オムライスを食べる

「昼飯に、オムライスを食べるっていうのは、いいことだよ」
と友人は言った。
その時、僕はジャックダニエルズの水割りを飲みながら、目の前の大振りなオムライスをつき崩していた。
「そうだな、言われてみれば、いいな」
と答えた。

真剣に考えたことはなかったが、昼飯にオムライスを食べる、というのは、確かにどう考えても好ましいことのように思える。


「オムライスを食いに行こう」
僕の誘いに、友人は別に反対しなかった。

一杯飲んだ後のオムライスが美味しいというのは、意外な発見だった。僕と友人は、二人でオムライスを食っていた。

この洋食屋は、僕が昼飯にオムライスを食べに、よく来る店だ。新宿のとある交差点の一角に建っている。深夜ということもあって、店内はガラガラだった。外の景色は、見慣れた昼間のオフィス街とは印象が違って、まるで別の街のようだった。

街から雑踏は消えていた。時折、車がやや速めのスピードで交差点を走り抜けていった。


「おまえの店にも、オムライスは絶対置けよ」
将来はバーを開きたい、学生の頃からそんなことを言っている友人に、僕は言った。
「ああ」
当然、といった風に、彼は答えた。

「バーで、オムライスを食うのは、カッコイイからな」
新宿の某所で出される、このオムライスは確かにうまい。

分厚い卵の衣が、とろっと半熟になって、ご飯全体を覆っている。オムライスには、何故か熱々の味噌汁がついていて、そいつをすすりながら、とろとろの卵衣とケチャップご飯を混ぜて食べるのである。


すっかり食べてしまって、酒も飲みほし、店を出ることにした。この店の会計は少し怪しい。レジがあるくせに、ちゃんと使っている気配が無い。計算は、いつもレジの傍らに置いた電卓でやっている。

会計を払って外に出た。交差点の反対側にある交番では、誰かが尋問されているようだった。新宿の夜の空気は、ちょうど良い涼しさで、気分が良かった。すり切れ気味のレコードから流れる、時代錯誤なワルツが、今出てきたばかりの店内からもれていた。
「この店気にいった」
友人が言った。

ボスニアで起こっていること

今回の「今日の一言」は、あまり面白くない。日常が、面白くないモノにあふれていて、これ以上はウンザリだと言う人は、是非読み飛ばしていただきたい。


今、ボスニアで起こっていることは、おおざっぱに言って、ある民族の土地を奪い、殺し、暴行し、追い出す、というようなことだ。

こういう事は、歴史上、特に珍しいことではない。最も有名な、ホロコースト以前にもあったし、それ以降も何度も繰り返されてきた。そして、こういう歴史の汚点は、毎回あまり顧みられることもなく、ずっと犠牲者を生んできた。


ホロコースト。

ユダヤ人弾圧の事実は、当時、かなり早い時期から周辺国に伝わっていた。しかし、それを知る人々は、そのことを追求しようとはしなかった。

例えば、国際赤十字。赤十字は、ユダヤ人強制収容所の事実を知りながら、それに目をつぶった。彼らは、収容所に査察団さえ派遣し、その実態に気づきながら、組織的に黙殺した。(その恥ずべき事実をようやく認めたのは、戦後になってからだ)


世界は、そうやって戦争よりも目先の平和を選び、結果としてユダヤ人は大量に死んだ。

ユダヤ人は、ユダヤ人であるがために、人類史上、最悪の手段を尽くして殺された。その事実は、歴史の記憶として、今も残っている。しかし、もちろん、その後も同じような悲劇は続いた。

例えば、ユダヤ人国家イスラエルが、ヨルダン川西岸地区で、自分たちが過去にやられたのと同じことを、パレスチナ人に行ったのは皮肉なことだ。パレスチナ人は、土地を奪われ、金網とバリケードの中に閉じこめられた。ある者は逮捕・投獄され、殺された。


ユーゴスラビアはここ数年にわたって、ずっと戦禍の中にあった。

オリンピックが開かれた首都、サラエボは、一転して死の街になった。日本ではぜんぜん報道されなかったが、あの地域の戦争と殺人は、ここ数年間にわ たって続いてきた(ユーゴスラビアの紛争が日本人の興味を惹かない最大の理由は、現地の地名や人名が覚えにくいことと無関係ではあるまい)。

その長い戦争が、つい数年前にようやく停戦をむかえ、国境線が引き直された。しかし、それで決着はしなかった。また、虐殺が始まったのである。

それを見過ごすことは、恐らく、可能だっただろう。しかし、今回、NATOが選んだのは戦争だ。


僕は、今回の NATO の空爆を支持する。支持する、ということは、誤爆で非戦闘員に被害者がでても、支持するということだ。爆撃で死者が出る事と、民族浄化で死者が出ることの意味は違う、僕はそう考える。

反対することは簡単だ。あるいは、いろいろ理由を付けて判断を保留することもできるだろう。僕の「支持」は、NATO の爆弾でバラバラに吹き飛ばされた人には、とうてい受け入れられるモノではない。僕は、殺人者の支持者である。しかし、それでも仕方がない。


最近思うのは、物事を傍観し、責任を持たず、批判するだけということは、いかに簡単か、ということだ。そういう態度をとって、なおかつ、それを誇らしげにしている人々を僕は軽蔑する。日本の知識人や、学者には、そんな奴が多い。

とりあえず戦争っぽいものには反対しておけば間違いない、そんな計算が見え隠れしている。

ホームページ更新断念

「5月の雪」の管理者から、「ホームページ更新断念」のメールが来た。

僕のページの読者で、同時に彼のページも見ている人はきっと多いはずなので、非常に残念だ。理由はネタ切れと、Macを起動するのが面倒になったため、だそうだ。


ホームページを書き続けるというのは、それはそれは、かったるい作業である。

まして、エッセイなんてモノをメインにしていようものなら、更新の度にすり減る思いがする。「5月の雪」管理者がネタがない、というのは非常によく分かる。

滅多に反応のメールなんて来ないし(インターネットでWebを見ている人のうちで、ホームページの作者に感想を送ったことのある人は、何人いるだろうか?)、その割に、時間ばかりかかって神経も使う。

誰のために、何のために書くのか、分からないままに書き続ける。そして、少しずつ増えていくカウンターだけが、自分が何かをしているんだという実感を与えてくれる。

(だいたい、僕の文章は自己完結していることが多いので、もとから感想なんて書きにくいとは思う、、)


僕も、何度かこのページの更新をやめようと思った。しかし、やめてみると(ページのデータ自体を削除したこともある)、自分がこの世界に残す、何かカタチになるモノは、実はホームページぐらいしか無いことに気が付いたりした。

その他の理由もあって、僕にとって何かを書きそれを発表すると言うことは、結局、とても大切なことだ。


僕は、「5月の雪」の管理者に、なにがなんでも更新を続けろ、とは言わない。

それは、自分で決めることだからだ。しかし、もしリタイアされてしまうと、それはそれで寂しいことだ。一人で走るのは、面白くない。