ミーティングをすっとばす

本とか、学問とか、そういうものは実際の仕事には役に立たない。

そんなことはあるまい。仕事に直ぐに役立つ、「実学」と言ってよい本や学問は、沢山ある。

例えばD・カーネギーの「人を動かす」なんていう本は、営業を生業とする人なら是非読んでおきたい、対人交渉の実践的な教訓集だ。あるいはコンサル ティングの世界では有名(?)な「ケプナー・トリゴー・ラショナル・プロセス」は、きちんと体系化された問題分析の手法であり、正確に学問と言えるかは分 からないが、現場でとても役に立つ。

種類もレベルもいろいろあるが、これらは、真理を探求するというより、実世界で成果を出すことを目的とした、極めて実践的なものばかりだ。そして、 これらをうまく応用すれば、自分が持っている既存の考え方・やり方を壊して、仕事に新たな広がりを持たせることができる。こうした新しい考え方は、本を読 んだり、数日間のトレーニング(講習会)に参加したり、あるいは、本格的に学校に通ったりすることで、仕入れることができる。後は、実際の仕事で使うだけ だ。

しかし、なにせ実世界への応用だから、その実践には多少の痛みが伴う場合もある。


しばらく前の話になるが、僕はお客とのミーティングをすっとばした。状況としては、お客とのミーティングが始まる時間に、僕は依然として遥かかなたの地点で電車に乗っていたのである。はっきり言って、時間の計算を間違えた。

僕が行かなくても、ビジネス上は全く問題ないミーティングだったが、お客相手にこういうことをやったのは、入社以来初めてのことだ。しかも、悪いこ とに、そのミーティングには僕の直上の(report toってこと)マネージャーも参加していたのだ。更に悪いことに、「会社はなめても、お客はなめない」が口癖の、カリスマ・コンサルタントも、参加メン バーだった。挙句の果てに、そのメンバーも含めて、午後は定例のチームミーティングである。

状況が、悪い。「ケプナー・トリゴー・ラショナル・プロセス」は、製造ラインの問題分析は出来るが、ミーティングをすっとばした際の対処ついては、なんの指標も出してくれない。

ところが、別に責められなかった。

拍子抜けするぐらい、文句も言われなかった。現在の僕のマネージャーは、口うるさい人ではなく、むしろ「癒し系」なのではあるが、それでもおかしい。なんで?

その理由は、後日判明した。

つまり、僕がミーティングをすっとばした前日、マネージャーはあるトレーニングを受けていた。それは「部下を育てるリーダーシップ講座」。曰く、 「部下を育てるためには、最初の失敗に対して、過度に責めたててはいけない」。この素晴らしい講義に感銘を受けた(多分)マネージャーは、翌日、早速それ を実践するはめになったのだ。申し訳ないことに、、。

蛇の毒

蛇の毒は、単に餌を得るための道具にすぎないという。

つまり、蛇の毒は本来攻撃のためにあるのではないし、蛇は攻撃のために生まれてきた動物でもないのである。人間側の勝手なイメージが、蛇を攻撃的で 致死的な動物だと決め付けている。大半の蛇は、人間なんて食べないので、人間相手に毒を使いたくはない。しかし、人間は蛇の致死的な能力に怯え、蛇を捕獲 し、殺そうとする。であれば、彼らも、その致死の液体を戦いに使わなければならなくなる。彼らは、本当は食事のネズミを獲りたいだけなのに。

別に蛇の話しがしたいのではない。人の話しをする。


人は、自分には理解できないこと、力の及ばないことをする他人を恐れる。ありていに言えば、自分には無い能力を持っていたり、自分の立場を脅かすよ うな力を感じさせる他人に不安感や不快感を持ち、それを排除しようとする。クラブで足の速いヤツ、クラスで偏差値の高いヤツ、ゼミで弁の立つヤツ、バイト でお客に評判のいいヤツ。自分の能力と、相手との差。それは、やっかみとともに、恐怖を呼ぶ。そして恐怖は、理由無き攻撃を生む。

直接殴り合ったり、剣で雌雄を決することがなくなった現代、人と人との戦いは、知恵を絞った策謀の仕掛けあい、あるいは、卑劣さ比べになる。人の知恵は、蛇の毒と同じように、本来は攻撃のためにあるのではない。しかし、そのように使う事だってできる。

