違和感(あるいは微笑ましさ)

ワインが、またブームだ。

僕は、ブームなものは苦手だ。お店で、店頭に並んでいるワインに、視線を注ぐのだって、恥ずかしい。「ああ、あの人もブームに流されちゃってる人なのね」と哀れまれるのではないかと思ってしまう。

だから、酒屋の店頭で季節モノのボジョレー・ヌーボーを買うなんてことは、できない。


でもたまたま、飲む機会に恵まれた(別にはやっているモノはキライではない)。

味がどうこう、というような話は、はっきりいって「ワカラン」というのが感想。やっぱり、物心つく前から、水代わりにワインを飲むような文化で育たないと、ワインの味なんてわかるものではないと思う。

日本人がワインを飲んで、あーだこーだ言っている風景というのは、それこそ、あちらの人々から見ればカリフォルニア巻きを食べながら、日本の詫び寂びをかたり合うフランス人のような違和感(あるいは微笑ましさ)があるに違いない。

でも、そういう風景が悪いのかというと、決してそんなことはない。細かいことはどうでもいいから、なんか飲んでみようよ、とか、そういう軽さはいいと思う。

ホントに不景気

「不景気」という単語の意味は、自分が子供の頃にはよく分からなかったけれど、社会に出て、自分で働いてみると、よく分かる。

ホントに不景気。

でも、自分のことや、家族のことをちゃんと考えようとしている人が増えているような気もする。いい加減にいろんなことをやり過ごせた時代は終わって、もっと真剣に人に向き合わなきゃならないような空気がある。

そういうのは、僕にとっては少し好ましい。

いろんな矛盾が金と勢いで片づけられた時代は終わって、新しい空気が生まれているような気がする。

友達のオヤジ

友達のオヤジが亡くなった。

突然の話だ。とりあえず、葬式に行き、遺影に手を合わせ、オヤジさんが亡くなったことを実感した。


友達の家は、冬にスキーに行くときの集合場所になっていて、僕もよく泊まりに行った。(そうして行った先のスキー場の写真が、このページには何枚か 載っている)だから、僕は彼とけっこう面識があった。晩飯を一緒に食べ、酒を飲んだ。そして、寝る間際に、いつも僕らにスキーのための軍資金をくれた。

酒が入ったら戦争や、詩吟の話がとまらない人だった。昔ながらの価値観に、がっちり縛られていた。

そういうのは、普通、僕が一番苦手とするタイプだけれど、逆に極端で気持ちよかった。彼も考え方の違う僕を評価してくれた。僕は一度も、彼の意見に追従したことはなかったし、あくまで、違うと思うものは違うと言った。オヤジさんも、言いたい放題のことを言ったものだ。

お互いが、お互いの意見を受け容れることはなかったが、それはそれで、なんの問題もなかったのだ。それで、よかった。

そういうオヤジさんとの関係は、突然に終わってしまった。もう、終わってしまった。でも、今年も僕たちは彼の家に集まってスキーに行こう。いつものように。