僕は、Webサーバになった

ここ最近、僕は仕事でずっとWebサーバをいじっていた。明けても暮れても、Webサーバを設定し、コンテンツをアップし、セキュリティーを調整 し、検索エンジンをチューニングした。そして、ついに力つき、風邪の症状が頂点に達し、熱を出し、寝込んだ。悪夢は、そこから始まる。


僕は、Webサーバになった。

言っておくが、Webサーバになるというのは、皆さんが想像するよりもずっと辛いことである。クライアントであるWebブラウザは、引っ切り無しに ファイルを要求してくる。接続が途中で切れたら、やり直さなければならないし、扱うファイルの種類も多い。見かけの割に容量のでかい、アニメーション GIFファイルは、Webサーバにとっては大の苦手ファイルだ。時には、ディレクトリ内を散々探して、ああ、ファイルが見つからない、と悩んで 404 File not found. エラーを表示することもある。いつまで、こんな過酷な仕事をしなければならないのだろう、、。なんで俺はWebサーバなんだろう。くそー。(ちなみに、 Microsoft Internet Information Server 5.0だったと思われる)


目が醒めて、布団の中で薄暗い天井を見つめている自分に気がついた。まだ、熱で頭がボーッとしている。その時、僕がまっさきに思ったこと。

「良かった、俺はWebサーバじゃなかった。」

仕事は程々、が肝心。

あと、Web作成者の皆さん、ページは軽くつくりましょう。Webサーバが可哀想です。

サイト評価サイト

こんにちは、「孤高のサイト」羊ページです。

別に、孤高でなくていいが。

さて、あまりにも孤高だとつまらないので、羊ページも律儀に幾つかのリンクサイトや、サーチエンジンに登録している。そうすると、都合の良いことば かりではなく、面倒な事態も発生してくる。例えば、サイト評価サイトなんていう社交的なんだか、内向的なんだかよく分からないサイトに、勝手に評価され る。

表向きは、「知ったことか」という態度を堅持するわけだが、そこはそれ、やはり気になる。誉められれば嬉しいし、まして、「自分が出したい味」みた いなものを的確に評価してくれている紹介文は、凄く嬉しい。「静かな共感が湧く」とか書かれると、よく分かってくれました、などと思う。

人は誉められたいし、認められたい。誰も、率直な批判なんてされたくない。だから、もしサイトを評価をするなら、酷くけなさない、少しでもいいから 何か誉める、ぐらいのことは最低守って欲しい。けなすぐらいなら、書かなければいい。よく、公開するからには批判も甘んじて受けるべきだ、なんて書く人が いるが、そういうことを書くヤツから先にメタメタにされればいい。

で、この羊ページも、気がつくと結構いろんな所で評価されているようだ。おおむね、なにかしら良く評価していただいているようで、密かに嬉しく思っ ていた。しかし、1つだけ、とことんむかついたサイトがある。そう、羊ページ管理者は、近年まれに見る、憤りを感じている。それは一部では有名なサイト評 価サイト、ホソキンズルゥムだ。(管理者の細田氏は、リンクの際は一報してほしいと書いているが、氏は羊ページには無連絡でリンクしたので、僕も無連絡でリンクする)

かのホソキンズルゥムによれば

羊ページ おすすめ
  全体に枯れた雰囲気のある若者ページです。しかし趣味がスキーで、好きな作家は村上春樹、というのは…あー、渋茶がうまい、って世界ですね。でも日記は雑文的にまとめていて、読ませる技術はあります。

書いてあること自体は、そんなに変ではない。コメント書いた人、文章下手だね、という印象は持つにしろ、何か悪口を書かれているわけではない。で も、「しかし趣味が」とか「技術は」とか、言葉の端々に出る、人の神経を逆なでする鬱陶(うっとう)しさはどこから来るのだろう。なんでそういうことを書 いてしまうのだろう。答えは明白、それは「ちゃんと読んでないから」だ。

そう、読んでない。恐ろしくいい加減にしか読んでない。にもかかわらず、さも読んだ風な顔で書かれた評価。一生懸命サイトをつくっている人に対し て、凄く失礼だ。そして、ホソキンの批評を読んだ管理者のいくらかは、そのことに気がついて、憤慨するのだ。ちゃんと読まなければ、つくり手の気持ちを無 視して、無神経なコメントをつけるのは容易だ。この「読んでいない」というのは、量を読んでいない、ということでは、もちろんない。作者が、そのページ に、その文章に、なにを込めたかったのか、そういう部分に対する理解が全く無い、という意味である

羊ページは、ホソキンで「おすすめ」に推薦されている。それでも、その評価がいい加減であることに変わりはない。何時間も、時には何日も試行錯誤し てアップするコンテンツに対して、「技術がある」と書くのではなく、「技術はある」と書くことが、どれだけ作者の気持ちを踏みにじるか、、。評価対象のサ イトを全部・必ず・読め、と言っているのではない。ちゃんと読まないなら、読まないなりの書き方が別にあるはずだ。

