癌サバイバー2名と飲む

Photo: "Bar."

Photo: “Bar.” 2005. Tokyo, Japan, CONTAX T3 Carl Zeiss Sonnar T* 2.8/35, Kodak 400TX.

今週はいささか奇妙な週だった。僕は個人的な嗜好としてもう酒は飲まないが、酒席というものは存在している。そして、私は癌だったので、と飲んでいる相手が僕に向かって言うのは、その時、今週2回目だった。日本人の癌の罹患率を考えれば、それはそんなに不思議なことではないし、どちらも僕の一回り上の人だから、まぁ、それはあり得る話だ。とはいえ。


片方の人を僕はよく知っていて、豪放磊落というか、まぁポジティブな人ではある。と同時に、好き嫌いもはっきりしていてそりの合わない相手には容赦が無い(その手の人に仲良くしてもらうのは昔からだ)、そんな毒舌も僕は好ましく思っている。もう片方はその日初めて酒席が一緒になった人で、話すうちにだいぶ波瀾な人生に内容が及んだ。その半生は、よほどの前向きさが無いと乗り切れない感じで、そのキャリアを通じて自分が社長の会社を2回か3回潰している。まぁ、どっちも恐るべき前向きタイプではあるようだ。

彼らは、飲み過ぎるということはもちろん無いが、少し正体があやしいぐらいまでは飲むタイプのようだった。その病をくぐり抜けてきたのであれば、そして今でも定期的な検査が必要な身であれば、それなりに生命の微妙なバランスとか、たまたま運良く生きているだけ、という生物の危うい感じはよく分かっているはずだ。しかし、それでも酒を飲み続けるのは、まあそうなのだろう。僕が入院していた時に、抗がん剤の導入のために入院していた同室のおっさんも、なにやら同窓会的な飲み会の打ち合わせを、見舞客としていた。


もちろん、いずれの時も、僕にはまったく飲みたいという気分は無く、ひたすら大量のジンジャーエールを飲み続けたのであった。それにしても酒を飲まないと、どうしても料理への評価は辛くなる。マリアージュ云々の話では無い。アルコールで味覚が誤魔化せないからだ。

写真集、印刷物

Photo: “Sidewalk.”

Photo: “Sidewalk.” 2020. Tokyo, Japan, Apple iPhone XS max.

レコードや、銀塩フィルムが、一周回って贅沢品になったように、紙の本も趣味と贅沢を示すものになるのだろう。カセットテープだって、今や贅沢品だ。

僕は買いたかった本が、Kindleでセールになっていると、迷わず積んでいくタイプだが(ホームスクリーンにある唯一のショートカットはKindelの本日のセールだ)、写真集は買う気になれない。写真集は、紙で買っていこうと思う。


まだ見ぬソール・ライター(THE UNSEEN SAUL LEITER)は、A4で160ページ。その割に安いと思ったら、中国での印刷だった。こういうものは日本の十八番というか、最後の牙城だと思っていたが、最近はそうでもないらしい。印刷の品質は文句なくて、物理的な質感を伴って写真を見られる、という当たり前を見直すような気になった。解像度だって、Retinaより高くて、画面は大きいのだ(間違った表現だと思うが)。

印刷物は素晴らしい。しかし、そうはいっても、やがては廃れるのだと思う。電子制御のオフセット印刷とは行っても、物理が絡むところにはなんらかの、職人的な技術がある。そして市場が失われれば、合わせて印刷技術は失われる。

それはともかく、紙の本を敬遠した時期があったのだけれど、もっと買っていこうと思う。あえて。

瞑想アプリと2年半の時間

Photo: “Tower of Babel.”

Photo: “Tower of Babel.” 2006. Tokyo, Japan, Zeiss Ikon, Carl Zeiss Biogon T* 2.8/28(ZM), Kodak EBX.

ほとんど毎朝使っている瞑想アプリは、1セッションだいたい10分なのだが、日によって時間の感じ方が驚くほど違う。全然終わらないなと思う日もあれば、もう終わりかという日もある。人間の感じる時間の概念の伸縮性が、感じ取れる。


COVIDが世界を覆ったこの2年半という年月も、似たような伸縮性の中にある。この2年半の時間の長さの印象には、今までの自分の一生に流れてきた時間とは、どうにもそぐわない、はまらない感触がある。急激にデジタルメディアに移行した体験の入出力に、頭が追いついていない。その渦中にいるときには意識されなかったものが、徐々に日常が戻るに連れて、奇妙な違和感というか、何かが変わってしまった感じとか、僅か2年少し前の世界の遠さとか、そういう事を感じる事が多くなっている気がする。

最後に物理的に会ってから、だいぶ時間がたっていても、そのまま印象が保存されていたりするし、その間にたった年月の意識が把握されていないから、びっくりするぐらい印象が変わっていたり。