北京のビッグマック

Photo: "北京のビッグマック"

Photo: “北京のビッグマック” 2009. China, Ricoh GR DIGITAL, GR LENS F2.4/28.

旅の始まりはマックと決まっているので、荷物を置いたら早速マックに行ってみる。実際、腹が減っていた。新宿歌舞伎町の深夜のマックのように、北京の深夜のマックにもどことなく荒れた雰囲気が漂っていた。お客の殆どは、始発待ちの若者のように見える。机に突っ伏したままの男や、クラブ帰りの(そんなものがあるのかは知らないが)グループや、カタギっぽくないオッサンとケバイ女子、入り乱れた客層。


バイトのスタッフは、不機嫌を顔に貼り付けたように無愛想なオバチャン(ヨネスケに似ている)と、熱心に掃除らや片付けやらをしているおっチャン。 奥で、やる気無くハンバーガーを組み立てる社員風の店員が一人。社員とバイトは多分制服が違うのであって、見ているといくら忙しくても社員はバイトの分担と思われる仕事には決して手出しをしない。資本主義の権化のようなマックでも、北京では官僚主義のルールが支配しているのだろうか。若い、顔立ちの整った店長が不機嫌な顔でレジを締めている。


行列の存在しないカウンターで、割り込んだり割り込まれたりしながら、ビッグマックとプライドポテト、そしてコーラを頼む。というか、それしか頼めなかった。英語は潔く通じない。飲み物は訊かれなかったが、どうやらコーラ一択というシステムのようだ。潔い。ショップの中には、ずっと公安警察(日本の警視庁)の人間が居る。別に何を取り締まっているわけでも無さそうだが、飲食物に金を払っているようにも見えないし、ただ休憩をしているだけにも見えない。カトラリーボックスの中をいじったり、店員と談笑したり、時折携帯で電話を受けたりしている。まっとうな勤務をしているとは、やはりとても思えない。あるいは、彼らが居ることに、24時間営業できる理由、のようなものがあるのかもしれない。

フライドポテトは、食べていて嫌な予感がしたので、途中で食べるのをやめた。が、やはり時既に遅く、酸化した油のお陰で手が痒くなってくる。ビッグマック自体は、なんというかちょっとパサパサで薄味な気がしたけれど(元からそんなもの、という気もする)、景気よく入ったレタスのおかげで、あの写真に 結構近い仕上がりになっていた。もう眠い。3元のミネラルウォーターをヨネスケから買い、帰途につく。


栓が出来ない湯船に、風呂をあきらめて、眠る。贅沢なクラスのホテルではないけれど、ベッドは広いし、特に不満のある部屋ではない。水が無いのが、ちょっと困る。40元で2リットルのエビアンがおいてある、円換算で500円ぐらいすると、やっぱりちょっと高く感じてしまう。 明日、商店が開いている時間に、水をしこたま買っておこうと思う。暖房を消して寝ると、凍死しそうな気がしたので、マスクをして暖房は入れたまま寝ることにする。前回、あまりの大気汚染に鼻血を出した苦い経験から、マスクは山ほど持ってきたのだった。

夜の北京は、予想外に静かだった。クラクションの音も聞こえない。空港からここに至るまでの間に、もう僕の中の日本の空気は薄くなり、北京の空気に入れ替わる。明日目覚めれば、違和感もだいぶ薄れるに違いない。

地下鉄はメイヨー

Photo: "ディスプレイ"

Photo: “ディスプレイ” 2009. China, Ricoh GR DIGITAL, GR LENS F2.4/28.

