棄権

選挙は棄権した。

かったるかったからだ。

選挙は、民主主義の基本であり、、とかそういう事を言われると、いちいちもっともな話で反論はできない。

しかし、わざわざ投票所まで行くのはとてつもなくかったるい。あれでは、棄権が多いのも無理はない。棄権しても仕方ない。

いや、もっと言えば、僕が投票に行かなかったのは、僕が悪いのではなくて、面倒な投票のシステムが悪いのだ。(もちろん、暴論なのは分かっているが、それでも思ったことは書く)


まず、投票所まで行かせるのが信じられない。電話でもいいし、インターネットだっていいだろう。郵送でもいい。自分の意志を表明する手段は、なにも一種類でなければいけないということはあるまい。銀行口座だって、電話で取り引きできる時代だ。

だいたい、現在の投票形態では、替え玉投票なんて簡単にできてしまう。身分証明の提示さえ求められない、あんないい加減極まりない投票で良いのなら、別にメールで投票したって悪くないと思う。


でも、なんでそうなる気配もないのだろう。

日本では、お役所というのは、まだまだ「御上」だからかもしれない。彼らには、市民に奉仕する義務があるわけで、我々はお客だ。お客の意見は、少々の無茶でも聞くのがサービス業というものだろう。

市民はわがままで良い。そのむちゃくちゃを、お役人は聞くべきだ。それは、「市民の良識」とか「基本的人権」とかそういうカッコイイ(そして、イライラさせられる)事ではない。
「金払ってるんだから、ちゃんとやれボケ」という、極めて単純な話だ。

クリケット。

プロ野球開幕。

もちろん、僕は何一つ興味がない。スポーツ新聞の一面に「プロ野球の開幕」の見出しが出ることと、近所のラーメン屋に「冷やし中華はじめました」の紙が貼られることは、僕の中ではほぼ同じ扱いである。
「そうか、始まったか。」

それはさておき、日本ではその存在さえ認知されていない、しかし海外では人気の、野球のように見えなくもないスポーツがある。

クリケット。

そのクリケットが、最近、僕の興味を引く。明らかに、「プロ野球」や「冷やし中華」よりも、興味深々だ。


まず、ルールがよく分からない。

試合の様子を見るに、野球のようなゲームに見える。(マラソンか、野球か、といえば野球だろう)やたら硬そうな球を、角材みたいなもので打ち、打たれた球をセーター姿のおっさんが必死に追いかける。(おばさんや、おねえさんが追いかけているのは見たことが無い)

観客は(メジャーリーグ並にスタジアム一杯に観客が入っている)熱狂し、そのうちに勝敗が決まる。しかし、なにがなんだか、全く分からない。これ が、点数で争われるスポーツなのか、あるいは、その硬そうな球に対して最も勇敢に立ち向かった者が勝利するのか、それすら分からない。


今までの人生を振り返ってみても、高校にも、大学にも、クリケット部とかクリケット同好会みたいなものは存在しなかった。この日本で、ポロ部やポロ 同好会をつくるのは、非常に大変だと思うが(個人で馬を所有している部員を何人も集めるのは、容易なことではなかろう)、クリケット部やクリケット同好会 (この際、クリケット研究会でも良い)の結成にも同じような困難があるのだろうか。

しかし、クリケットは、某先進資本主義国(並びに、その植民地と元植民地)ではかなり注目度の高いスポーツのようであり、Japan Times などには、ちゃんとクリケットの記事や、昨日の試合の結果が載る。ナショナルチームの試合などがあるところから考えるに、国の威信を懸けて闘ってしまうよ うな、そういう次元のスポーツのような気もする。


うーん、クリケット。

クリケットとはなんなのか、ご存じの方はお気軽に情報をお寄せ下さい。

エスニック・クレンジング

「エスニック・クレンジング」という言葉を知っているだろうか。

直訳すると、「民族浄化」となる。要は、ある民族を皆殺しにし、根絶やしにすることだ。


根絶やし、ですぐに思い浮かぶのは、第二次世界大戦中に行われたホロコーストかもしれない。しかし、1999年4月現在、ボスニア・ヘルツェゴビナではそういうことがリアルタイムで行われている。

日本人の(この括りは誤りではあるが、他に表現もないので)好きなやり口に、過去の惨禍を心に焼き付けて、同じ過ちを繰り返さないようにしよう、というのがある。僕は、これほどアホらしいことはないと思う。惨禍を焼き付けようが焼き付けまいが、同じ過ちは繰り返される。

日本人の中で、ホロコーストを知らない人はいまい。その単語は知らなくても、(僕は読んだことないが)アンネの日記ぐらいは知っているだろう。でも、知っているだけだ。何の役にもたたない。

惨禍を焼き付けても、そこで思考を停止するのであれば、無駄だ。


EUはコソボ自治州からの難民 10万人を、アメリカ合衆国は 2万人の受け入れを決めた。彼らは、確かに爆撃機で人を焼き殺しているかも知れないが、少しは歴史から学び、その対策を考えている。

日本国は、一人の難民も受け入れないだろう。この国は、もう長いこと思考を停止している。