イデオロギーとか、民族とか、政府とか、領土とか、色々ある。

Mutton hot pot

Photo: “Mutton hot pot” 2013. Tokyo, Japan, Apple iPhone 4S.

イデオロギーとか、民族とか、政府とか、領土とか、色々ある。
でも、そういうのを超えて、何百年とか、何千年受け継がれてきたのが、食べ物の文化で、その普遍性とか、浸透力とかは、凄く細胞にしみる。

電車の中で安倍総理の論文”Asia’s Democratic Security Diamond”を読んで、中国の脅威について考えて、で、30分後には北京語の飛び交う中で羊鍋を食べる。


思いっきり熱くして、と頼んだ紹興酒がしみる。北京の裏路地で初めて火鍋を食べた時とおんなじに美味しい。壷に入って出てくる、謎の漬けダレをつけて、軽く煮た羊を食べる。ニンニクとザーサイと、他に一体何が入っているのかさっぱり分からない。

火鍋の美味しさに、領土とか、政府とか、そういう事はまるで関係が無い。鼻血が出るほど寒い、北京の冬に体にしみた味は、日本の冬でも、やっぱり美味しかった。

日本の食事は、ちょっと少ない

Coke and naan

Photo: “Coke and naan” 2013. Tajganj, India, Apple iPhone 4S.

「日本の食事は、ちょっと少ないことがあるから」

社食で飯を食っているときに、韓国から暫く来ている同じ部署の女性が言っていた。日本より一食の量が少ないと思った国は、考えてみると無いかもしれない。

ダライ・ラマも、何かのインタビューで「日本の料理は質は良いのだが、たまに量が少ない」と言っていた。


一つには、「もったいない」の文化があるのかもしれない。食事は残さず食べる、その前提があるから、量は少なめになる。なんとなくだが、食事は基本残す、という国の方が多い気がする。インドの旧市街でも、食べ残しの屋台の飯が、普通に街路に捨てられていたっけ。

残すって、やっぱり違和感があるな。

ラムクラスタ

Rum Crusta

Photo: “Rum Crusta” 2012. Tokyo, Japan, Apple iPhone 4S.

酔ってカクテルの名前を覚えているのは、ほとんど無理だ。

昔、目が覚めるほど美味しかったカクテルの名前を、翌朝全く覚えていなくて、背広のポケットから出てきたくしゃくしゃのナプキンに、ボールペンで走り書きされた、そのカクテルの名前を見つけた。


それ以来、気に入ったらその時に書き留めておくようにしている。今は、day oneが代わりに覚えていてくれる。