そして、あれから数ヶ月。茶碗夫婦のだんなから、
「また遊びに来ないか?」
という誘いが来て、夏の須磨を思いだした。海。砂は熱く、空は高く、汗が流れ落ちた、そんな夏のことだ。
結局、いろんなことが重なって、その誘いを受けることはできなかった。関係の中で生きる僕たちの時間は、いつの間にか、自分だけのものではなくなっていく。不自由なものだ。
そうそう、以前書いた、腕の良いバーテンは、昔の店に帰ってきたらしい。
街が、イルミネーションに飾られ始める頃に、また行こうと思う。あの街に。
写真と紀行文
そして、あれから数ヶ月。茶碗夫婦のだんなから、
「また遊びに来ないか?」
という誘いが来て、夏の須磨を思いだした。海。砂は熱く、空は高く、汗が流れ落ちた、そんな夏のことだ。
結局、いろんなことが重なって、その誘いを受けることはできなかった。関係の中で生きる僕たちの時間は、いつの間にか、自分だけのものではなくなっていく。不自由なものだ。
そうそう、以前書いた、腕の良いバーテンは、昔の店に帰ってきたらしい。
街が、イルミネーションに飾られ始める頃に、また行こうと思う。あの街に。
夕日の沈む頃、空に電線と団地の階段が交差する景色。それは、僕に子供の頃の夕暮れを思い出させた。
家への帰り道、いつも団地の中を通る坂道を歩き、走った。
あの頃、未来への不安はなかった。失われるなんて、思いもよらないことだったから。
大人になれば、生きることは楽になるのだと思っていた。少なくとも、もっといろいろな事が分かるようになるのだと思っていた。
でも、どうやら、違うらしい。最近の複雑な世の中では、自分の姿を見失うのはあまりにも簡単。
茶碗夫婦の家では、あまりテレビは見ないらしい。彼らの家のリビング・ダイニングにはテレビがない。
その代わり、窓際に Sony の小さなラジオが置いてある。僕は、こういう生活に、少なからずカッコ良さを感じてしまう。開けはなった窓の方から、静かにオールディーズが流れている。
神戸では、FM COCOLO がずっとかかっていた。関東の方で言えば、InterFM に近い。今より、もっとまともな多国籍放送だった頃の InterFM だ。
海岸には boston とか、70年代のあっけらかんとした音楽がよく似合った。More Than A Feeling、良い曲だ。そういえば、高校の文化祭で準備をしながら、BGM 代わりにかけてたよな、boston。
注:珍しく、わざわざ構図をつくって撮ってみたのですが、なんか滑稽な絵になりますね。妙なリアリティーの欠落というか。