積年の謎の正体、臭豆腐

Stinky tofu

Photo: “Stinky tofu” 2012. Taiwan, Apple iPhone 4S.

僕は、その臭気を、頭の何処かで人間の死臭だと確信していた。

その甘い腐敗臭は、熱風のような温度を持っていた。その臭気が鼻に入ると、熱い温度を脳が感じた。

中国大陸の至る所で、かいだ臭い。北京の公衆トイレで、少し似た気配を感じた。

上海のとっちらかった屋台街でも、感じた。中国腸詰のような露店の辺りで嗅ぐことが多い気がして、暫くは腸詰を炙った臭いだと思っていた。でも、実際は腸詰はそんな匂いはしていなかった。

あれは、絶対、何かの死体だ。「甘くて不快な腐敗臭」人が腐った時の臭いの記述は、たいていこんな感じだ。ということは。。中国は、怖いところだ。そう思っていた。


台北。少し迷いながら辿り着いた、点心の有名店。時間のかかる小籠包のつなぎに、ちょっと気になっていた名物も一皿取ることにした。安かったし。

そして、唐突に現れたのだ、そいつは、まさに、その臭いをさせて皿の中に収まっていた。臭いは、臭気というよりも、やはり熱気として感じられた。

台湾名物、臭豆腐。

名前は知っていた。20年近く前に台北に来た時から、名前は知っていた。臭いものだと言う事も知っていた。公衆トイレの臭いに近いとも書いてあった。だから自分から近寄ることはなかった。しかし、まさか、こいつがアレの正体だったのか。


今まで、自分の意志に反して、何かを食べられなかったことは無い。たいていの、まずい、変なものも食べてきた。でも、これは無理だ。不快を承知の表現で言うならば、目の前の丼に、ウンコが盛ってあるぐらいに無理だ。暫く逡巡した。しかし。

臭豆腐、箸の先についた一片を食べることもできなかった。

琉球

Photo: 1995. Okinawa, CONTAX T2 Carl Zeiss T* Sonnar 2.8/38, Fuji-Film

Photo: 1995. Okinawa, CONTAX T2 Carl Zeiss T* Sonnar 2.8/38, Fuji-Film

台湾の中正駐機場。僕らが乗るEG292の行先表示は「琉球」だった。

こういうのって、どうなんだろう?何かの意図があって、「琉球」と書いているのか。あるいは、これがごく普通の呼び方なのだろうか。


アジアの歴史(それは太平洋戦争よりもっと前からの話)は、とても複雑で、こんなふうにしれっと書かれている「琉球」という呼び方にも、もしかしたら、誰かの思いがあるのかもしれないと思った。(何もないのかもしれないが)

龍山寺

Photo: 1995. Okinawa, CONTAX T2 Carl Zeiss T* Sonnar 2.8/38, Fuji-Film

Photo: 1995. Taipei, Taiwan, CONTAX T2 Carl Zeiss T* Sonnar 2.8/38, Fuji-Film

元日本軍属のたち。彼らに日本への憎しみはない。そして僕達は、彼らを知らない。


台北にある、龍山寺。ここには日がな一日、より集まる老人たちの一団がいる。彼らこそ、かつて「大日本帝国」の軍属として、日本の旗のもとに戦った 人たちだ。歴史というのは、教科書に書いてあるほど理路整然としたものではない。彼らの立場もまた、オフィシャルな歴史というものからは、語られることは ないのだろう。では、歴史とは誰がつくるものなのだ?

この写真を撮ってから、7年以上。事実も、記憶も、思いも、押し流し、年月は過ぎていく。