ヤンキーと木

朝、いつものように森の中を通って(悪かったな、近所に森があるんだよ)バス停に向かって歩いていると、遙か遠くでドーンという音がした。それは丁度、木が倒れるような音だった。

もし、誰も居ない森の中で木が倒れたとしたら、果たしてその木は本当に倒れたといえるのか?そんな哲学だか、科学だかの命題があったような気がしたけれど、その日、確かに木は倒れたのであって、しかも通りがかりのヤンキー車に突き刺さっていた。それが事実だ。


さて、現場に行ってみると森を抜ける狭い道路は渋滞になりつつあった。道路沿いの割と太めの木が一本、見事に折れて道路に横たわっていた。そして、その先端は、まさに、通りがかりのヤンキー車のボンネット表面に深刻なダメージを与えているようだった。

ショッキング・ライト・ブルー・マイカ的カラーリングの、ヤンキーミニバンの脇で、オーナーのヤンキーが狂ったように叫んでいる。

「ちっぃきしょぉぉぅー、なんだよこりゃぁー、ふざけんなこぉらぁー」

しかし、相手は木。なにも答えない。堪えていない。しかし、ヤンキーとしてもいまいち引っ込みが付かないらしく、木に絡むのをやめようとしない。木の方も、倒れてしまった以上は、もはや引っ込みがつかない。あっ、そんなことを、、。

ガスッ!!

蹴ったところで、足が痛いだけなのに、、。


あれだけの木が走行中に倒れてきて、ボンネットだけで済んだことに、ヤンキーはむしろ感謝すべきじゃないかな、、。それにしても木が倒れるとは、春の珍事かねぇー。などと考えつつ、さっさと通り過ぎた。

注:本稿はヤンキー及び、その関係者を揶揄するものではありません。

それは日常じゃない

Photo: 2000. Kobe, Japan, Nikon F100, AF Nikkor 35-105mm F3.5-4.5D, Fuji-Film
Photo: 2000. Kobe, Japan, Nikon F100, AF Nikkor 35-105mm F3.5-4.5D, Fuji-Film

雑然とした飲み屋、というのも大好きだけれど、気持ちよく整えられたバーで酒を飲むのもいい。たまにはね。

うるさい店は好きじゃない。だから、ちょっと見つけにくい所に行く。

つまみは、干した白無花果、オリーブのピクルス、そんなものをとる。酒は、カクテルを飲む。あるいは、最初はビールを飲むのもいいかもしれない。

ゆっくり混ぜるのか、激しく混ぜるのか。タイミングはどうするのか。カクテルは、バーテンダーの個性がそのまま味になる。だから、腕のいいバーテンダーに巡り会えると、嬉しくなる。

「次、適当に、、」


もちろん、それは日常じゃない。けれど、僕たちの体は日常だけで出来ているのではないのだ。

もの書きに関する雑感 その1

もの書きに関する雑感 その1。

こんな風に、Webに何かを書き続けていると、「何のために書いているのか」とか考えるわけだ。

羊ページを書き始めて5年、僕もそんなことについて、いろいろ考えてきた。そして、「人に見てもらうために書いている」という単純な結論に達した。今のところ。

誰にも見てもらえなくてもかまわないんだ。そんな風に言う人もいるけれど、それはきっと、誰かに自分を見つけて欲しいと思っていることの、裏返しなんじゃないかと思う。

さて、「人に見てもらうために書いている」ということになると、まさに訪問してくれる人は、「お客様」。だから、Web ページというのは、「客商売」ではなかろうか。最近の僕は、そんな風に考えている。
「お客様」を意識して書く内容をどうこうしろと言うことではない。そうではなくて、もっと基本的なところ。読みやすい日本語とか、配慮された表現とか、そういう部分が案外大事ではないかと。

ちょっと旧い言葉で言うと、「もてなし」ってことだろうか。