鹿島工業団地

Photo: 2001. Kashima, Japan, CONTAX T2 Carl Zeiss T* Sonnar 2.8/38, Fuji-film

Photo: 2001. Kashima, Japan, CONTAX T2 Carl Zeiss T* Sonnar 2.8/38, Fuji-film

工業団地を抜けて、海岸まで来た。車を降りて、僕はContax T2を取り出し、堤防によじ登った。海は時化で、沸騰したように白くなっていた。

こんな景色を撮りたかった。コンクリと、水と、綺麗な景色ではない。でも、嘘がない。


消波ブロックすれすれまで近づくと、波の咆哮が足下から聞こえた。空気が海水の粒子でベタついている。波のリズムが深くなり、おおきなヤツが来そうな気がする。波はとても大きくて、下手したら死ぬんだろうなと思った。

ファインダーの中、一面に泡雪のような波が砕け散った。綺麗だ、とシャッターボタンを押した一瞬。頭の上から、切るように冷たい海水が降り注ぎ、そして何も聞こえなくなった。

バッシャーーーッ。
「うぎゃーーーーーーーっ、波がぁーーー」

鹿島に行ってきた。そして、こんな写真が残った。(カメラが海水まみれ)

もの書きに関する雑感 その3

もの書きに関する雑感 その3

昔から、「ぬるい文章」はキライだった。誰かを傷つけるくらいの、とがった文章じゃないと意味がないと思ったりしていた。でも最近は、そんな風には 思わない。自分が考えていることを、明確に文章にすることさえ、そんなに大切なことではないように思えてきた。誤解したい人はすればいい、つまならいと思 う人は、見下せばいい。受け取れる人だけ、受け取ればいい。
「城の崎にて」などで有名な、作家 志賀直哉は、書き直せば書き直すほどに、文章が短くなっていったという。あまりにも文を削るので、今では研究者でさえ意味が分からなくなってしまった表現が幾つもあるそうだ。それだけ削って、なお彼の文章は優しい。

いっそ何も伝えないような文章。全て、読む人にまかせてしまうような文章、そんなものでもいいんじゃないかと思う。

姿ハ似セガタク、意ハ似セ易シ。

姿ハ似セガタク、意ハ似セ易シ。(本居宣長 1730?1801)

コンセプトとか発想を真似るのは簡単だが、姿形を真似るのは難しい。まあ、そんな意味のことだと思う。一瞬、「それって逆じゃないか?」と違和感を覚えるが、よくよく考えると、こっちが正解。

物事の姿形の大切さと、そこに込められた愛おしさ、そんなことを最近よく思う。それがデザインなのであれば、製品の見た目や使い心地。それが文章であれば、バランス感や空気感。

あるいは人であれば、それは佇まい。その笑顔も、その俯いた表情も、あなたにしかできない。例えば、そういうことだ。

注1:もともとは、フォントメーカーとして有名なモリサワの雑誌広告で引用されていた一言。最近、デザイン系の雑誌に興味があるのです。
注2:本居宣長 江戸中期の国学者。国学四大人の一。三十余年を費やして大著「古事記伝」を完成。儒仏を排して古道に帰るべきを説き、また、「もののあはれ」の文学評論を展開した。[株式会社岩波書店 広辞苑第五版より、抜粋]