マラッカに行こう。

Photo: highway 2010. Kuala Lumpur(KL), Malaysia, Ricoh GR DIGITAL III, GR LENS F1.9/28.

Photo: "highway" 2010. Kuala Lumpur(KL), Malaysia, Ricoh GR DIGITAL III, GR LENS F1.9/28.

ホテルのコンシェルジュとは、もちろん、あらゆるお客のあらゆるリクエストを訊く立場にあり、我々が夜の9時にもなって「明日マラッカに行きたい」と言い出しても、特に動じることは無かった。マレー訛りの弾むような英語でにこやかに、


「それは良い考えです」

とさえ言い切った。ただ、バスで現地に行くというプランは


「外国人には無理です」

ということらしい。マラッカ行きの高速バスのバス停は現在工事中で場所も移っており、恐らく飛行機の時間までに帰ってくることはできないだろう、というのがコンシェルジュの主張だった。

どうするか。ホテルが紹介するバスツアーというもがあるという。一人、220リンギットで安くはない。(タクシーを雇うと4時間で800リンギット、これは高すぎるので却下)ツアーねぇ、というのが我々の雰囲気ではあったが、マラッカに行ってなおかつ飛行機に間に合わせるためにはこれ以外の選択肢は無いように思えた。マラッカはそういえば、世界遺産なのだ。ならば行こう、マラッカへ。


翌朝八時半、ホテルに現れたのは、バス、ではなく「バンだろ」という代物であった。日本で見るメルセデスとは違う、業務車両メルセデスのバンに詰め込まれて、我々はマラッカに向かう。昨日の雨は上がり、メルセデスのガラスについた水滴越しに、朝八時半のクアラルンプール市街を眺める。良く晴れている。

街は、ブロックによってイスラム風、中華風、コスモポリタン風と景色が分かれる。モスクの尖塔が、高層ビルをバックに目立つ。クアラルンプールの市街では、ほとんどクラクションを聞かない。信号と横断歩道はいい加減で、交通ルールも緩いが、人が横断しようとすると車はクラクションを鳴らすでもなく、ちゃんと待ってくれる。その優しさと余裕というのが、僕にとってはとても新鮮だった。そこに作り物ではない、優しいアジア、みたいなものを感じたのだ。

日本人の英語についてマレーシアで考えた

Photo: public phone 2010. Kuala Lumpur(KL), Malaysia, Sony α900, Carl Zeiss Planar T* 85mm/F1.4(ZA)

Photo: "pay phone in the street" 2010. Kuala Lumpur(KL), Malaysia, Sony α900, Carl Zeiss Planar T* 85mm/F1.4(ZA)

マレーシアへは仕事で行った関係で、沢山の種類の訛りのアジア英語と接することになった。アジアパシフィックの様々な国から人が来ていて、英語というのはこんなに幅があるのか、ということに驚いたし、僕からしたら「めちゃくちゃだな」と思うような壮絶な訛りの英語が、ちゃんと(かは分からないが)通じたりしているのを見るのも驚きだった。


一人のエンジニアと仲良くなった。彼は沢山プレゼンテーションしていて、彼の英語を延べで12時間ぐらいは聞いたと思う。彼はベトナム人か、インドネシア人に見えた。でも英語の訛りはアジア圏ではなくて、訊いてみるとフランスからアメリカに移住したのだと言う。だから、ベトナム系フランス人で今はアメリカ人(二重国籍)だと思う。

ワインが好きで、女の子の機嫌に敏感で、この人の文化はフランスの男なんだなと感心した。ビールを飲みながら(イスラム圏ではビールかワインより強い酒にはあまりお目にかからなかった)世界中を旅している彼に、日本人の英語はどうなのか?と訊いてみた。


曰く。日本人の英語には特有のアクセントがある。でも、日本人は自分が言ったことが通じなかったら、言い換えて、通じさせようと努力する。だから、君たちの英語は OK だ。君たちにとって英語は母語じゃない、だから上手くないのは当然で、それは問題じゃない。大事なのは、伝えようとすること、コミュニケーションをとろうとすることだ。

例えば、インド人の英語は聞き取りにくい。口の中だけで発音するからなおさらだ。それ以上に問題なのは、こちらが聞き取れなかった時に、全く同じフレーズを繰り返して、言い換えようとしない事にある。コミュニケーションしようとする意志を放棄しているんだ。


ホントにインド人が言い直しをしないか、翌日僕はインド人の英語を注意して聞いていた。が、実際には割と言い直しはしていた。まあ、それでも十分聞き取りにくく、中国系の同じく聞き取りにくい英語を米語のネイティブは一発で聞き取るのに対して、インド人の英語は聞き返しが入っていたのは印象的だった。

更に印象的だったのは、インド人と一緒に昼メシを食べているとインド人同士が英語でしゃべっている。君らなんでインド人同士で英語でしゃべるの?と訊いたら片方の人はヒンズー語がしゃべれないから、次に来る共通語が英語なのだそうだ。これがデフォルト多言語の国の姿か、と思う。


アジア、とは言ってもビジネスは全部英語だった。英語はやはり、ビジネスの世界の共通プロトコルであって、しかもかなりパケットがめちゃくちゃでもデータ交換出来てしまうものなんだな。そんな印象。