突堤の縁

Photo: 2001. Fukuoka, Japan, CONTAX T3 Carl Zeiss T* Sonnar 2.8/35, Fuji-Film RHP III, F.S.,

Photo: 2001. Fukuoka, Japan, CONTAX T3 Carl Zeiss T* Sonnar 2.8/35, Fuji-Film RHP III, F.S.,

突堤の縁に立って、打ち付ける波を見つめている。夕日が沈んだばかりの海面には、未だ暮れきらない明るさが残る。

恐い。薄暮の中、鉛色の液体が、ザブザブと蠢いている。冷たい手、致死のものがすぐ足許に横たわっている。

小さい頃、光の漏れるエスカレーターの隙間が恐かった、ホームから眺める線路にも、死の影があった。今、それらは恐くない。でも、コンクリートにばっさりと切り取られた海は、恐い。


ここには一人で歩いてきた。思うに、突堤は一人で来た方が良い。吹く風は、やがて全てを離ればなれにしてしまうから。

突堤マニア

Photo: 突堤 2001. Yakushima, Japan, Nikon F100, AF ZOOM NIKKOR 35-105mm F3.5-4.5D,, Fuji-Film RHP III

Photo: "突堤" 2001. Yakushima, Japan, Nikon F100, AF ZOOM NIKKOR 35-105mm F3.5-4.5D,, Fuji-Film RHP III

突堤、道の終わり。

屋久島で、昼メシを食べようと立ち寄った浜。観光シーズンはとうに終わって、店はひっそりと静まり、人影は見えない。遠くで、護岸工事をする重機が唸りを上げていた。景色は霞んだ薄い光に包まれ、空は低く、空気は潮でねばねばしている。

両側は、砂浜だ。この消波ブロックが無ければ、砂はじきに失われてしまうだろう。砂浜は、この醜い腕に抱かれて、どうにか生き延びている。

この浜に、ウミガメは卵を産みに来るという。何故こんなところに、長く旅をしてまでやって来るのか。茫洋とした黒い海を眺めながら、僕は突然、心が寒いと思った。


僕が撮る写真には、これといったテーマも思想もないけれど、突堤を撮ることは多い。その有無を言わせない隔絶が、僕を引き寄せるのかもしれない。

しかし、突堤は、行き止まりではない。僕は振り返って、再び歩き始めた。


注:とっ‐てい【突堤】 陸岸から海中または河中に長く突き出た堤防状の構築物。港・湾では防波堤とし、河口では水深を維持するための防砂堤とし、海岸では人工的に砂浜を作るために用いられる。[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]

あれから数ヶ月

Photo: 2001.7, Suma, Kobe, Japan, CONTAX T3 Carl Zeiss T* Sonnar 2.8/35, Fuji-Film TREBI 400

Photo: 2001.7, Suma, Kobe, Japan, CONTAX T3 Carl Zeiss T* Sonnar 2.8/35, Fuji-Film TREBI 400

そして、あれから数ヶ月。茶碗夫婦のだんなから、

「また遊びに来ないか?」

という誘いが来て、夏の須磨を思いだした。海。砂は熱く、空は高く、汗が流れ落ちた、そんな夏のことだ。


結局、いろんなことが重なって、その誘いを受けることはできなかった。関係の中で生きる僕たちの時間は、いつの間にか、自分だけのものではなくなっていく。不自由なものだ。

そうそう、以前書いた、腕の良いバーテンは、昔の店に帰ってきたらしい。


街が、イルミネーションに飾られ始める頃に、また行こうと思う。あの街に。