データセンターのプロ

Photo: "Shibuya station 2006"

Photo: “Shibuya station 2006” 2006. Tokyo, Japan, Zeiss Ikon, Carl Zeiss Biogon T* 2.8/28(ZM), Kodak 400TX.

データーセンターでアンラッキング。僕にとっては、ちょっと昔みたいで心躍る仕事だ。作業開始から1時間。ギックリ腰持ちにはあまり実質的な出番は無いので、隅っこでSFPの仕分けなどをして、大物の作業を眺めていると、なんか1つ外れない。全ての作業はそこでスタックした。

SANスイッチをラックに固定しているネジが外れない、現場あるある。ソフトウェア畑でテックな、物理作業を舐めてる人は、時間の見積を誤る。物理作業は最低でも想定の2倍の時間を見積もるべきで、3倍でも良いかもしれない。


これは、帰れなくなるヤツだ。もちろん、工業部材なのだから、EIAの規格でスケールは決まっている。でもそういう話じゃ無いのだ。日本の会社がガチガチに作ったラックと、アメリカ大陸で育まれたラック金具は、その根源が違うのだ。

この前に、機器をここにラックした誰かが、その時地雷を埋めていった。適度に斜めにねじ込まれたネジは、頑として回ろうとしなかった。代わる代わる、頑張ってみる。そして半時間後、ネジ山は、完全に舐められた。(この絶望感は、タイムリミットの有る現地作業をしたことがある人でないと、分からない)


僕は、永年の友人にLINE電話をかける。(公衆回線の電波は遮蔽されている)元CE(データセンターのエンジニア)で、現ベンチャーのCEOの友人はいろいろなアドバイスをくれた。その通りに、ドライバーの頭をひっぱたき、糸鋸を引き、いろいろやってみるがダメだ。ネジをすっかりなめてしまった所で、通りがかりのプロが登場。後頭部にファンが付いたヘルメットを装備した、間違いないガチ勢。

プロのやり方は、元CEの友達に教わったのと基本的には同じだった。ただ、モメンタムが想定と10倍ぐらい違う。「ドライバーのヘッドを叩く」というのは、友人の言葉から想像した力加減とは完全に違っていた。まるで家を建てるんじゃないかと思うような力加減・速度・音響で、インパクトドライバを叩き込む。ドライバーのヘッドで、何か彫刻してる?そう思うような、そんな仕事なのだ。

バキッ、と音がして1本目のネジが砕けるように外れる。着手から3分も経っていない。


こういう技能に金を払う社会じゃ無いとダメなのだ。こういう日本のインフラを支えている職人の待遇をきちんとしないとダメなのだ。こういう技術を、ちゃんと受け継がないとダメなんだ。こういう事は、世界のどこでも期待出来るわけじゃない。日本で当たり前なこの技術は、そうは無い。

淡々と、きっちりネジをぶっ壊していったおっちゃんの仕事は、とても良かった。これで帰れる、感謝しか無い。

歴史の踏み絵

Photo: “Nathan Road 2”

Photo: “Nathan Road 2” 2011. Hong Kong, Apple iPhone 3GS, F2.8/37.

あの事件の翌日のテレカン、香港から参加した人も居た。もちろん政治的なトピックは話されない。しかし、彼はその日どんな思いで朝を過ごし、その場に臨んだのだろう。


香港の国安法の一件は、現代国際社会の踏み絵になるかもしれない。歴史の流れの中に居る人間が、その歴史的事実にどんな態度を取るのか。1930年代のヨーロッパで、誰が悪にNoと言えたのか。同じ事が、突きつけられている。

歴史の流れの中に身を置いたとき、正しく自らを処するのはいかに難しい事だろう。一体、どんな信念や、教育や、経験が、それを助けてくれるのか。歴史の知識か、直感か、勇気か。

英会話の先生は、”Hindsight is 20/20.”だと言っていた。


大学時代、ゼミの研究で在日米軍の基地を見に行ったことが有る。敷地の境界を越えた瞬間、警備員がすかさず寄ってきて恫喝された。その時、生徒を差し置いて、自分が真っ先に逃げた反戦平和を研究し生業にする助教授の姿を、僕は今でも忘れていない。(だから、僕はそういう人達を容易には信用する気にはならない)