入国審査の係官は、怪訝そうに僕のパスポートを眺め「日本人?」と訊いたきり、沈黙してしまった。懐から、小さなルーペを取り出すと、パスポートの 写真に張り替えた跡がないか、執拗に探し始めた。運転免許証まで出させられ、それでも納得がいかないのか、じっとパスポートを見ている。隣のブースの係官が、面白そうにそれを眺めている。

入国に関してやましいところは無いが、夜も遅いガランとした空港で、僕はじっと立たされている。下手に口を開くのは、一番賢明ではないやり方だとも分かっていて、さしあたり僕にできることは入国ブースの観察、だった。僕が中国に入国するには、それからたっぷり 5分はかかった。

オリンピックを経て、北京首都国際空港は、大きな変貌を遂げていた。だだっ広いだけだった空港には、いろいろな設備や、しゃれた天井が設置され、なんとも言えないおおざっぱな張りぼて感はあるものの、ゴミ一つ落ちていない清潔で近代的で、そうして社会主義な空港になっていた。


手荷物を受け取って、薄暗い空港正面を出ると、いきなり喧噪とゴミと人の混ざり合う混沌とした車寄せ、、のはずが清潔な地下鉄乗り場に変わっていたりする。おなじ空港とは思えない。中国は変わったのだろうか、そんな疑念?が湧いてくる。

それでも、インフォーメーションカウンターでは「詰め寄った者勝ち方式」で、案内が行われており、列に大人しく並ぶマナーよりも、厚かましさと声の大きさが必要なようだった。オリンピックを経ても、行列するというシステムはこの国には馴染まなかった。後に、僕は色々な局面で、行列文化の定着失敗を思い知らされる。

自動改札を抜けて、プラズマディスプレイのインフォメーションボードが至る所に取り付けられたホームで電車を待つ。ボードを見ていると、勝手にチャンネルが変わったり、緑色のブランク表示になったり、そして、突然表示が落ちて真っ暗になったり。そう、やっぱりここは中国なのだ。体裁は整っても、基本的に大雑把なのだ。やってきた自動運転の地下鉄車両のヘッドライトは、やっぱり片側が切れていた。


前回僕が中国に来た時、一番最初に覚えた中国語は(そして唯一の中国語は)、メイヨーだった。漢字で書くと、没有(Not available)。そして、そのメイヨーの響きを僕はすっかり忘れていたのだけれど、空港からライナーの地下鉄に乗り、市街の地下鉄に乗り換えようと した瞬間に、再びメイヨーの洗礼を浴びた。

「もう電車はメイヨーだ。」

改札が閉じられているだけでは飽きたらず、何人もの駅員が改札をブロックしている。乗り換え先の改札に、Mr. & Miss メイヨーが陣取って、意地でも通さない構え。そうしないと、無理に乗ろうとする人が居るのだろうか。多分、居るのだろう。


あらゆる行き先の券売機がメイヨーになっているところを見ると、どうやら、地下鉄は終電の接続なんてちっとも考えないで運行されているのだった。そうなった瞬間に、地上に到るまでの階段にはエレベータもエスカレータもメイヨーであって、スーツケースを抱えて地上に出ると、タクシー乗り場もメイヨーであった。あらゆるメイヨーが、僕に一気に襲いかかってきた。ホテルの方角もメイヨーで、ここはいったいどこなんだ。

そこには、北京オリンピックですっかり近代化されて、どこの中国かさっぱり分からなくなった景色ではなくて、見慣れた、冷たく埃っぽいアスファルトと、石と、コンクリートと、なんだかよく分からない物質でできたいつもの薄暗い街路が広がっていたのだった。

たこ焼き

Photo: たこ焼き 2009. Chiba, Ricoh GR DIGITAL, GR LENS F2.4/28.

Photo: "たこ焼き" 2009. Chiba, Ricoh GR DIGITAL, GR LENS F2.4/28.

