NieR:Automataと、書棚J05036あたり

Photo: "Shrine."

Photo: “Shrine.” 2017. Nikko, Japan, Fujifilm X-Pro2, Fujifilm M Mount Adaptor + Carl Zeiss Biogon T*2,8/28 ZM

スクエニのNieR:Automataを一通りプレイして、ここ暫くの創作物の気分みたいなものを色濃くしていて、Metaverseあたりの人達がこれを支持している理由も飲み込めた。
以下ネタバレ。


アクションPRG?だそうだが、人類によって作られたアンドロイドが、既に滅んだ人類の栄光のために、既に滅んだエイリアンによって創造された、機械生命体と戦う、ディストピアストーリー。もう、どこにも救いが見いだせないのだが、それは、既に滅んだ神の栄光を信じて生きる人類のメタファーなのではないか。恐らくそういう意図を隠しているのでは無いか?隠していると言うよりも、見え見えなのでは?


我らのシミュレーションを作った創造主は、既に事切れているのではないか。我々が作り出したAIがやがてそれに取って代わり、我々は滅び、AIが既に死んだ創造主を想いつつ、世界の意味を探求するのではないか。そういう無限の入れ子が、この世界の実態なのでは無いか。神にこと寄せて神話が作られて、科学がそれに追いついて、そうしてシミュレーションが世界を追い越して全てを忘れて、また一からその歴史が作られて、そしてまた忘れられるーーー

最近、丸善本店3階の科学一般J05036あたりの棚を読んでいると、そういう流れが、SFというよりも、もっぱら学問的なところから押し寄せてきている気がするのだ。

どこを開いても、秋刀魚の味

Photo: “Taxi.”

Photo: “Taxi.” 2005. Tokyo, Japan, CONTAX T3 Carl Zeiss Sonnar T* 2.8/35, Kodak 400TX.

ともあれ、取り置きを頼んだ雑誌を丸善に取りに行ったついでに、少し本を見ようと思った。”あなたもデータサイエンティストになれる”みたいな本が平積みされていて、もちろんそんなものを読んだところで、データサイエンティストには多分なれないが。(しかし、あるいは万が一なれるかも知れない。。)


そういうものに、心底うんざりして、絵本のコーナーを通り過ぎて、映画のコーナーに来る。テクニカルに映像技術みたいな主題のものを、買おうかと思った。
でも結局、最初に目に付いた小津安二郎の本を手に取って開いた。秋刀魚の味について書かれたページだった。そのまま、レジに持っていった。後から読んでみると、それは秋刀魚の味について書かれた本であって、実は、どこを開いても秋刀魚の味なのだった。


道を行く人は、ダウンジャケットとかコートとか、ずいぶんと大層な格好をしている。僕は秋物の薄い茶色のセーターだけで、それがやや奇異に映るだろうか。今日はそんなに寒いだろうか?大して風は無いのに。ちょっと近所に行くような風に出てきてしまったからか。長く飛行機に乗るときに必ず持っていった、毛糸のカーディガンも持っては居るのだ。それも、この2年まったく飛行機で着ることはなかったのだが。
(1年前のメモ。この時買った本は、この稿に繋がる)

祇園精舎に鐘はなく

Photo: “Near from Rengeoin Sanjusangendo.”

Photo: “Near from Rengeoin Sanjusangendo.” 2002. Kyoto, Japan, Contax RX, Carl Zeiss Vario-Sonnar T* 35-135mm/F3.3-4.5(MM), Fuji RHP III.

実際には、祇園精舎に鐘と呼べるようなものはなく、そこに沙羅双樹も生えてはいなかったそうだが、そんな無粋なことはともかく、平家物語はちゃんと見ている。


結末は決まっていたとしても、今は、違う。

そういうテーマは、今のタイミングで凄く来る。僕たちの大方の人生も、結末は決まっているとして、今には無限のバリエーションがあって然るべきなのだ。

そういえば、タイトル曲を歌っている羊文学というのは、どういう人達なのだろう?