一方で、別の(こちらは実に尊敬に値する)先生が言っていた「中国は、歴史上、一度たりとも民主主義を体験したことが無い国なんです(つまり易々と民主化はしない)」という言葉は忘れがたい。丁度、天安門事件から数年が過ぎ、ソ連は崩壊し、結局は中国も民主化に向かうのではないか、と多くの人が思っていた頃の話だ。そこから、20年あまりを経て、まさに先生の言ったとおりの事になっている。

続・習慣を管理する – Habitify.me

Photo:"Restore stone wall"

Photo:”Restore stone wall” 1995. Germany, CONTAX T2 Carl Zeiss T* Sonnar 2.8/38

外乱がない状態は、習慣の定着に貢献する。引き続きの在宅勤務は、自分のペースが乱れる要素が無いので、100日を超えてHabitifyによる管理は順調だ。

Habitifyについて書いた最初の記事が、結構読まれているようなので、100日使っての感想とTipsを書いておく。

まず、機能。機能は、良い意味で最小限で、過不足が無い。個々のHabitの管理の中でも、面白い点としてSkipができる。(多分UIが日本語化されていない気がするので、英語版の機能名で書いていく)これはHaibitの継続記録(Streak)に影響を与えずに、その日はHabitを意図的に行わない機能だ。これはとても良い。例えば、Go for a walkのHabitを作っていたとして、今の状況や日々の天候を考えると、必ずしも毎日外に行けるとは限らないし、望ましいわけでも無い。でも、やっぱり適切なタイミングで外に出るというのはやはり大事なのであって、そういう加減も含めてうまく管理できるのだ。

クライアントはWeb、iOS、Android、MacOSなんかが有るが(Windows/Linuxは無い)、iOS版とMacOSのメニューバーに常駐するMini版を高頻度で使っている。自分が長く時間を過ごすプラットフォームにクライアントが有ることは重要だ。WindowsとAndroidの組み合わせの人などは、多分印象が違うと思う。また、プラットフォームごとに、やや操作体系が違うのは違和感を感じる。


次に、使い方について。

設定するHabitの数について言えば、ある程度の数が合った方が良いと思う。最初は全部こなすだけで、なんか1日が終わってしまう感じがするが、だんだん最適化されてくる。僕は隙間無くスケジュールを入れるのは大嫌いなタイプだけれど、モチベーションは何かをやって初めて生まれてくる連鎖である以上、連鎖のきっかけになるトリガーはなるべく沢山あった方が良い。簡単なものでもHabitにしておくと、そこからトリガーになって、より面倒で重たいものに取り組める可能性は高い。増減はいろいろ有ったが、僕は現時点では15個を設定している。

各Habitに定量的な分量を決めるかどうか?という所では、決めない方が続くように思う。例えば時間的な要件は日によって違うし、モチベーションも違う。この目的はとにかく続ける事自体にあるので、質や量は問わないというのが正解だと思う。つまり、Read a book 10 pagesとか、Read a book 10 min.とかよりも、単にRead a bookに設定する方が良いと思う。日によって、気分は違うし、ある日さっぱり進まなかった項目も、後日取り戻せる可能性は高い。

Habitの実行をどこまで厳密に考えるかもある。例えば、English pronunciationというHabitに僕はELSAというアプリを使っているのだが、英会話教室の日とか、今日はテレカンでウンザリするほど英語を話した、というような日は、それで代替と考えてしまうようにしている。どっちにしたって、練習したことに違いは無いのだ。


最後に、自分の趣味とか楽しみを、Habitに入れるべきか、という話。これは止めた方が良いと思う。あくまで自発的に、やりたいときにやる、(もっと言えば、時間が無くてもついやってしまう)というのが趣味だったり楽しみだったりするので、それを管理してしまうと、楽しさを大きく減じることになる。趣味を仕事にするなというが(それは、僕は別にかまわないとおもう)、趣味をHabitに登録するな、というのは確かに言える。