同僚の親バレ

Photo: defocus 2009. Tokyo, Japan, Sony α900, Carl Zeiss Planar T* 85mm/F1.4(ZA), cRAW

Photo: "defocus" 2009. Tokyo, Japan, Sony α900, Carl Zeiss Planar T* 85mm/F1.4(ZA), cRAW

後輩の結婚式。

彼女の両親が結婚式を挙げた、同じ会場で、同じように。


配属された新人が一列に並んで挨拶する中に、彼女はいた。その頃は、今はもう会社に居なくなってしまった仲間達が沢山一緒に働いていたし、業界がこれから面白くなるところで、とても良い時代だった。

パワーポイントの箇条書きのやり方から教えた新人は、多分、彼女が最初で最後だったのではないかと思う。それが、プロジェクト管理までするようになるのを、ちょっとした驚きと共に、僕は眺めてきたのだ。


彼女のお父さんが挨拶に来た。ザ・銀行員という噂に違わぬ、ザ・銀行員。

「娘から、常々おはなしをいろいろ伺っておりまして」
それは、恐縮です。

「Web もよく見させていただいていて」
それは見なくていいです。

それはウォーキングではない

Photo: 山間の紫陽花 2009. Tokyo, Japan, Sony α900, Carl Zeiss Planar T* 85mm/F1.4(ZA)

Photo: “山間の紫陽花” 2009. Tokyo, Japan, Sony α900, Carl Zeiss Planar T* 85mm/F1.4(ZA)

俺は、ウォーキングを趣味にすることにした。

友人が、そう高らかに宣言したとき、それが近々実行に移されるであろう事は予想できたし、それに巻き込まれることも容易に推察されるべきであった。

しかし、いくらなんでも、明日行くことはあるまい。


木の根っこを足がかりに、沢筋を登っていく。これは、ウォーキングなのだろうか?いい加減なキーワードで検索された、いい加減な目的地は、ウォーキングと言うにはいささか勾配が急であり、すれ違う人々と挨拶を交わしてしまう点では登山に近かった。

午前5時に起きて友人の指定した駅に集合し、ひたすら電車に揺られ、山々に囲まれた中央本線のとある駅に着いたとき、ここがまだ東京都であることはにわかには信じがたかった。駅に据え付けのSuicaリーダーがあることに驚いたが、リーダーがあるだけで、あの無愛想なゲート式の改札は無かった。

最初の(そして最後の)コンビニで唐揚げとおにぎりの弁当を買う。丁度屋久島の山を登ったときのように。


屋久島、確かに、我々は共に屋久島の山を登ったこともあったが、それは随分前の話だし、第一これはウォーキングではないのか。道は直ぐに険しくなり、人家は無くなり、鈍重な都市の河川である多摩川は、清冽な山の源流の色味を帯びて流れている。

東京は広いなぁ、というのが感想。山の稜線まで「ウォーキング」して、雑木林が開けると、一面に紫陽花が咲いている。街で見るのとは違った、生き生きした、濃い紫陽花だ。なかなか、ウォーキングもいいなと思う。

で、このまま隣の山まで行くんですか?え、もう帰るの?

紫禁城の Hyundai

Photo: 玉座 2009. Beijin, China, Sony α900, Carl Zeiss Planar T* 85mm/F1.4(ZA)

Photo: “玉座” 2009. Beijin, China, Sony α900, Carl Zeiss Planar T* 85mm/F1.4(ZA)

故宮博物院は、どこですか?と訊けば、それはあんたが今出てきたとこだよ、と公安のおっちゃんは答えた。ああ、故宮博物院というのは、まさに紫禁城そのもののことなのか。

有名で、広大で、端から端まで歩こうとも思えない、かの天安門広場の北側に位置するのが、かつて清朝皇帝が住んだ宮殿、紫禁城だ。前回北京に来たときに、ちゃんと見なかったので、今日は気合いを入れて、カメラのバッテリーを充電してやってきた。


おっちゃんの指示通り、城壁の東側の小さな門から再び紫禁城に戻り、入場券を買う。鉄の柵で「強制的に」行列するようにつくられた入場券売り場は、冬場と言うこともあってガラガラだった。観光客は、圧倒的に中国人が多く、欧米人は殆ど見かけない。入場券を売る窓口の横で、明らかに非公式のガイドブックを押し売りするオバチャンと、浮浪者なのかただ貧しいだけなのか、区別のつかない老人が言い合っている。