羊ページでは、原則としてサイト評価サイトのコメントに対しては、リアクションしないことにしている。ネットの世界では、軽はずみにそういうことを すると、直ぐに不毛なフレーム合戦になってしまうためだ。結局、論争は何も生まない。しかし、ホソキンズルゥムの失礼なサイト評価と、それに憤る他の善良 なサイト作成者の声が、僕を立ち上がらせたのである、、。って、べつに戦わないけど。

まあ、ようは腹が立ったので、ささやかな復讐をすることにした。ホソキンズルゥム管理者の細田氏によれば、ホソキンの評価を受けた人は、自分のサイトでホソキンズルゥムをメタメタに言っても構わないらしいので、そうさせていただく。

羊ページサイト評価コーナー:

ホソキンズルゥム おすすめ(ウソ)
他のリンクサイトのリンクをパクってきて、勝手に評価しています。画面の設計が、未知の文化体系に基づいて行われているらしく、どこになんのコンテンツ があるのか私には分かりません。メインコンテンツである無断リンク集にはコメントがついていますが、日本語が独特すぎるので、読解は困難。また、その内容 は、辛口と悪口を履き違えており、不快です。

株大幅安

最近、僕の勤め先の会社の株価が、大幅安という誤報が流れた。結局、株価速報用コンピュータのミスだったが、一瞬、判断が遅れたのか?と思った瞬間でもあった。判断というのは、言うまでもなく他の会社に移るタイミング、ということである。(あと、株売っとけばよかった、という後悔)しかし、流石に外 資系だけあって、「じゃあ、xxさん(僕の名前)、帰りに履歴書でも買いましょうよ。何枚か入ってるから二人で半分ずつ分けましょう」などと言う人も居た。あながち冗談にもならないのが怖い。

コンピュータ業界は、相も変わらず、リストラと買収の嵐だ。業界の展示会のような場で、控え室に集うコンピュータ業界の他社社員の会話を聞くともなく聞いていると、怖くなる。「今年も、そろそろ解雇の季節ですね、、」「去年は、xxさんの部署が丸ごと出されちゃったし、、」どこの会社とは書かないが、コンピュータ業界では 10指に入る大手の社員の会話だ。

あるいは、この間まで一緒に仕事をしていた ISV(独立系ソフトウェア会社)の人たちが、本社の日本撤退によって、いきなり失業する場面に出会ったりする。僕の立場から言えば、取り扱いの製品が 1つ減るだけだが、彼らは職を失う。逆に僕が職を失ったとしても、僕のお客にとっては、同じように業者の選択肢が1つ減るだけにすぎない。残酷かもしれないが、それがコンピュータのビジネス。


僕の周りには、会社をスピンアウトして(人によってはドロップアウトなのかもしれない)、自分の会社を興してしまう人もいるし、他社に転職していく人もいる。知り合いが退社の挨拶をしに来た時に、「うちの会社に来ない?」と誘われることもある。(社交辞令かもしれないが)あるいは、高額な一時金が提示された転職話にお目にかかかり、真剣に揺らぐことだってある。(もちろん、一時金だけが目当てではないが)

大学を出た後の就職先を探すというのは、ある意味、そんなに難しいことではない。どうせ企業のことなんてよく知らないから、賭のような気分で会社を決める。そして、そんなものかぁー、と思いながら勤めるのだろう。ところが、転職となると企業の事もある程度分かっているので考えることが多いし、転職の タイミングや転職先もいろいろ、給与もはっきり違ってくるので難しい。

別に、今の会社がやばいとか、そういう話ではなくて、どんな会社だって成長と倒産(あるいは買収)の可能性があるよね、という話し。今いる会社を見限って、より将来性のある会社に行ったつもりが、転職先が傾いて、見限った方が成長してしまうかもしれない。それは、全く分からない。もし分かったら、働いたりせずに、株で大儲けできるはずだ。


ところで、自分の将来をいろいろ考えられると言うのはよいことだけれど、疲れることもある。自分の所属意識が定まらずに、根無し草のようにフラフラ生きるのは、なんとなく不安だし、自信がなくなる。

僕の場合、今住んでいるところは大学の時から住み始めたので、昔なじみの人、というのが近所に居ない。入社以来、ほとんどメンバーの入れ替えがなかった今の部署は、一番長く同じ人たちと過ごしている場所と言っても良くなりつつある。もし、そこから出ていこうとしたら、正直かなりの抵抗を感じるはずだ。転職と一口に言っても、それほど割り切って決意できるものでもない。

それでも、今回の株価騒動で改めて分かったのは、自分は別に会社に忠誠を誓っているわけではないということだ。自分の所属するチームのメンバーや、 仕事の内容等には愛着がある。あるいは、企業の持っている文化や、価値観にも愛着がある。しかし、それらは会社がまっとうに動いている限りのことであっ て、それが立ち行かなくなれば、自分は会社を見限れる。会社とともには沈まない。


この不況の時代には、誰しも自分の職に不安を持つ。それでも、やはり自分の勤め先を変える可能性、ということに、進んで向き合う人はいないのではないかと思う。それでも、いくらかの確率で、みんなに降りかかってくる問題だ。今回の誤報で、少しはやく、その問題に向き合わされることになったのだ。