じっと待つ

蛇口を、キュッとしめるように、何も書けなくなった。それは、良い兆候ではない。

書きかけのエッセイ10個、メールの返事、一文字も進まない。おまけに、原稿書きに使っているThink Pad 240の「T」のキーが壊れてしまった。(240の最初の方のロットを使っている方は要注意)キーごと、ポロッととれてしまった。しかし、「T」キーがな いというのは、とんでもなく不便だ。っていうか、「っ」とかが打てないので、文章にならない。


たまに読んでいた日記のサイトが、いきなり削除されていた。割と、精神的にぐちゃぐちゃになりがちな、自分を追いつめがちなサイトではあった。自分 の文章に誠実さを求める人が、最後にやることは、ページの削除なのかもしれない。僕も、何回かこのページを削除したことがある。その度に、復活させはし た。けれど、ページを消したという行為自体は、ページを復活させても、消えるものではない。ネットの日記やエッセイは、一見とても仮想的なものだけれど、 しっかり現実とリンクしている。日記を削除した彼女は、どうしたのだろうか。なんにせよ、あまり良いことが起こったとは思えない。僕はただ、たまにサイト を見ていただけの話だけれど、、。

僕自身のことを言えば、また書けるようになるまで、じっと待つ。別に、たいした文章を書いている訳ではないのだけれど、それでも、場つなぎのように文字を重ねることはしたくない。

ホームページ更新断念

「5月の雪」の管理者から、「ホームページ更新断念」のメールが来た。

僕のページの読者で、同時に彼のページも見ている人はきっと多いはずなので、非常に残念だ。理由はネタ切れと、Macを起動するのが面倒になったため、だそうだ。


ホームページを書き続けるというのは、それはそれは、かったるい作業である。

まして、エッセイなんてモノをメインにしていようものなら、更新の度にすり減る思いがする。「5月の雪」管理者がネタがない、というのは非常によく分かる。

滅多に反応のメールなんて来ないし(インターネットでWebを見ている人のうちで、ホームページの作者に感想を送ったことのある人は、何人いるだろうか?)、その割に、時間ばかりかかって神経も使う。

誰のために、何のために書くのか、分からないままに書き続ける。そして、少しずつ増えていくカウンターだけが、自分が何かをしているんだという実感を与えてくれる。

(だいたい、僕の文章は自己完結していることが多いので、もとから感想なんて書きにくいとは思う、、)


僕も、何度かこのページの更新をやめようと思った。しかし、やめてみると(ページのデータ自体を削除したこともある)、自分がこの世界に残す、何かカタチになるモノは、実はホームページぐらいしか無いことに気が付いたりした。

その他の理由もあって、僕にとって何かを書きそれを発表すると言うことは、結局、とても大切なことだ。


僕は、「5月の雪」の管理者に、なにがなんでも更新を続けろ、とは言わない。

それは、自分で決めることだからだ。しかし、もしリタイアされてしまうと、それはそれで寂しいことだ。一人で走るのは、面白くない。

ビル・ゲイツの講演

ビル・ゲイツの講演を聴く機会があった。

世界最大のソフトウェア・カンパニーの会長は、颯爽と、ではなく、へなへなと壇上に現れた。ゲイツ氏は疲れ切っており、肌はカサカサしていた。

はっきり言って、ほめられたプレゼンテーションではなかった。カリスマも感じられなかったし、会場に興奮はなかった。きっと、こういう仕事はスティーブ・ジョブズのほうが向いている。

しかし、ある意味でこういうタイプの人間だったからこそ、Microsoft を世界 No1. に出来たのかもしれない。

ラリー・エリソンは見た目ではビル・ゲイツよりエグゼクティブっぽいかもしれないが、OracleはNo1.ではない。スティーブ・ジョブズのプレゼンテーションはエキサイティングかもしれないが、Apple は No1. ではない。

きっと、IBM のガースナー会長の講演は、ゲイツ氏と同じように、つまらないのだろう。それが、No1. の「重み」なのだ。

さて、テレビで見るのと同じで、ゲイツ氏は猫背である。特に、椅子に座ったときに姿勢が、また悪い。

自分より姿勢の悪い人間を見るのは、久しぶりだった。