ばかばかしいほどの巨大さと、虚飾。場内には、意外と沢山の観光客が居たが、それ以上に敷地は広く、混み合った感じはしない。幾つ目の門をくぐったのか、分からなくなった頃に、映画「The Last Emperor」でも出てきた皇帝の玉座にたどり着く。映画と違って、建物内に入ることは出来ないし、ハンドマイクのブザーで誘導されることもない。建物は修復されているが、冬の乾ききった北京の空気の中で、玉座の周りは薄暗く、埃っぽく、かつての威光を想像することは難しい。

群がる人混みをかき分け、条件も悪かったので、デジカメにものを言わせて、沢山の枚数を撮ってみる。連続するシャッター音に、周りの中国人が驚いた ようにこちらを見る。皇帝の玉座からひたすら奥に、つまり北の方角に進む。おそらくは後宮にあたる部分を歩いて行くと、際限なく小さな館が続いている。目に付く部分は、結構まともに補修されているが、少し裏に回ると瓦が痛んでいたり、石畳に穴が開いていたりする。柱は、豪快にペンキで塗られているように見える部分もある。補修というよりは、修理だ。こうした文化財に対する適当な扱い、というか、大雑把さには結構驚かされた。


中国は、およそ写真を撮ると言うことではやりやすいが、(もちろん、軍人や警官を撮ったりすると面白く無い目に遭う)博物院の収蔵品も撮り放題だったりする。皆、フラッシュも使ってバシバシとっているし、係員も何も言わない。ケースのガラスに触る人間すら居る。こうしたことに慣れた中国人が、海外旅行のマナーで問題を起こすのも分かるような気がする。基本的に、気にしないのだ。

宮殿東側の珍宝館と呼ばれるエリアは、更に追加の料金がかかる。10元。料金は安いが、あまり人気が無いようで、ガラガラだ。空いている観光地は大好きなので、10元払って小さな門を潜る。9匹の龍を彫った壁、西太后が珍妃を投げ込ませて殺した小さな井戸、素人には区別のつかない、いくつもの宮殿、 宮殿、宮殿。どこまで続くのか分からないだけに、正直、だんだんウンザリしてくる。

林立する館を抜け、ひときはやかましい韓国人の観光客の一団を追い越し、狭い門を抜けると、突然、後宮は終わった。高い壁が、後宮と外界を隔てている。目の前には、だだっ広い、朱の壁に囲まれた回廊が広がる。The Last Emperor で愛新覚羅溥儀が自転車に乗って、この長い回廊を走るシーンはとても印象的だ。それが史実にあったことなのかは分からないが、朱の回廊と、西洋の自転車の コントラストが、この映画のテーマを象徴しているように思えるのだ。


Photo: 紫禁城回廊 2009. Beijin, China, Sony α900, Carl Zeiss Planar T* 85mm/F1.4(ZA)

Photo: “紫禁城回廊” 2009. Beijin, China, Sony α900, Carl Zeiss Planar T* 85mm/F1.4(ZA)

尾の長い、青い羽根の鳥が先導するように回廊を飛んでいく。紫禁城と、これに隣接する中山公園には、緑が結構多いせいか、鳥を意外と多く見かける。その鳥を追って回廊を歩き、天安門方向に抜ける回廊との交差点でふと立ち止まると、公安の車が人混みの中をゆっくりと走ってきた。最高の権威から、人民のための観光地となった紫禁城。そこに、かつての権力の象徴から、徹底的に神秘性をそぎ落とし、大衆的な娯楽にまで貶めることで、その権威を完膚無きまでに打ち砕こうとした後代の権力者達の意図のようなものを感じるのは、穿った見方だろうか。

いずれにしても、かつての権力の場所が、観光地となって民衆を楽しませるというのは、日本でも、世界でも、あらゆるとことで見られる光景ではある。そうして、僕が日ごろは使うことの無い「民衆」という単語を使って文章を書きたくなってしまう、そういう気配が、この場所で目にした景色にはあった。かつて民衆は立ち入ることを許されず、女官や宦官が行き交った回廊には今、中国全土から集まった民衆が溢れ、楽しげに観光をしている。時代は変わり、この国は中国共産党が支配している。しかし、公安警察が乗っている車は、韓国製のHyundai。中国は世界の工場であると共に、世界中からあらゆる資源と製品を飲み込む、消費大国に変貌した。

僕には、ここからの眺めが、色んなものが一緒くたに詰め込まれた、オリンピックの後の中国を象徴した景色に見えた。