コーラより、水が高い国。

road

Photo: "road" 2011. Las Vegas, NV, US, Ricoh GR DIGITAL III, GR LENS F1.9/28.

朝、カンファレンス会場に着く。アメリカのイベントの開始時間はやたら早い。アメリカだけではない、アジア・パシフィックの人間も、放っておくとカンファレンスの開始時間の設定を 8時とかにしようとする。多分、日本が遅いんだろう。それは別に、「彼らが勤勉だから」では無い。満員電車の通勤時間がほぼ無い、という前提があって初めて、成り立つものだ。


外の気温は、まだそれ程上がっていない。しかし、室内の冷房は容赦なく、フリースを羽織っても少し寒い。食べものコーナーから、温いコーラの缶をとって、少し飲む。朝からコーラ、ありえないが、それぐらいしか選択肢が無い。水とコーラが、多分同じ位の意味なんだろう。なんていうか、いろんな意味で、厳しい国なんだと思う。コーラは別に高くない、でも、水は時々コーラより高かったりする。

今朝は、会場まで歩いてみた。24時間営業しているカジノには、早朝から客が居た。徹夜明けハイテンションで、ゲームをやっている。カジノから路上に、強烈な冷房の空気が、煙草の匂いと共に吹き出している。ストリップ通りに向かう街路では、市に雇われた業者が、路上を徹底的に掃除して、昨夜の騒ぎの痕跡を、跡形も無くしていく。それが、毎日、繰り返されているのだろう。


この会場に居るのは、ある程度のエリートクラスだろうか?お金は、平均的なアメリカ人よりも沢山もらっているだろう。階層が高いかといえば、そんな事も無いのかもしれない。入れ墨をしたエンジニアが多いのに、びっくりした。

朝一のセッションはまだ始まらない。プリンシパルアーキテクトの肩書きを持った、子熊の様なおっさんが演台に立っている。昨日、僕の後ろで MacBook で熱心にノートをとっていたアジア系が、今日も反対側の列に居る。ごっついスピーカーから、ライトなメタルが曲が流れている。

突然思い知る。ここは、アメリカなんだ。

15年後にアメリカでまずいランチボックスを開ける

lunch box

Photo: "lunch box" 2011. US, Ricoh GR DIGITAL III, GR LENS F1.9/28.

人の流れについて行くと、地下の広いスペースが食堂とランチボックスの配給場所になっていた。

そのスペースは、見た事が無いくらい広い。もちろん、日本でも幕張の展示場などは広いが、普通の天井高で部屋がひたすら奥に続いている光景は日本ではちょと見ない。あえていえば、もの凄く明るい地下駐車場?そんな雰囲気。まるでテレビで見た、アメリカの航空母艦か州刑務所の食堂のようだ。


ホットミールというのも選べたが、時間が無いので、ランチボックスにする。普通のと、ベジと、イタリアン、みたいな選択肢になっている。イタリアンが大量にあまっており、嫌な予感はしたが、あえて取ってみた。

もう、15年前のように、ランチボックスの中身に面食らったりはしない。危険そうなショートパスタの容器は開けもしないし、岩のようなパニーニはちょっとづつ囓る。ポテチみたいなスナックの袋が丸ごとはいっていても、それは、そんなもんかと思えるようになった。そうだ、初めての海外出張でアメリカに行ってから、もう15年が経ったのだ。


その時と、感じる事は変わっただろうか。ITという世界に無限の未来があった15年前とは、やっぱり気分は違う。おっかない外人にしか見えなかった人々は、その中にも良い人と悪い人が居るんだな、ということぐらいは分かるようになった。空港やホテルに漂う、何とも言えない外国の臭いが怖くはなくなった。

そうして、ちょっと落ち着いて、外の国を見ている気がする。

驚くまずさ、ロコモコ

Photo: "Loco Moco."

Photo: “Loco Moco.” 2010. HI, U.S., Ricoh GR DIGITAL III, GR LENS F1.9/28.

10数年前、僕が初めてアメリカに行って驚いたのは、その飯の不味さだったわけだが、今回のハワイでも期待を裏切らない不味いものを食べることができた。

ハワイのワイキキあたりの食事のレベルというのは、相当に高くて、それはつまり日本人の喉を通らないレベルの妙な料理というのはほぼ無いことを意味する。が、ハワイ名物とされる「ロコモコ」だけは、別だった。


僕以外のメンバーは殆どアメリカで生活していた人々だったので、ハワイに着いての第一食目は何の躊躇もなくフードコートに決定された。アラモアナのショッピングモールのフードコートには5、6軒のアレげな店が入っている。僕は比較的「害の少なそうな」ものを物色し、Panda Express の定食を食べる事にした。世界中、どこに行っても、中華料理だけはある一定の水準というものを、比較的保っていると信じているからだ。

多分、6ドルぐらいで炭水化物と、おかず2品を選ぶ。まあ、おおよそ想定通りの炒飯というかピラフというか、そういうものは、腹が空いていたせいか比較的美味に思われたし、油淋鶏のような鳥も、ブロッコリーの炒め物もまあまあで、アメリカ料理も普通になったなぁと思う。そして、友人の通訳殿が、嬉しそうに持ってきたのがロコモコだった。

僕にしても、ロコモコがハワイ生まれの料理であることは知っているし、日本で明らかにイシイ(成城ではない)のハンバーグを使用したと思われるロコモコを食べたこともある。


しかし、目の前に置かれた白茶けた胸塞ぐ奇妙な一皿は何だ。飯、肉、タレ、卵。目玉焼きの黄身は、白身に比して妙に小さく、奇妙に薄い黄色をしていて、そもそも米国内で半生目玉焼きなんて食べて大丈夫なのか?という疑念がわき起こる。だいたい、野菜とか、バランスとかが、全く考えられていない。あるいは、米を野菜の一種として捉える、この国の人々の目には、ある程度のバランスのとれた食事に見えるのだろうか?

中華のプレートが、存外食べられるものだったことに気をよくしていた僕は、好奇心から一口、「ハワイのロコモコ」というものをもらってしまった。通訳殿は、普通に食べていたし、むしろその懐かしい味に「これこれ!」と美味しそうだったのだ。


一口食べてみて、僕はアメリカ人が好きな味のエッセンス、のようなものをついに掴んだような気がした。マクドナルドのあの「肉」を沢山頬張ったときに、喉の奥に広がる、牛肉由来なのか何なのかよく分からないあのしつこい感じ。そこだけが取り出されて、強調されたようなタレの風味が、おそらくはアメリカに住んだものの郷愁をかき立てる、言ってみれば彼らにとっての「鰹だし」のようなものなのではないか。

とまでは考えなかったが、あまりにも、典型的なアメリカのまずい飯を無防備に食べてしまい、正直驚いたのだった。