場末のスナックと医者

Photo: “Pigeon” 2019.

Photo: “Pigeon” 2019. Tokyo, Japan, Apple iPhone XS max.

年に一度、もしくは半年に一度のスナックは、ある種の人生の修行として、自分に課さねばならない何かなのかもしれない。最後に行ったのは、未だ寒い時期だった。

よく「場末のスナック」という慣用句が有る。そのスナックは、まさにそれを再現するために、プロが組んだセットのような、酷いおんぼろさ加減だった。今にも崩れ落ちそうな階段を登り、軋む扉を開けると、一気に立ちこめる安い香水と、煙草の臭い。天井は低く、床は波打っている。


「この人、何の仕事してるか分かる?」

僕をスナックに連れてきた同僚が、要らない振りをする。

「んー、お医者さん?」

そういう社交辞令のテンプレートのようなものが、スナックにはあるのだろうか。あるいは、スナックに馴染もうとしない僕の冷淡さが、そういう印象を本当に与えたのだろうか。

ソファーの上の、くたびれた縫いぐるみ。煮染めたような壁、そして、床から生えているんじゃ無いかと思うようなキャストの方々。僕はこの店で金を払ったことは無い。僕をここに連れ込む悪い大人達が、気がつくと金を払ってしまっている。

でも、金を払ってもらっている立場で言うことでは無いが、いったい、ここに金を払って飲みに来るというモチベーションは、どうやったら生まれるのだろうか。いったい、この店は開店何十周年なんだ。


スナック検索サイト(そういうものが、あるのだ)によれば、開業から2年、だって。世界線が揺らいでいる。

インド料理屋に於ける人種差別に関して

Photo: “4 sticks of sugar”

Photo: “4 sticks of sugar” Winter 2020. Tokyo, Japan, Apple iPhone XS max.

いつものインド料理屋。相変わらず、ビリヤニが最高すぎる。

食後、もうアルコールを飲まない僕のためにか、友人はマサラティーを頼んでくれた。ほどなく、熱いカップが置かれる。そして、スティックの砂糖も置かれる。インド人には砂糖が4本、日本人には砂糖が1本。

”砂糖が、4本?”

そして、躊躇無くカップに注がれる砂糖。嫁にコーラを禁じられている人がやることでは無い。


特に別注された訳では無い。インド人には4倍の砂糖が、規定値で供されるのだ。なんというアンチポリティカルコレクトネス、なんという非インクルージョン。ふと疑問に思ったのだが、日本で作られる砂糖スティックは、つまり日本人用の量で作られているという事なのだろうか。

という事は、インド産の砂糖スティックなら、1つで済むのだろうか。そして、そんなジャリジャリの紅茶は美味しいのだろうか。

ん?砂糖の追加?あ、僕は要らないです。

バターを食う

Photo:"Munich"

Photo:”Munich” 1995. Germany, CONTAX T2 Carl Zeiss T* Sonnar 2.8/38

ちょっとしたパーティーで、食うともなしに、パンに添えられたバターを食っていると、

「バター食うの美味いですよね」

と、向かいの席から声をかけられた。


バターについて、そういう視点で言われるのは、初めてだった。彼女の旦那はドイツ人、そういえば、ドイツに旅行したときにマッシュポテトのバターの量に驚いた。レストランで鮭の付け合わせに出された、黄色味を帯びた馬鈴薯のペーストは、バターの油分で信じられないほど柔らかかった。実際、バターを食うのは美味いし、ドイツ文化はバターの味わいというものをきっとよく理解しているのだろう。


彼女のバックグラウンドはITではなくて、だいたい音楽業界だ。もとは、クラブミュージックにはまって、それからGracenoteとか、その手の業界に居たらしい。時期的には、僕がCodecの違う沢山の「圧縮音楽」プレイヤーをじゃらじゃら持ってきているエンジニア(元音楽評論家)に、会社の休憩所で唖然としていた頃の事だろう。mp3が一気に普及して、様々なプレーヤーとメディアが一気に市場に出たのは、1998年頃だろうか。それから20年でCodecも、すっかり淘汰が進んでしまった。今の僕は、YouTubeのCodecが何かも知らない。(H264かな?)

そんな事があってから、やや自信を持って、バターを食えるようになった。コロナ収まったら、ドレスデンの軍事博物館を訪れてみたい。実家に、招待されているのだ。