スナック しがらみ

Japanese Snack in Thailand.

Photo: “Japanese Snack in Thailand.” 2017. Thailand, Apple iPhone 6S.

「しがらみ」それが、店の名前。人生のしがらみは、実にここバンコクにまで、しみ出しているようだ。


ゴミゴミしたソイの奥の方、3階建てのビル。1階が日式の居酒屋「みちづれ」で2階は謎、3階がスナック「しがらみ」。スナックは、別にいい。ソイに溢れる熱気と喧噪にウンザリした我々には、普通の居酒屋で十分じゃないか。いや、普通の居酒屋がいいんじゃないか。

店は意外にも奥に広くて、鮨屋のような長いカウンターまである。座ると、ネタケースに転がる、目が充血しきった鯵のような鯉のような地魚と目が合う、この店で生ものは無理だ。


メニューには、親子丼とか、牛丼とか、ベーコンエッグ丼とか、うな丼とか、居酒屋らしからぬものも並ぶ。注文したら本当に出てくるんだろうか。恐ろしく暇そうな店員が、近くの席に座ってくる。連れの一人が旅行ガイドを手に、カタコトのタイ語を操って女性店員に話しかけるのはまあ、良いとして、店員の視線がだんだん怪しくなってきているのは気のせいか。

ちなみに、3階のスナックを見せてよ、と言うとホールに居た女の子達がゾロゾロと着いてくる。つまり、1階の居酒屋みちづれも、3階のスナックしがらみも、スタッフは全く同じであり、出てくる酒も同じであり、スナックと言いながら日本語は全く通じないし英語も無理でタイ語ができないと会話不能、というすさまじい業態であることが判明した。

※しかし、その価格の安さと静けさから、連日この店に行くことになった。業態に怪しさは無いので、女性も安心。と言うことは、あの店員の怪しい視線はより深刻な意味を持っていたのかもしれない。

ホテルのケータリングのお菓子盛り

Photo: "Flower arrangement."

Photo: “Flower arrangement.” 2016. Bangkok, Thailand, Richo GR.

やたらプレッシャーのかかる出張で、なんともやるせない気分でホテルの部屋に入ったとき、窓際に美しい南国の花が生けられていた。レースのカーテン越しに、ゆったりと河が流れるのが見える。その景色を、本当にまいったな、と思いながら眺めた。


ホテルは言ってみれば一つの国だし、一流どころになれば世界のどこに行ったって、同じサービスを受ける事ができる。枕の固さも、匂いだって同じだ。でも、値段はその国の事情を如実に反映していて、驚きの価格差。個人的には日本のビジネスホテルみたいな値段で泊まれる、台南のシャングリラはすばらしすぎると思って居る。

価格の違いは宿泊費用だけでは無くて、イベント費用なんかにも現れる。例えば、日本のホテルだと、イベントでの飲食物の提供はびっくり価格になっていて、ミネラルウォーター1本、バカウケ 1つ出すんだって凄い金額を取られるらしい。その水の値段でビックマック食えるぞ。


でも、マレーシアあたりのホテルだと、もっと鷹揚にしてくれて、お菓子だって景気がいい。お菓子というか、焼きそばとか、餃子とかが積まれていることに、最初かなりのショックを受けた。もはや夜店。ミーティングの合間に、なんで焼売とか食うんだろう。文化がよくわかない。でも、鷹揚でいい。

そして、それにしても、リッツ・カールトンだとお菓子盛りがマカロンであることに、戦慄すら感じる。マカロン好き放題食えるって、どんだけの王侯貴族?

人生の中で、あとにも先も、マカロン食い放題ってあの時だけだった。
マカロンって、トップバリュで作れないのかな?絶対売れるよ。

日常なるもの

“Sleepy dog.”

Photo: “Sleepy dog.” 2012. Bangkok, Thailand, Apple iPhone 4S.

大晦日に、風呂の掃除を終えて、ハテナブックマークのリストを眺めると、いろんなエントリーが、not found やforbidden になっている。亡くなってしまった人のエントリーが、まだ残されている。誰かが、そのスペースにお金を払っているのか、あるいは管理者の怠惰なのか。かと思えば友達の blog は削除されている。別に彼は元気だし、どこに行ったわけでもない。多分、忘れているだけなのだろう。

そんな感じの、あまりもう有効でもなくなってリストだけれど、そこにある blog なり、昔ながらのホームページなりを僕はしつこく読んでいて、そして僕もしつこくこのページを書き続けているのだ。


「今年は、正月の華やかさが無いねぇ。」

とタクシー運転手に話しかけられる。降りてくる人にも華やかさが無いと、運転手は言う。まあ、確かに僕にも華やかさは無いな。今の時代、毎日が日常で、盆暮れ正月だなんだという季節的な特別感は無くなっている。僕は、実は、それはそれでよいと思って居るから、それを嘆く運転手に話を合わせながらも、幾分申し訳ない気分になった。

最近の若い人は、あまりそういう事にお金を使わなくなっているしね、という方向に話は進む。記念日に特別なことを、というよりも、満たされた日常を積み重ねる事に重きを置く。それがポストバブルの、気分。

丁度、実家に帰る電車の中で、「モチベーション革命」という、割とうんざりくる本をほぼ読み終わっていた。(Kindle Unlimited で無ければ、決して読むことは無かっただろう)そこに書かれていたテーマは、ちょうど運転手が言っていたこととだいたい同じようなものだった。

僕の物事への見方とか、感想とかは、本の中で「最近の若い世代」と一括りにされているクラスタに近い。既存のシステムとして、こうあるべきと作られたものではなくて、新しく作り替えられていくもの、そちらに手を貸したいし、そちらで必要とされる人でありたい。成功の証にとっておきのワインを飲むよりも、サイゼリアのマグナムボトルを仲間と楽しく飲む方がよいのだ。

そんな事を考えながら、タクシーを降りた。


犬の写真なら、タイで沢山撮ったよな、と思ったけれど、噛みつかれるのが怖くてさっぱり写真が無かったよ。