電車で、向かいの席に座った女性。
誰かに似ている。あるいは、忘れてしまった誰かなのか。
左手の薬指に、指輪。
ノートの真ん中に線を引いて、左側に失ったものを、右側に得たものを書いてみる。そんな話が、村上春樹の小説に出ていたっけ。
多分、綺麗な人だった。でもやがて、その顔も忘れてしまった。
電車で、向かいの席に座った女性。
誰かに似ている。あるいは、忘れてしまった誰かなのか。
左手の薬指に、指輪。
ノートの真ん中に線を引いて、左側に失ったものを、右側に得たものを書いてみる。そんな話が、村上春樹の小説に出ていたっけ。
多分、綺麗な人だった。でもやがて、その顔も忘れてしまった。
旅先に持っていく音楽は、自分が本当に聴きたい音楽。
その夏、南の海を見ながら、僕が聴いていたのは彼女の歌だった。その時、僕はまだカセットテープのウォークマンを使っていた。悲しい歌が多かった、でも落ち着くことが出来た。
熱に浮かされたような季節で、僕は今よりも少しだけ若く、そして、脆かった。彼女の歌の脆さが、僕を惹きつけたのだと思う。
今度の Cocco の、最後のアルバムには、光が入っている。歌は、もう悲しくない。
歌うことが、自分を癒すための何かだったとしたら、その意味での歌というのは、彼女にとっては、もういらない。そういう、ことかもしれない。
いつか、また、別の形で彼女に会えるといいなと思う。
都内某所のクラブで、I.W.Harper の、やけに濃い水割りを飲んでいた。隣に座ったのは、ついこの間まで音響関係のアシスタント・ディレクタをしていたという 20代半ばの女の子。
「どんな音楽、聴くんですか?」
と訊かれて、とっさに
「あー、あゆ」と答えた。
「うげ、めちゃめちゃミーハーじゃないですか」
まあ、別に嘘じゃあない。僕は結構あゆの曲が好きだ。ちゃんと聴けば分かるけど、彼女の CD は、どの曲にもたっぷり金がかかっている。
聴かせるフレーズがふんだんに織り込まれ、キャッチーな音色を使って編曲され、ボーカルは芸術的に加工され、全て計算し尽くされている。しかも、 フィニッシュのマスタリングは、平均的で安っぽいオーディオで再生したときにフラットになるように、明らかに操作されている。いわゆる、いい音ではない が、売れる音なのだ。そういうのは、別に不愉快だとは思わない。
あるいは、彼女の歌詞を批判する人もいる。自分の事しか歌わない、身の回りのことしか歌わない、そんな批判だ。でも、久しぶりに歌詞を批判される歌手が出てきたこと自体が、僕には嬉しい。
そういうわけで、僕はあゆの曲が結構好きだ。それにしても、
「あゆだなんて、もろに世間に流されてません?」
「う、、うん(しまった、この子が元業界関係者だってことを忘れてたよ、、)」
注:別にあゆだけ聴いてる訳じゃないです。
注2:「あゆは歌が巧い」とは一言も言ってません。