「時の流れ」

Connaught Place
Photo: “Connaught Place” 2013. New Delhi, India, Richo GR.

「時の流れ」

なんていう手垢のつきすぎた、陳腐なフレーズの、下衆な歌詞がよくあるが。

ここでは時は、さっぱり流れていない。

いや、流れているのかもしれないが、そのまま海に流れ落ちて、雨雲になって、ものすごい勢いの雨となってまた元来た場所に降り注ぐのだ。


インドでは毎日雨が降った。

倦むことなく、惰眠をむさぼる犬の上にも、物見遊山の僕の上にも。

雨が止むと、草木はびっくりするほど青みを深くして、息を吹き返した。都市は、みっともなく水浸しになり、コンクリの隙間からは赤茶けた粘土が顔をのぞかせた。

倦むことのない繰り返し。流れない。

帰ってきたTechED

震災以来、開催がなくなってしまった TechED が de:code と名前を変えて戻ってきたので、行ってみた。

TechED についてのエントリーを書いたのは、いつだっけと思えば、もう 14年も前だった。開催地はすでに横浜ではない、そしてスケジュールは2日間に短縮され、トラックの数は大幅に少ない。それでも、出てみた印象はとても良かった。


以前の TechED が、どちらかというと US のイベントの資料を、そのまま持ってきて物量勝負的な部分があったのに比べて、トラックはよく整理され、コンテンツは日本独自で、単なる製品紹介に終わるようなものはなかった。エンジニアの英語のリテラシーが上がり、あらゆる資料がダウンローダブルでストリーミング見放題のこの時代に、あえて日本で何をするのか、ということをちゃんと考えたのだと思う。

中でも特に印象的だったのは、成本正史さんのセッションだった。Microsoft Corporation の人なので、純粋に日本のコンテンツとは言えないかもしれない。だが、クラウドアプリケーションのデザインパターンを 100分で 20個紹介する、という野心的なセッションは大成功だったと思う。彼は「ぶった」プレゼンテーションをする訳ではないが、あるいはかえってそれだから、この人はすげぇ、という感じが物凄く伝わってくる。


2日間、たったの 2日間だったが、そこから受けた空気感は、それこそ 14年前のあの感じとはまた違っていた。あの時のスナップショットとくらべて、テクノロジーで世界が狭くなって、速くなって、多様になったことが、手に取るように分かった。Microsoft が iPad でデモをし、Android アプリをビルドする様を実演する。テクノロジーは選択の時代になった、そんなことが彼らの口から語られるようになったのだ。

ではそんな世界から、自分がどの領域を選び、どのテクノロジーを選択するのか。もちろん、今はそれは単一の選択であるはずはなく、どういう組み合わせでやっていきたいのか。そんな事を考える入り口に立った気がした。

追伸:そういえば、会場で最もよく見かけた端末は、Surface でもなければ、ThinkPad でもなく、MacBook Air だった。開発に使いやすいってことか。

ピカピカスーツのクソ野郎

社会人が守るべきスーツの基本10。みたいな記事を、季節柄よく目にする。仕事のできるできないの判断は見た目が全て、まあ、そういうのは分かり易い。


スーツネイティブな欧米人の、それも VP とか役職の高い、その中でも「ある種の」人間を間近で見ると、一目で凄くいいものを着てるな、というのが分かる。真っ白のただのシャツだって、シワ1つ無くフワリと着ている。

そんな彼らを、僕は内心「ピカピカスーツのクソ野郎」と呼んでいる。これは僕の偏見だが、見事なスーツで、ピッカピカの格好をしているやつは、政治屋ビジネスマンだ。彼らは自分のキャリアとポジションしか考えない。その歪んだ努力と下らない誇りとが、ピッカピカになって見えているのだと、僕は感じる。


昔、僕がまだ社会人になったばかりの頃、社食の隅の簡素なテーブルで、もぐもぐ定食を食べている社長(日本の Country Manager だ)を見て、とても尊敬したし、そういう会社で働くことを嬉しく思った。スーツがどうだったかは覚えていないけれど、別に全然ピカピカじゃなかったと思う。

あるセミナーで、たまたまエリック・シュミットが現れて、ひとしきり喋っていった事があった。ざっくりしたシャツと、チノパンだった。ピッカピカではないけれど、すげーなと思った。

情熱の向いている方向、っていうのがあるのだろう。何かを食い物にしようという情熱は、スーツをよりピカピカに仕上げるのかもしれない。