冷静に考えれば、足の速いヤツは、試合で勝つことが目的だ。偏差値の高いヤツは、良い大学、お客に評判が良いヤツは給料か、仕事への情熱か。いずれにしても、他人を負かすことが目的では全くないはずだ。しかし、それが怖く見える。その牙が、自分に向くことを恐れる。

恐怖が、人の目を曇らせ、冷静さと分別を奪い、無意味な争いと足の引っ張り合いを生む。

蛇は、生命を脅かされたと感じれば攻撃してくるが、それ以外では極めて安全な動物だ。彼らは優秀なハンターであり、ネズミなどを捕食して、結果として人間の育てる穀物なども守る。理解しあうことは難しくとも、お互いにお互いの役割というものがあるのだ。

人と人も同じこと。蛇を殺すのは愚か者のすることだ。

売れないピザ屋

近くの駅に、ピザ屋ができた。

駅は、都心から離れているせいで、構内がやたらと広い。駅ビルのエントランスは、6階までの吹き抜けになっていて、クリスマスには、15メートルぐらいあるクリスマスツリーが、春には、桜の巨木が、まるごと飾られる。

改札口の周囲も、やはり相当に広い。駅が改築されてすぐは、がらんとした何もない空間が広がるだけだったが、いつの間にか売店やら、マクドナルドやらが出来始めた。そのうち、小さなコンビニとか、アクセサリーや化粧品などの雑貨を売る店も登場した。

しまいには、ちょっとしたカフェができた。なぜカフェかというと、駅の中なのにオープンテラスがあるからだ。数量限定のスペシャルメニューもやっているし、エスプレッソも出す。ここまでやれば、いくら駅構内にあるとはいってもカフェと呼ぶしかあるまい。

ほとんど、改札前商店街。

商店街に新しい店が出来ると、開店の初日はなんとなく面白い。朝、会社に行きがけに見ると、真新しい店が、まさに営業を始めようとしている。神妙な 顔をした、一目で関係者と分かるオジサン達が、遠巻きにしながら店の様子を窺がっている。ピリピリした店員が待ち構える、ちょっと異様な雰囲気の店に、そ れでも徐々に人が入り始める。オジサン達は、ひそひそ話しながら、心配そうに店の様子を見ている。

それから数時間、僕が会社から帰ってくる頃には、店は昔からあったかのように、普通に動き始めている。そうやって、新しい店が、風景の一部になっていく。


さて、その改札前商店街の一角に、突然、ピザ屋ができた。ピザ屋といっても、持ち帰りだけの小さな店だ。

店の大きさは、ほんの数平米。これ以上はこじんまり出来ないだろう、というぐらいこじんまりした店。しかし、いちおうオーブンというか釜というか、 そんなものはある。値段は、市価の半値ぐらいで、フルサイズのピザが1,000円からの値段で買える。宅配サービスや、食べるスペースを省いてあるから、 その値段で出せるのだろう。

店員はたいてい、バイト(多分)の女の子が2人。1人が焼きで、1人が呼び込みだ。周囲には、いつもピザの焼きあがる香ばしい匂いがしていて、美味しそうだ。メニューも、何種類かあって、1人でつまめるミニサイズのピザも用意している。

しかし、僕は、客を見たことがない。

別に、不味そうではぜんぜんない。しかし、誰も買わない。僕は、誰も取らないチラシ配りとか、人気の無いストリートミュージシャンとか、有権者が集 まらない選挙カーとか、そういうものに同情してしまう性質だ。同情というのが言いすぎなら、関心を持ってしまうと言っても良い。それだけに、この客の無さ 加減が、なんとも興味を惹く。なんで客がいないんだろう。

実は、何度か買おうと思ったことはある。しかし、その度に困るのは、買うべき理由が思いつかないこと。僕には、そこでピザを買う理由が何も無いの だ。アツアツをテイクアウトしても、駅から僕の家までは、ピザが冷めるに十分な距離がある。でも買ってみたい。僕が好奇心に負けるのが先か、その店が潰れ るのが先か。どっちが早いだろう。

僕が住む街には、売れないピザ屋があるのだ。