臨界の日

その日、僕はいつもと違う窓から、空を見上げていた。開け放たれた窓から、ひんやりした初冬の風が吹きこんでくる。見慣れぬ部屋、かぎなれない空気。どこかで見たことのあるような、ベランダの向こうの街並み。部屋を吹き抜ける、光を含んだ風。

臨界事故を起こした核燃料工場からは、その日も、放射性物質が流れつづけていた。50年前、二十代の科学者達が、無邪気につくり出した核の炎。そいつは、初めて人を焼いたこの島の上で、コンクリートの容器に閉じ込められ、人々の生活をささえていた。そいつが、牙をむいた。

空は高く、雲が薄く流れていた。ここは、事故の現場に少しだけ近い、、。そう思うと、一瞬鼓動がはやくなった。

「ちょっと出かけてくるわ」
「ああ」

そう答えて、僕は窓のそばを離れる。読みかけの小説をもって、部屋に不釣合いなくらいおおきなソファーに腰をおろした。何度も読み返した小説。文字に目を落としながら、息を吸い込んだ。その日は、肌に触れる大気が、気持ちよかった。

光が力を失って、部屋の中は薄暗くなり、小説の文字はくろい染みのようになり、やがてそれも分からなくなった。彼女が帰って来たときも、僕は部屋中 の窓を開けっ放しにしていた。夕闇は、すでに濃くなり、空気はカラカラに冷たくなっていた。その部屋で、僕はぼんやりと座っていた。

「バカ」

僕は、鼻かぜをひいた。

注:この作品はフィクションです。

淡路島に渡る

注:本日の「今日の一言」には、関西に御住まい、もしくは出身の方には不愉快な内容を含んでいる可能性があります。あらかじめご了承の上、お読みください。

そしてまた、大阪に居るのである。

今、午前9時20分。僕は、なんとかJR神戸線という電車に乗ることができた。このまま、えんえんとこの電車に乗って、約1時間。去年の夏、僕と友達が訪れた須磨の海も通り過ぎて、舞子というところまで行く。

だいたい、営業が渡したメモには地下鉄で新大阪まで行け、という指示が書かれていたのであって、僕は血眼になって地下鉄に通じる地下道の入り口を探 した。メモにあった地図は、前日に泊めてもらった営業の家の周辺に関しては、申し分のない詳細さで描かれていたものの、肝心の駅に近づけば近づくほど、ええからかげんさが増していた。

それにしても、地下鉄への入り口が無い。普通の駅ならあったので、行ってみるとなぜか地下鉄の切符は買えた。しかし、ホームに向かって上る階段は あっても、下る階段はどこにもない。初めて気がついたが、大阪の地下鉄は、地上を走っているのだ。あの「地下鉄漫才」を生んだ関西の地下鉄が、地上を走るなどという事が、許されるのだろうか。

窓から朝の街並みを眺めながら、「地下鉄」で新大阪に向かった。アナウンスは、丁寧に日本語(標準語)と英語(米語)、そして呉服のことならどこどこにお任せ、といったワケワカラナイ宣伝。余計なお世話だ。

腹が減ったので、新大阪で何か食べようとも思ったが、この危険な地域で、一人で店に入る気にはやはりなれない。東京でさえ、朝の喫茶店でモーニング を食べるような習慣を、僕は持ち合わせていない。かといって、なにわのオヤジどもが鈴なりになってエッグマフィンを食っている、マクドナルド(略称:マッ ク。マクドではないぞ、マクドでは)は、近づいただけで食欲が失せた。さっさと神戸線に乗り換えよう。

さて、そういう感じで、とにかく神戸線には乗ったのだ。丁度、須磨を過ぎた。関東で言えば、小田急線の江ノ島のような感じと言えばいいだろうか。あと少しで、舞子に着く。そこから、生まれて初めて、淡路島に渡るのである。それにしても、腹が減った。


いったい、どれが真実なのだろう?

「ここから、そのインターチェンジに行くバスはない」(おいおい、まじかよ)
「10時55分に、そのインター行きのバスがでますわ」(なるほど)
「10時40分に、バスは来ますよ、でもちょっと遅れるみたい」(はぁ、そんなものか)
「10時25分に、そのインターの近くまで行くバスがあるから、それに乗っていくといいよ」(近くって、、)
「よく分からないから運転手に聞け」(あんた行き先案内の係員だろうが)
「赤いバスがきたら、シャア専用だから、目的地には早く着くはず」(君に聞いた僕が間違いだった)
「待ってれば、そのうち、必ずバスは来るよ」(だといいなー)

舞子から、現地までは高速バスに乗らなければならない。バス乗り場は、「淡路花博行き」「それ以外」の2種類しかなく、僕が乗るべきバスは「それ以 外」のバス停に来る、無数のバスのうちのどれからしかった。係員という係員に訊き、営業や、関西で働いている同期に電話をかけた。その結果得た、僕が乗るべきバスに関する情報は、ここに挙げたように、極めてええからかげんであり、まちまちなものだった。

ちなみに、正解は「バスは11時ぐらいに、来た」でした。ああ、関西。

注:作者は関西及びマクドに対して、なんら悪意をもっているわけではありません。また、東京が大阪より優れている、といった論理を展開する意図も全くありません。

志賀直哉を読んでいる

最近、志賀直哉を読んでいる。

普通、日本の学校に行っていると、中学か高校あたりの国語の授業で「城の崎にて」という短編小説を読むと思うが、志賀直哉はその作者だ。本の内容と その感想は、そのうち(近くはない将来という意味だと思ってください)[小説鑑賞]の方に書くと思うので、志賀の小説全般を通して感じたことを少しだけ書 いてみる。

志賀直哉の文章ってどんなの?と考えると、難しい。あえて言うと、これこれではない、ということが多い。つまり、ドラマティックではないし、文学の 薫り高いわけでもない、冷めているわけでもない、退廃的ではない、情熱的でもない。むしろ、いろんな印象を取り去っていくと、志賀の文章が見えてくる。

志賀直哉の作品は、私小説と呼ばれるものだそうだ。それって、あえて言うなら、Web日記みたいな感じ?そうなのだ。物凄く大胆に言ってしまえば、 Web無き時代のWeb日記。読まれることを前提にした、私的な文章。そんな、志賀直哉の小説を読んでいて僕が感じたのは、ある種の安堵だった。

僕自身、4年以上にわたってこの[今日の一言]を書きつづけてきて、自分の書きたいものとか、書きたい文体とかがほんの少し分かってきた気がする。 それは、今ある普通の小説のような物よりも、むしろ志賀が書いていたような、これこれではない、という感じのものだ。志賀の文章を追いながら、僕は何度も こう思った。

これが文学?これでいいの?そうか、こういうのを書いて良いのか!自分でも、こういうのを書いていいのか!

もちろん、志賀みたいな文章はいくらでも書けるとか、そういうことが言いたいのではない。ただ、自分の心を、こんな感じで文章にすることが、たぶん間違ってはいないのだ、ということに気がついた。それが、僕の感じた安堵の理由だった。