも買ってみたい。僕が好奇心に負けるのが先か、その店が潰れ るのが先か。どっちが早いだろう。

僕が住む街には、売れないピザ屋があるのだ。