バーテンダーはなぜ風邪をひかないのか

Photo: “Daydream in the bar.”

Photo: “Daydream in the bar.” 2019. Okinawa, Japan, Fujifilm X-Pro2, Fujifilm M Mount Adaptor + Carl Zeiss Biogon T*2,8/28 ZM, PROVIA film simulation.

数年前に「かぜの科学:もっとも身近な病の生態」という、なかなかに分厚い本を読んで、もはやだいぶ内容は忘れてしまったのだけれど、風邪やインフルエンザの感染経路の多くが、目や鼻であるという実験結果が印象的だった。(風邪の人を閉鎖施設に集めて、鼻水だらけの手でポーカーをえんえんとさせるとか、凄い対照実験が行われていた)人の手は、容易に感染源に触れるし、更に無意識に1時間に数十回、自分自身の鼻や目を触る。そして、その粘膜を経由して、感染が発生するのだ。だから、感染を避ける実効的な習慣とは、目や鼻を触らないようにし、手洗いをきちんとすること、その2点に尽きるという。

この分厚い本を読んでから、出先で素手で目や鼻に触らないように気をつけ、トイレに入る度に念入りに手を洗っている。「よく手を洗いますねぇ」とトイレで声をかけられるレベルで、という事だ。そうして、それが習慣になって以来、インフルエンザにも寝込むような風邪にもかかっていない。(別の事で死にかけはしたが)


さて、バー。基本一人で行くから、やることと言えば、バック・バーに並ぶ酒を眺めたり、バーテンがカクテルを造る所作を眺める事ぐらいしかない。そして、彼らの立ち振る舞いを見ていて、ふと、顔を触ってるバーテンって見たことないなと思う。バーテンダーって、顔を触らないように気をつけているとかあるの?

「はい、それは厳しく言われますね。首から上を触るなと。」

そう答えるバーテンダーは、頰に手を当てて考えているようなポーズをしているが、実は手は顔に触れていない。そうなのだ、(まっとうな)バーテンダーは顔を触らない。そして、彼はこの仕事について以来、風邪をひいて寝込んだ事はないという。見習いから入って、店を持つまで15年はかかっているだろう。

バーテンダーはカウンターが職場だから、他の接客業に比しても顧客との距離が近い。バーに来るいろんなコンディションの人と、接する立場にあるだろう。それにしては、風邪がうつったりしていないのかもしれない。飲み物をつくる立場として、顔を触らないというルールがある珍しい職種であることが、結果として風邪にかかりにくい振る舞いになっているのかもしれない。

そんな事を話しながら、そうは言ってもこの元剣道部のバーテンダーは、相当に体が頑丈そうだな、とも思った。

ドメイン移管

明けましておめでとうございます。

羊ページがここ3ヶ月ほどアクセス不能になっており、どうしちゃったのかしら?と気にして頂いた方が、世界には数人居たようで、ご心配をおかけしました。理由は純粋に技術的なお話で、諸々解決のため、sheeppage.comはsheeppage.netとして戻ってきました。


さて、長らく、12年ほど、sheeppage.comでやってきたのだけれど、昨年の10月頃にふとドメイン管理業者(レジストラ)を変えようと思ったのが運の尽き。詳細は省くけれど、見事に移管に失敗して、sheeppage.comは移管も中止もできずに宙に浮いたまま、年が明けてチェックしてみるとそのまま、そのレジストラの管理になってしまったようだ。

取り戻したければ、交渉のための手数料を払え(交渉と言っても所有はあんたの会社になってるじゃない。。)、というダイアログにメリケンの資本主義の恐ろしさと奥深さを感じ、何かが吹っ切れて、気がつけばsheeppage.netを取得していた。

ドメインは変わったけれど、他に特に何が変わるわけでも無く、25年目をスタートしていきたい。

記録的にジンジャーエールを飲んだ月

その時、多分深夜だったと思う。病室の天井を見上げたときに、ああ、これは生きるか死ぬかの所に来ているな、とハッキリと分かった。意外と人の生き死にというのは軽くて簡単なものなのだな、という奇妙にあっさりとした驚きだけがあった。残念ながら、人の生き死にに、重々しい筋書きというものは用意されていないようだ。

もちろん、人類の生き死にの数だけそうした思いがあって、そんな感想には何一つ新しいことは無いのだろう。その時、iPhoneは手元にあったけれど、羊ページはドメイン移管の間で動いておらず、そんな月並みな感想を残すことも、できなかった。幸い、こうして戻ってきたのだが。

後日、産業医には「あなた、日本だから助かったんですよ。普通死んでます」と言われて、案外自分の確信というのは、当てになるんだな、と納得した。


2019年の12月は、僕が記録的にジンジャーエールを飲んだ月として、記録されるだろう。主に、このサイトに。退院して以来、酒を飲まずになんとなく過ごしてきた。そうして、飲まない事で生まれる「時間」が凄く大きいことに初めて気がついた。なにせ、飲み会から帰っても、そこから何でも好きなことができるのだ。なにせ、飲んでないから。そうして、忘年会シーズンを迎えたのだ。

普通に飲み会には行って、忘年会にも行って、サシで飲みにも行く。ただ、これまでと違うのはジンジャエールを飲んでいると言うことで、色んな店の色んなジンジャーエールを味わう事になった。ウィルキンソンの辛い方を、瓶で出してくれる所もあるし(わざわざストローを挿すのは止めて欲しかったが)、正体不明の甘い炭酸水みたいな所もあった。


そんな感じで、その日は、12月に入って何回目かの忘年会的なディナーに出席していた。

「〆のご挨拶、お願いできますか。」

完全にお客さんモードで、何のプレッシャーも無く、僕は気楽にパンに山盛りのバターを付けたり(酒を飲まないと体重は増えない)、白身魚のカルパッチョ(真っ直ぐなメニューで好ましい)などを食べていた訳だが、いきなり耳元でそう言われて、ええっ、という気分になった。いやいや、他にいくらでも居るでしょ?

「この場では、その、、最高位なので、、」

勤め人の世界は、例え外資であっても、いや外資だからこそかもしれないが、軍隊的組織構造とヒエラルキーが存在していて、バター付きパンを持ったまま周りを見回すと確かに、肩書き序列で言えば、、、本日この場に居る士官は小官だけでありますか。。


Simplenoteを立ち上げて、急場でトピックを考える。キーワードだけ書いて、あとはアドリブで行くしかない。テーブルの割に沢山配置されて暇を持て余したホールスタッフが、ひっきりなしに新しいジンジャエールを持ってきてくれるので、飲み物には困らない。5つ、キーワードをひねり出して、マイクに向かう。

宴会の〆で、スタンドマイクの前に立つって、あまりない経験。なんとなく、他人事として見てきた風景を、自分の目から見る。FPSゲームのような、そんな感覚。あるいは、病棟で天井を見つめていた時と同じ、他人事だと思って居た舞台に、自分が立っている奇妙な違和感。

 

これまた意外な発見は、酔った会場を相手に素面でスピーチするのは、実は難易度がぐっと低いという事。