「カッコイイ」を持ち帰る

Photo: 看板 2003. Tokyo, Japan, Sony Cyber-shot U10, 5mm(33mm)/F2.8, VGA.

Photo: "看板" 2003. Tokyo, Japan, Sony Cyber-shot U10, 5mm(33mm)/F2.8, VGA.

寒い冬の朝。

林の中で焚き火を囲み、暖を取る甲冑姿の農民。繋がれた馬達は、風上に尻を向けて寒さをしのいでいる。

時代劇映画の撮影で、出番待ちをするエキストラ達の風景だ。当時助監督だった黒澤明は、その光景を見て、こういうシーンこそ撮りたい、と思ったそうだ。その時代の、日常のリアリティーを撮る。映画だから出来ることだ。


映画は万人には撮れないが、僕達も僕達の日常の中で、「美しい」「カッコイイ」「面白い」と思ったシーンに出会うことができる。そして、その感性は、映画監督のそれと、さしてかわるものではない。(まったく違うとすると、僕達は映画を面白いとは思えないはずだ)

そして、そんなシーンを目に焼き付けるばかりではなくて、思うままに切り取っていけたら楽しい。Cyber-shot U10 を数日使ってみて、これはそんな用途にぴったりだと思った。何かを探しにいく、というのではなくて、偶然出会って目にしたものを、少しだけ持ち帰る感じ だ。

あ、この看板キレイ。

それぐらいのもんで。

南の島の星の砂 — Cocco の絵本

Photo: 伊江島伊江港 1995. Okinawa, CONTAX T2 Carl Zeiss T* Sonnar 2.8/38, Fuji-Film,

Photo: "伊江島伊江港" 1995. Okinawa, CONTAX T2 Carl Zeiss T* Sonnar 2.8/38, Fuji-Film,

Cocco の描く歌詞や絵はもちろん、凡庸とは一線を画していた。

それでも、彼女は歌を歌う人だった。彼女の歌声は、洒落ただけの空っぽの歌とは違って、言ってみれば、もっと美しくて、もっと深刻だった。しかし、彼女の歌手としての生活はいつも不安定で、自分の生み出したものに喰い尽されそうにさえ見えた。

2001年、Cocco はステージを去った。彼女は歌うことを、止めた。「絵本をつくりたい」残したメッセージはそれだけだった。復活コンサートも、なんの続報も、なにもなく、時間が過ぎた。一年半。

ある日、彼女の絵本が、本当に書店に並んでいるのを見たときには、とても驚いた。彼女が、たとえ何の手段によってでも、皆に向かって表現することは、再びあるまい、と勝手に思っていたのだ。


わずか数頁の、とても丁寧に描かれた絵本。物語は、幸せに終わっていた。そんな話を、彼女が描くようになったのだ。

カバーの裏に、思い切り笑っている Cocco の写真があった。そこは、太陽の降り注ぐ、夏の沖縄のようだった。彼女は還るべきところに還ったように見えた。


書籍データ:南の島の星の砂, Cocco, 河出書房新社, 2002, ISBN: 4309265847
参考文献:Cocco―Forget it,let it go SWITCH SPECIAL ISSUE, スイッチ・パブリッシング, 2001, ISBN: 4884180011
関連ホームページ:出版案内

宇多田ヒカルのポスター

そういえば、Deep River のおまけにくっついてきた、ポスター。
東京のどこかの下町の裏路地に、うつむき加減に立っている宇多田ヒカル。


綺麗だとか、そういう写真ではない。ただ、凄く親密な感じがする写真。
部屋にポスターを貼ったりすることはあまりないのだけれど、しまう場所もないので貼っておいた。

今見ると、もしかして、これって宇多田のダンナが撮ったのかもしれんなぁ。と思った。