成田空港、夕刻。

「あれ、たこ焼き屋になってる。」

僕が、よく暇つぶしにつかっていた喫茶店みたいな店は、たこ焼き屋に変わっていた。そういえば、しばらく海外に行っていなかった。


久しぶりにパスポートを引っ張り出し、荷物置きと化したスーツケースを開く。TSA ロックに当然のように対応していないダイアル錠の解錠番号は、とっくに忘れてしまった。まあ、使わないし、いいか。最初、飛行機は MU という聞き慣れないコードの航空会社を提示された。モンゴリアン航空?そう言えば、重慶でローカルの航空会社を利用した友達が、いざ乗り込もうとしたら、 機体の前方が開いて大ショックだったという話しを思い出した。

そんなツポレフの輸送機に乗ってみたい気はするが、やはり JAL に変更する。Excel の持ち物リストを、今日風に書き換え、つまり銀塩カメラ関連の装備をデジカメ前提のものに書き直して、準備をした。出発の日は、あっという間にやってきた。


やけに中国語の音が多いなぁ、と思いながら 91番ゲートに進む。考えてみれば中国行きなのだから、中国語だらけのはず。クルーと機材は JAL だが、やっぱり MU のコードシェアだ。うーん、結局モンゴリアン航空、、。(注:正しくは、中国東方航空)僕が前に中国にいたのは、もうオリンピックの前の話で、混沌とした ゲート前の行列(のようなもの)に並んでいるとその押し出しの強さみたいなもの、率直に言ってしまうと、やかましくて、厚かましい、大陸の空気、そんな感 覚が蘇ってきた。

シートから離陸前の機内をボンヤリと眺めていると、旧正月を日本で過ごした、相当に裕福と思われる中国人達が、それぞれのお土産(それはソニーの耳 掛けヘッドフォンであり、日産の RV の巨大なラジコンである)を、ラゲッジスペースに無理くり詰め込んでいる。それらは、Made in China だったりしないのだろうか。

機体が離陸したのは、18時過ぎで、もう日が完全に落ちていた。コンクリートと突風の冷気が窓越しに感じられる地上から、整備員のお辞儀に送られて出発する。日本だなぁと思う。


機体は大きく右に旋回して東京湾を回り、西に進路を取る。太平洋岸の海岸線が街の明かりでくっきりと浮かび上がる。小さな、ケーキの蝋燭のような東 京タワーに、明かりが灯る。中国の若者が沢山乗っていたので、さぞやうるさいかと思っていたが、予想に反して、静かなものだ。きっと、お育ちが大変良いの だろう。

学生時代、台湾で中国本土の軍事・経済のプレッシャーみたいなものの話題を散々聞かされたのは、もう 10年以上前になるけれど、お気楽日本の中に居てさえも、その緊張を感じるようになってきている。米国資本の会社に居ると、アメリカにとっての経済的なア ジアの主役が、中国に移ったことをはっきりと感じる。日本は、欧米の序列に並べられたときに、もう昔のような魅力を持つことができない。発展と成長が終 わってしまった国、その行き詰まった感覚というものを、日々イヤと言うほど感じさせられる。

じゃあ、そんな中国は、どう変わったのだろう。あるいは、変わらなかったのだろう。そういうことを見に、僕は飛行機に乗った。

ふと、北京は国貿(グオマオ)の薄暗い路地にあったチェーンの火鍋屋は未だあるだろうか、と考える。別に、そこに無理に行きたいわけではないのだけ れど、あそこのチャーハンは妙に美味しかったし、滞在中に 2回足を運んだのはあの店だけだった。あるいは、そんな思い出なんて、何事もなかったかのように、あんな路地は潰されてしまったかもしれないな。


そんなことを考えていると、雲の切れた眼下に、中国大陸が見えてくる。夜の漆黒に浮かぶ、沿岸部の小都市の小さな灯りは、やがて密度を増し、首都北 京へと連なる。巨大な紅の龍がのたうつように、街路灯の光の筋がうねり、北京市の中心部へと注いでいく。フラップが下りて、地表の建物が認識できるように なると、国貿周辺のひときわ高いビル群が目を引く。地表面から少し離れて、旧正月の終わりを惜しむ花火が、あちこちで上がっている。飛行機から見る花火 は、まん丸の火の玉で、どこか滑稽だ。

それにしても、広い。着陸した瞬間に、誰かの携帯の着信音が鳴り響く、そして当たり前のように会話を始める。ようこそ中国へ。駐機場の係員は、くわえタバコでカーゴを運んでいる。ようこそ、中国へ。