歴史の踏み絵

Photo: “Nathan Road 2”

Photo: “Nathan Road 2” 2011. Hong Kong, Apple iPhone 3GS, F2.8/37.

あの事件の翌日のテレカン、香港から参加した人も居た。もちろん政治的なトピックは話されない。しかし、彼はその日どんな思いで朝を過ごし、その場に臨んだのだろう。


香港の国安法の一件は、現代国際社会の踏み絵になるかもしれない。歴史の流れの中に居る人間が、その歴史的事実にどんな態度を取るのか。1930年代のヨーロッパで、誰が悪にNoと言えたのか。同じ事が、突きつけられている。

歴史の流れの中に身を置いたとき、正しく自らを処するのはいかに難しい事だろう。一体、どんな信念や、教育や、経験が、それを助けてくれるのか。歴史の知識か、直感か、勇気か。

英会話の先生は、”Hindsight is 20/20.”だと言っていた。


大学時代、ゼミの研究で在日米軍の基地を見に行ったことが有る。敷地の境界を越えた瞬間、警備員がすかさず寄ってきて恫喝された。その時、生徒を差し置いて、自分が真っ先に逃げた反戦平和を研究し生業にする助教授の姿を、僕は今でも忘れていない。(だから、僕はそういう人達を容易には信用する気にはならない)

一方で、別の(こちらは実に尊敬に値する)先生が言っていた「中国は、歴史上、一度たりとも民主主義を体験したことが無い国なんです(つまり易々と民主化はしない)」という言葉は忘れがたい。丁度、天安門事件から数年が過ぎ、ソ連は崩壊し、結局は中国も民主化に向かうのではないか、と多くの人が思っていた頃の話だ。そこから、20年あまりを経て、まさに先生の言ったとおりの事になっている。

日本はどうなるのだ

Chinese ship

Photo: “Chinese ship” 2011. Kowloon Peninsula, Hong Kong, Sony α900, Carl Zeiss Planar T* 85mm/F1.4(ZA)

二月。香港に出発する直前、日本の GDP が中国に抜かれた、という報道を聞いた。そんなことも有って、僕は少し複雑な気分で香港に降り立った。

初めて訪れた香港は、アジアパシフィックの交易の中心地として、今も順調な発展をしているように見えた。教育の有る層は皆英語を話し、それでいて容赦ない漢民族的な、しかし中国本土とはまた違った西欧的な活気が、満ちていた。ビルは高く、あらゆるところが工事中で、人がせわしなく働いている。

日本は彼らに追いつかれ、追い越され、そして置き去りにされるのだろうか。日本の進む道は、ここまでなのだろうか。日本では、僕も、僕の周りの人も、色んな人が、多かれ少なかれそんな思いをどこかに持っているような気がする。


香港に一週間滞在し、帰国した。深夜、成田空港から TCAT に向かうバスの窓から、美しく舗装された高速道路と、丁寧に維持された街並みを見て思う。日本、これが、衰退していく国なのだろうか?と。

あるいは、そうだとして、これ以上我々に何が望めたのだろう。我々と我々の祖先が築いたこの国の形は、沢山の問題はあるにしても、世界屈指の生活レベルを実現するまでになった。この小さな国に、それ以上、何が望めただろう。

その思いはしかし、3月11日以前のことだ。


あの日から、日本の歴史は変わってしまった。災厄の日から二ヶ月が過ぎて、東京では日常が戻りつつある。人々は職場や学校に戻ってきた。テレビは、いつものばかばかしい番組を垂れ流し、スーパーの棚も、僕の Outlook の予定表も、いつも通り埋まっている。

それでも、3月11日以前と、以降では、日本の形は永遠に変わってしまった。あの日から、別の世界に紛れ込んでしまったように、運命の道筋が、ねじれてしまったかのように。それでも、僕たちは生きていかなくてはならないし、働かなくてはならないし、電車に乗ったり、ご飯を食べたり、愛し合ったり、罵りあったり、とにかく、いろんな事をしなくてはならない。気の遠くなる事だが、この現実に折り合いをつけていかなくては、ならない。

多分少し、生きることのリアリティーを取り戻した。命の危険にさらされて、いや、気がついて、初めて。

香港特別行政新宿区

Seven Eleven

Photo: "Seven Eleven" 2011. Kowloon Peninsula, Hong Kong, Sony α900, Carl Zeiss Planar T* 85mm/F1.4(ZA)

香港の中心部は、日付が変わってからも、女性も歩けるくらい、治安が良い。終電間際の地下鉄に、若い女性が一人で乗っているのもよく見たし、深夜の地下道を歩く人たちも、さほど緊張感を持っているように見えなかった。

ただ、通りから通りへ、ブロックを移るだけで表情を変える町並みは、時に緊張感を強いる濃い裏通りがあったり、ギラギラした香港的ブランド店が並んだり、色とりどりだった。


細かい通りを、行き当たりばったりに通り抜けて、今居る場所もよく分からなくなった。心地よい彷徨い感の末に、路面のアイリッシュパブに腰を落ち着けた。やけに貧相なピーナッツを割りながら、ヒューガルデンとギネスを飲む。

目の前にはセブンの見慣れたサインがあり、狭い道をパトカーがサイレンで威圧しながら、あるいはAMGのメルセデスが横柄にクラクションを鳴らしながら通った。そんな光景を呆然と見ていると、同行の一人が

「新宿区ですね」

と言い切った。そう、香港の中心街を何かと比較した場合、その対象として東京というくくりをすると異なる国だ。が、そのブロックからブロックへの多様性、治安のレベル感、無国籍でエッジな風俗、そういう事を一言で、我々の理解可能なものに置き換えるとすると「新宿区」なのだ。

なるほど、この瞬間の空気とこの景色は、とても僕たちの日常に近い。