カブトムシに教わったこと

Photo: “Banana and trypoxylus dichotomous.”

Photo: “Banana and trypoxylus dichotomous.” 2015. Tokyo, Japan, Apple iPhone 5S.

朝食にバナナを食べている。

最近、田辺農園のバナナを扱う店が増えてきた。熟した重たい味はいやなのだけれど、青いやつも結構売られるようになった。
数あるバナナの中で、それしか買わないのは、カブトムシが田辺農園一択で食べていたからだ。農薬なのか、味なのか、栄養価なのか、とにかく他のバナナには目もくれず、田辺農園のバナナを選んで食べていた。


5年ほど前、真夏の郵便ポストの下で、行き場が無さそうにしていたカブトムシを飼った。そういうものは甘やかすタイプなので、体に良さそうなものを色々与えてみた。昆虫ゼリーにはじきに見向きもしなくなり、だいたい季節のフルーツを食べていた。

西瓜なんてとうになくなって、もう冬になろうとする頃まで長生きして、なかでもよく食べたのが田辺農園のバナナだった。因果関係は分からないが、カブトムシは驚異的に(拾ってから約5ヶ月)長生きしたし、田辺農園バナナを選んで食べていた事実との、相関関係は有りそうだ。そういう事で、僕は今でも田辺農園一択で食べている。


そう言えば、もう一つの発見もあった。

冬場、首の痛みに悩まされていたが、カブトムシ用に24時間暖房をかけっぱなしにしていた時に(秋が深まる頃まで生きていたのだ)、その症状が消失することを発見した。暖房を切らずに寝れば、痛みはほぼ起きなかった。

カブトムシの亡骸は、しばらく飼育ケースの中にいれておいた。さて、どうしたものかと思う。
都心では、結局埋める場所も無かったので、家で一番大きな植木鉢の中に埋めた。そういう都市埋葬スタイルがあっても良いだろう。今はすっかり大きく育ったハートホヤの根元で眠っている。

カブトムシ氏 去る

来たときと同じように、カブトムシ氏は実に勝手に、去って行った。

少し前からひっくり返ると、なかなか自分で起きられなくなってきていたし(小枝で転倒防止にはだいぶ工夫はしたのだ)、バナナもあまりうまく食べられず、水分のを多いブドウをよく食べていた。だんだん、寝ている時間が増えていった。

会社から帰ったある日、好物のバナナとブドウの上で、じっとうずくまっているカブトムシ氏が居た。ひっくり返ってもがいていたら困るなと思って居たから、ホッとしたけれど、もう目に光はなくて、いつもの寝ている様子とも違っていた。複眼に光も何も無いと思うのだが、なんとなく分かるのだ。


子供の頃、蚊取り線香を横切ったカブトムシがひっくり返ってしまい、泣く泣く埋めたら、小一時間後に自力で這い出てきたトラウマというか鮮烈な思い出が僕には有って、こいつらの生命力にはそうそう騙されないと思い、一晩そっとしておいた。

翌朝、やはり同じバナナの上で、彼はうずくまったまま、静かにしていた。持ち上げてみると、驚くほど軽い。そして、少しも動かなかった。眠っているようなカブトムシ氏を、敷き詰めた小枝の上に戻して、蓋を閉じた。

4ヶ月30日、子供が飼ったらなかなかこんな長期間にはならないだろう。まさに、「大人飼い」。季節外れの国産ブドウを探すのはえらく面倒だったが、勝手に来て勝手に去って行った住人が居なくなるのは、やはりさみしい気がしたのだった。

カブトムシ氏 生活する

Photo: “Beetle's dinner ” 2015. Japan, Apple iPhone 5S.

Photo: “Beetle’s dinner ” 2015. Japan, Apple iPhone 5S.

カブトムシ氏を発見してはや半年弱が過ぎた。夏が終わり、秋が来て虫の声が響き、そして虫の声も絶えた今、カブトムシ氏は変わらずに生活している。虫は懐かないと思われるが、それでも数カ月前からは、腹が空くと水槽を叩くことを覚えたようだ。

元々、昆虫というのはかなり短い、限られた時間を生きるように、その体が出来ている。血管が通らない体は、だんだん脆くなるようで、脚の幾つかは先端がとれてしまった。枝の上り下りに、やや不自由を感じてはいるように見える。

それに寝ている(と僕が解釈している)時間は長くなった気がするし、でかい切り株をひっくり返してしまうような力仕事も、最近はしなくなった。穴に潜ってウトウトしている様は、おじいちゃん然としている。


長寿、と言って良いカブトムシ氏を見ていると、長生きポイントって何なのかが見えてくる。食べものが良くて(季節外れで超高価な化粧箱入りブドウ)、気候が快適で(虫用ヒーターが約23度を常に維持)、ストレスが少ない(クヌギのフィールドに入念に隠れ家を配置)、実に納得のいく理由。

彼が幸せな虫生を送っているのか、そればかりは分からないが、そもそも自分だって結局は幸せな生活なのか分からないんだから、知るよしも無いよね、と思っている。