阪神電車が通り過ぎる。
地図もガイドブックも持たず、ただエッセイの文面だけを参考にして歩いたので、自分がいる場所がよく分からない。少なくとも、線路に沿って歩いていけば、目的地に着くことは確かだ。
しかし、線路沿いの道には、飲食店はおろか(どんな「いけてない」店でも、迷わず入ったはずだ、もしあれば)日陰すらなく、通すがる人も無く、無意味に疲労だけがかさんでいく。太陽がジリジリしている。
写真と紀行文
阪神電車が通り過ぎる。
地図もガイドブックも持たず、ただエッセイの文面だけを参考にして歩いたので、自分がいる場所がよく分からない。少なくとも、線路に沿って歩いていけば、目的地に着くことは確かだ。
しかし、線路沿いの道には、飲食店はおろか(どんな「いけてない」店でも、迷わず入ったはずだ、もしあれば)日陰すらなく、通すがる人も無く、無意味に疲労だけがかさんでいく。太陽がジリジリしている。
さて、3回にわたって神戸から「羊ページ」をアップデートしたわけだが、そこまでして本当にリアルタイムで見ている人がいたのか?というと、どうや らいたようである。(このページの読者は大半が、感想を送ったりする習慣を持っていないようなので、一般的にはどうだか分からない)
関西出身のある読者は、我々が国道 43号を歩き、餓死&脱水死の危険に見舞われている様を見て「あーーぁ、2号線の方に行けばいいのに、ファミレスもコンビニもいっぱいあるのに」と盛り上がっていたそうだ。知ってるんだったら、先にメールで教えてくれ。
あの道は、本当に酷かった。目的地に対して直線的に進めるので確かに効率はよいのだが、食事のできる店が結局僕らが入った寿司屋1軒だけだというの は凄すぎる。人通りもほとんど無く、「旅先での心温まる出会い」や「一夏の切ない思いで」になるような要素は、かけらもなかった。
それから、神戸牛について言えば僕らが「外した」店に入ってしまったせいなのかもしれないが、後から振り返ってもいまいちだった。とにかく、落胆し たのが 7,000円も払わされたのに、ステーキが鉄皿の上に乗って出てきたことだ。これは、一見すれば盛り上がって良いように思えるが、食べているうちに肉にど んどん火が入り、硬くなるという悪夢のような食器だ。(もちろん、ファミレスのステーキが鉄皿に乗っていても、僕は何ら不満ではない、今回は 7,000円なのだ 7,000円)更に、肉を硬く焼きしめたあとは、直ぐに冷めていくという、実にやっかいなおまけもある。まともな神経なら、そんなものに肉を盛ったりしな い。しかも、肉は焼きすぎ、冷房はいりすぎ、客も少なくて雰囲気寒すぎ、、って外しの店じゃないか。よくよく考えたら。
ところで、神戸で短い休暇(別に、これが夏休みというわけではないのだが)を過ごして間もないが、今週末から韓国に行く。なにも、8月15日の開放 記念日(大日本帝国の無条件降伏に伴って、朝鮮半島が自治権を取り戻した日)で反日感情の盛り上がるこの時期に、韓国に行くこともないだろうとは思うのだ が、今回は仕事なので仕方がない。AT&TのグローバルローミングサービスでSeoul APにうまく接続できれば、多分、現地から更新することもできるのではないかと思う。
神戸から「今日の一言」を書いていて思ったのは、人は何かをしているときには、自分が今していることの本当の意味が分からない、ということだ。ホテ ルに戻って、あるいは帰りの新幹線の中で、さっきまで自分が体験したことを書こうとしても、何を書けばよいのか、書かなくてよいことはなにか、それが分か らない。だから、とりあえず自分がやったことを、定量的な事実を、書き留めておくことしかできなかった。
神戸の旅は、事前にほとんど計画をたてない旅であり、そして、どちらかと言えば現実的あることを常に要求される旅だった。こう書くと、奇妙に思われ るかもしれないが(無計画な旅がなんで現実的?)、絶えず進路や道のりを考えつつ歩いたり、コストと利便性を考えながら乗り物を選んだりする、そういった 作業は極めて現実的で散文的な作業なのだ。それだけに、何かをじっくり考えたり、なにかに思いを馳せることも無く、ただそこではいろんな体験を体の中に詰 め込んだに過ぎない。
そのうち、あるいは改めて神戸への旅について書くことになるかもしれない。