インド料理屋に於ける人種差別に関して

Photo: “4 sticks of sugar”

Photo: “4 sticks of sugar” Winter 2020. Tokyo, Japan, Apple iPhone XS max.

いつものインド料理屋。相変わらず、ビリヤニが最高すぎる。

食後、もうアルコールを飲まない僕のためにか、友人はマサラティーを頼んでくれた。ほどなく、熱いカップが置かれる。そして、スティックの砂糖も置かれる。インド人には砂糖が4本、日本人には砂糖が1本。

”砂糖が、4本?”

そして、躊躇無くカップに注がれる砂糖。嫁にコーラを禁じられている人がやることでは無い。


特に別注された訳では無い。インド人には4倍の砂糖が、規定値で供されるのだ。なんというアンチポリティカルコレクトネス、なんという非インクルージョン。ふと疑問に思ったのだが、日本で作られる砂糖スティックは、つまり日本人用の量で作られているという事なのだろうか。

という事は、インド産の砂糖スティックなら、1つで済むのだろうか。そして、そんなジャリジャリの紅茶は美味しいのだろうか。

ん?砂糖の追加?あ、僕は要らないです。

「風の歌を聴け」を再読する

Photo: "A lighthouse"

Photo: “A lighthouse” 2000. Shimanto, Japan, Nikon F100, AF Nikkor 35-105mm F3.5-4.5D, Fuji-Film

村上春樹のデビュー作、「風の歌を聴け」
を、久しぶりに読む。Kindleで、初めて読む。
(前にセールだった時に買っておいたのだ)


驚いたことに、僕は内容をまったく覚えていなかったし、特に後日談は綺麗サッパリ忘れていた。ただ、かつての自分とは、また、全く異なる感じ方をしていることは確かに分かった。

どこが面白いのか、よくわからない凄さ。そしてまた、書き手が若いな、と思ったこともショックだった。文章も年を取るのだ。


自分が思っていたよりも、文章は緻密じゃ無いし、内容もみっしりしていない。全部は書ききれていないが、書かれていない部分の飛躍がやはり凄い。さっぱり分からなくても、これを初めて読んだ時の自分は、やはりその面白さとか凄さを受け取っていたのだろう。

今の自分が感じる事に立脚しろ、と言っていた先生はもう亡くなってしまった。それは今の流行の言葉で言えば、マインドフルネスなのかもしれない。


そういえば、なんとも意識が高くて胡散臭いマインドフルネスだけれど、いろいろ自分にはしっくりくる部分を感じている。今のことだけを見ろ、というのはディー・レディー「あたしの一生」にとっくに書いてあった事なのであって、別に僕にとって目新しいことでは無い。

けれど西欧の知識としての体系化、汎用化、みたいなものの力を見る思いがするし、瞑想アプリはいま一番気に入って使っているものでもあるのだ。

バターを食う

Photo:"Munich"

Photo:”Munich” 1995. Germany, CONTAX T2 Carl Zeiss T* Sonnar 2.8/38

ちょっとしたパーティーで、食うともなしに、パンに添えられたバターを食っていると、

「バター食うの美味いですよね」

と、向かいの席から声をかけられた。


バターについて、そういう視点で言われるのは、初めてだった。彼女の旦那はドイツ人、そういえば、ドイツに旅行したときにマッシュポテトのバターの量に驚いた。レストランで鮭の付け合わせに出された、黄色味を帯びた馬鈴薯のペーストは、バターの油分で信じられないほど柔らかかった。実際、バターを食うのは美味いし、ドイツ文化はバターの味わいというものをきっとよく理解しているのだろう。


彼女のバックグラウンドはITではなくて、だいたい音楽業界だ。もとは、クラブミュージックにはまって、それからGracenoteとか、その手の業界に居たらしい。時期的には、僕がCodecの違う沢山の「圧縮音楽」プレイヤーをじゃらじゃら持ってきているエンジニア(元音楽評論家)に、会社の休憩所で唖然としていた頃の事だろう。mp3が一気に普及して、様々なプレーヤーとメディアが一気に市場に出たのは、1998年頃だろうか。それから20年でCodecも、すっかり淘汰が進んでしまった。今の僕は、YouTubeのCodecが何かも知らない。(H264かな?)

そんな事があってから、やや自信を持って、バターを食えるようになった。コロナ収まったら、ドレスデンの軍事博物館を訪れてみたい。実家に、招待されているのだ。