焼きイモ屋

寒い季節に生まれた羊ページの作者は、最近、誕生日を迎えた。年齢を重ねる毎に、少しだけ思いを馳せるのは、自分がここまで積み重ねたもののこと。そして、他の人たちが、同じように積み重ねるもののこと。

人は、その短い一生の中で、自分なりの歴史と経験を積み上げ、自分のカタチをつくっている。それを変えようとすることは、その人の内面を、深く否定することに繋がりかねない。カタチは、結果にすぎない。

だから人は、そんなには変われないと、僕は思う。変わりたい、あるいは、変わって欲しいと願っても、裏切られることは多い。特に、自分が変わって欲 しいと願った人に、裏切られることは、辛い。実は、誰かが誰かを裏切るわけではない。心の中に生まれた希望が、現実の固まりの中で、砕け、失望に変わるだ けのことだ。それでも、そうして生まれた失望が、とても苦いことに変わりはない。

考えてみれば、自分自身が変わることも難しいのに、他人に変われと期待すること自体、おこがましいのかもしれない。現実の世界ではむしろ、そうした 「変われないもの同士」に、どう折り合いをつけ、どう受け入れるのかが大切なのだろう。そのステップを越えることができれば、その先で少しだけ変わること が出来るかもしれない。
「かもしれない」だけだが、それが、希望だ。


この前聞いた、焼きイモ屋のアナウンス。
「甘くて美味しい石焼きイモが 1,000円で 3本以上の安心価格、一本からでも承っております。」

最近の焼きイモ屋は一味違う。昔、焼きイモ屋の掛け声と言えば、「ほっかほか」だとか、「とにかく、ほーっかほか」だとか、そういうお決まりの文句 だった。そして、いざ買ってみると、やけに高い値段を吹っかけられたりしたものだ。その焼きイモ屋が、具体的な値段でアピールするなんて、驚きだ。不況の 時代、焼きイモ屋も変わった。

買ってみれば、値段はともかく、イモは相変わらず水っぽい。所詮は、そんなものだ。それでも、今度こそはと思って買ってみる。それも、希望、と言うのかもしれない。焼きイモ屋だって変わるのだ。

注:実際は、作者は焼きイモがあまり好きではない。

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