Y2Kの記録

Y2Kの記録を後世に伝えるため、ここに記録を残す。


1日目。
Y2Kの電話サポート要員で出社、したが、すげー暇。
新年の挨拶でもいいから、誰かかけてきてくれ。

午前中は一本も電話が来なかった。
午後は帰ってよくなった。
帰るついでに、近所のサイゼリヤで昼ご飯。せっかくなので、ピザ、小海老のサラダ、パスタとビールで新年を祝った。やはり海老はうまいということを確認。いろいろ食べて1人1000円ちょっと、妙に安い。


2日目。
Y2Kの電話サポート要員で出社、したが、すげー暇。
苦情でもいいから、誰かかけてきてくれ。

午前中は一本も電話がこなかった。
非常食として確保されていた「紐を引くと暖まるカレー」と「2000年記念ホットヌードル」を昼飯に食べる。無料。失敗点としては、全館空調が停止しているらしく、室内にえもいわれぬ臭いが立ち込めた。周囲の人、ごめん。

午後はボランティアで残る。(給料はキッチリもらうが)依然として何も起こらない。他に残っている人たちとともに、暇との戦いが続く、、。明日もこんなんか?

ちなみに、この記録に食べ物の話題しかないのは、他に特筆すべきことがないため。

家から応援

Y2Kで出社したはいいが、ゲームも飽き、Webも飽き、CDも飽き、そろそろ飲みに行きたい皆さん、ご苦労様です。羊ページです。私は家から皆さんを応援しています。ガンバレー。

羊ページは、あんまり面白くないページですが、この際、Y2Kな皆様のために特別体制で更新しています。嘘です。


テレビを見ていたら、自分の勤める会社のY2K対応センターみたいなものが中継されていた。

カリフォルニア本社からの中継。部屋の雰囲気は、至極、のんびりしたもの。何人かのスタッフが、電話に対応していたが、貴様絶対私用的内線電話だろっ、て感じの表情。中には、ディスプレイに真剣に向かっていた人間も居たけど、それはソリティアに違いない。

レポーターのインタビューに答えていたセンター長のポール(仮名)
「どーすか、感じは」
「うーん、なんもないねぇー」

みたいな。

しかし、僕がふと気が付いたのは、奴らが「Y2Kプロジェクト・スタッフ・シャツ」らしきものを着ていたこと。それって、君らだけ?もうY2Kの興奮が完全に抜けきった3日からシフトに就く、海の向こうの僕には無いの?無いんだろうな、やっぱ。

注1:作者は景品や、記念品や、ノベルティーがキライではない。
注2:そういえば、西暦はキリスト教の歴。当然、仏教、イスラム教、ユダヤ教等は異なる歴を持っている。そう考えると、2000年という区切りは、世界中 で通用するわけではないことに気が付く。今回の騒動は、コンピュータ社会を支える文化が、欧米キリスト教圏の文化に偏っていることを実感させた。
注3:事前の努力が、今日の暇をもたらしたと思えば、スタッフ偉い。

ドゥカーレ宮殿前の船着場

Photo: 1995. Venice, CONTAX T2 Carl Zeiss T* Sonnar 2.8/38, Agfa

Photo: 1995. Venice, CONTAX T2 Carl Zeiss T* Sonnar 2.8/38, Agfa

ドゥカーレ宮殿前の船着場から、アドリア海を望む。

ヴェネツィアは、べネト州の州都。ラグーンの上に造られた人工の水上都市。この街で消費される様々な物資は、全て船によって運ばれてくる。ヴェネ ツィアのリストランテが使う食材も、例外ではない。ワイン、野菜、チーズ、、。必然的に値段は高くなってしまうが、美味しい店が多いのも確か。

この船着き場から、宮殿とは反対方向に向かって路地を入って行くと、ちょっとした食べ物屋街がある。

偶然入ったリストランテで出された、イカスミのパスタがものすごく旨かった。本来、イタリア料理では、パスタはメインではないのだが(だよね)、あ まりに旨かったのでメインは頼まずにイカスミをもう一皿。