友達のオヤジ

友達のオヤジが亡くなった。

突然の話だ。とりあえず、葬式に行き、遺影に手を合わせ、オヤジさんが亡くなったことを実感した。


友達の家は、冬にスキーに行くときの集合場所になっていて、僕もよく泊まりに行った。(そうして行った先のスキー場の写真が、このページには何枚か 載っている)だから、僕は彼とけっこう面識があった。晩飯を一緒に食べ、酒を飲んだ。そして、寝る間際に、いつも僕らにスキーのための軍資金をくれた。

酒が入ったら戦争や、詩吟の話がとまらない人だった。昔ながらの価値観に、がっちり縛られていた。

そういうのは、普通、僕が一番苦手とするタイプだけれど、逆に極端で気持ちよかった。彼も考え方の違う僕を評価してくれた。僕は一度も、彼の意見に追従したことはなかったし、あくまで、違うと思うものは違うと言った。オヤジさんも、言いたい放題のことを言ったものだ。

お互いが、お互いの意見を受け容れることはなかったが、それはそれで、なんの問題もなかったのだ。それで、よかった。

そういうオヤジさんとの関係は、突然に終わってしまった。もう、終わってしまった。でも、今年も僕たちは彼の家に集まってスキーに行こう。いつものように。

BEKKOAME//INTERNET

BEKKOAME//INTERNET の契約をまたまた更新してしまった。これで、4年目にはいろうとしている。

はっきり言って、このプロバイダー、別にいいプロバイダーではない。でも、乗り替えるだけの動機もないのだ。自分のメールアドレスや、このページのアドレスが変わってしまうことが嫌だったので契約更新をした。

インターネットに接続していて不便なのは、メールやホームページのアドレスが、コロコロ変わったり消滅したりしてしまうことだ。新しく作るのも、消すのも、簡単なのだ。

インターネットが普及し始めたころ、何年も会っていない友達からメールをもらったり、いろんなホームページで自由に表現できることの素晴らしさに目を奪われた。しかし、インターネットが完全に日常生活に根付いたいま、インターネットの脆さも見えてくる。

メール友達という関係は、ふとしたことであっさり消えがちだ。ホームページもほったらかしにされ、気がつくと消えている。大昔にやりとりした友達のメールアドレスが、果たして今も有効なのか、分からない。

この 3年間で、プロバイダーを変えなかった友達が何人居るだろうか。(でも、意外と BEKKOAME//INTERNET の更新率は高いような気がする)いつものアドレスで、いつものページが開き、いつものアドレスで、いつもの人にメールが届く。そういうことって、意外と重 要なことではないだろうか。だから、僕はあえて BEKKOAME//INTERNET の契約を更新した。

そう言うわけで、また 1年間はこのアドレスが有効ですので、よろしく。

深夜のタクシー

深夜のタクシー。僕はけっこう乗ることが多い。

夜のタクシーに、あまりお喋りな運転手は好きじゃない。窓の外を流れる自動車の赤いテールランプを、見るともなくぼんやりと座り、その後ろで控えめ のボリュームでかかるAMラジオ、というのが理想だ。それも、「ラジオ深夜便」ならなおさらいい。運転も控えめで、当然、追い越しなんてして欲しくない。

しかし、そういう、僕にとって「好ましいタクシー」というのは二十台に一台あるかないかである。体が傾くほど強烈なコーナーリングをする人、この前 乗せた失礼な客の話をえんえんと語る人(あんたの方が失礼だ)、人の会社の名前を聞く人、、、。当たりのタクシーには、滅多に乗れない。

深夜の空間に、運転手と二人きりで過ごすのだ。よく、タクシー運転手という職業は、お客の中に社会の縮図を見ることができると言われる。しかし、それと同じように、ほんの十数分だけれど、タクシーに乗ると、僕はその運転手の人生の縮図を見ることが出来ような気がする。

僕は、同じ道を、同じ時間帯に、同じコースで、何年も、タクシーを利用している。だから、その同じ道を走る何十人ものタクシー運転手を見てきたのだ。大げさだけど、、、。

客と運転手の立場は微妙だ。一期一会であるだけに、(と言っても、僕の場合は年に数回、同じ運転手に当たることがあるが)、お互いの「強さ」をどう 計るかが微妙だ。つまり、深夜タクシーの運転手という職業は、職業としてサラリーマンより上か、下か、という問題である。基本的には僕は客であり、上なの だが、僕は若いし、そんな僕に乗られる方もいろいろ気分が違うようだ。(特に私服で会社帰り、とかそういうパターンもあるので)

話は簡単で、自分は客より下だと思っている運転手は虚勢を張り、武勇伝を話し、大きな音でラジオをかける。あるいは、頼んでもいないのに、一方的に媚びる。自分が昔乗せたお客の自慢話を、まるで自分の自慢のように話す。

まあ、そういうのはまだいい方で、もう一刻たりともこのシートに座って、働いていたくない、という気持ちがひしひしと伝わってくる人もいる。タクシー運転手なんてうんぜりだ、という人だ。そんな人のタクシーには、僕だって乗りたくない。

一方、プロの運転手としての自信と余裕に満ちている人(やはり個人タクシーの運転手に多い)は、私は私、あなたはあなた、という気持ちのいい距離を持っている。どちらが尊敬に値するか言うまでもない。


先週乗ったタクシーは、非常に「好ましいタクシー」だった。

この不景気で、個人タクシーも最近は駅のタクシー乗り場で客待ちの列に加わっている。僕が乗ったのは、そんな客待ちの中の一台の個人タクシーだった。
「どちらまで」

車内に身を落ち着けた僕に、運転手が訊いたタイミングは、ものすごく素晴らしかった。もしかしたら、彼は、「どちらまで」ではなくて、「こんばんわ」と言ったのかもしれなかったが、どちらにしても素晴らしく自然だった。

運転手は半身を翻して僕を見つめていたが、その目の中には媚びたところも、虚勢も、なかった。つまり、「プロ」の運転手なのだ。

自分が、酷く上品な運転手付きの車を雇ったような気分になった。こいつは素晴らしい。

行き先を告げると、躊躇なく走り始めた。

途中、運転手は一言も喋らなかった。信号で停まったとき、少しだけ自分の席の窓を開けた。確かに、車内は僕が乗ったせいで、若干温度が高くなったのだ。

ラジオからは、ごくごく控えめの音量で「ラジオ深夜便」が流れている。この番組を、家で好んで聴いているわけではない。僕は、タクシーの中で、この番組を聴くのが好きなのだ。


ドアが開いて、料金を払う。「領収書をいただけますか」と自分が言っている後ろで、もう小さなプリンタが領収書を印刷しているのが聞こえている。
「お世話様でした」
「ありがとうございました、おきおつけて」

いつも言うことにしているお礼の一言に、返ってきた返事も、気持ちよかった。