志賀直哉を読んでいる

最近、志賀直哉を読んでいる。

普通、日本の学校に行っていると、中学か高校あたりの国語の授業で「城の崎にて」という短編小説を読むと思うが、志賀直哉はその作者だ。本の内容と その感想は、そのうち(近くはない将来という意味だと思ってください)[小説鑑賞]の方に書くと思うので、志賀の小説全般を通して感じたことを少しだけ書 いてみる。

志賀直哉の文章ってどんなの?と考えると、難しい。あえて言うと、これこれではない、ということが多い。つまり、ドラマティックではないし、文学の 薫り高いわけでもない、冷めているわけでもない、退廃的ではない、情熱的でもない。むしろ、いろんな印象を取り去っていくと、志賀の文章が見えてくる。

志賀直哉の作品は、私小説と呼ばれるものだそうだ。それって、あえて言うなら、Web日記みたいな感じ?そうなのだ。物凄く大胆に言ってしまえば、 Web無き時代のWeb日記。読まれることを前提にした、私的な文章。そんな、志賀直哉の小説を読んでいて僕が感じたのは、ある種の安堵だった。

僕自身、4年以上にわたってこの[今日の一言]を書きつづけてきて、自分の書きたいものとか、書きたい文体とかがほんの少し分かってきた気がする。 それは、今ある普通の小説のような物よりも、むしろ志賀が書いていたような、これこれではない、という感じのものだ。志賀の文章を追いながら、僕は何度も こう思った。

これが文学?これでいいの?そうか、こういうのを書いて良いのか!自分でも、こういうのを書いていいのか!

もちろん、志賀みたいな文章はいくらでも書けるとか、そういうことが言いたいのではない。ただ、自分の心を、こんな感じで文章にすることが、たぶん間違ってはいないのだ、ということに気がついた。それが、僕の感じた安堵の理由だった。

Frankie & Johnny

本日の、今日の一言には、ゲイリー・マーシャル監督「Frankie & Johnny」のラストシーンに関する記述が含まれています。まだご覧になったことが無い方は、ご注意ください。

寝る間際、久しぶりに映画を観た。ゲイリー・マーシャル監督の、「Frankie & Johnny」。

出演はアル・パチーノ、ミシェル・ファイファー。キャストは豪華だが、筋は恋愛恐怖症のウイトレスと、バツイチのコックの恋模様という、えらく地味な映画。夜も遅かったが、画がキレイだったのと、共演の二人の会話の妙で、つい最後まで見てしまった。

ラスト・シーン。雑然とした部屋に黄金色の朝日が差し、街は動き出そうとしている。二人は、アパートの出窓に腰を下ろして、歯を磨いている。ついさっき、二人は別れようとしていた。一瞬のすれ違いが、あるいは永遠に互いを隔ててしまったかもしれない。その時女は、自分の運命を、自分だけで背負うこ とに、決めかけた。でも、そうはしなかった。もう一度、自分以外の誰かと、生きることを選んだ。そんな出来事を越えて、二人は少しだけ新しい場所に立っている。新しい場所、向かい合って座る。朝日の街を見つめて、歯を磨いている。

たぶん僕は、出窓に腰を下ろして、恋人と歯を磨いたことはないと思う。でも、そういう朝もあったんじゃないか?そんな気が、ふとしてしまう。こんな 空気が流れるときが、確かにある。やがて、記憶は薄れ、失われてしまうのかもしれないけれど。ラスト・シーンを、そんなことを思いながら、観た。

監督のゲイリー・マーシャルは、プリティー・ウーマンで名を馳せた監督。ただ、僕は、こういうスケールの小さい映画の方が、むしろ好きだったりする。

邦題:「恋のためらい フランキーとジョニー」あまりにも、あまりな、邦題。これじゃ、誰も見ないよ。

縄文気象庁

映画の世界では、過去の作品をモチーフにして、新たな作品をつくる、というケースがある。「七人の侍」を西部劇に置き換えた「荒野の七人」はあまりにも有名だ。モチーフにする、というのは好意的過ぎるかもしれない。骨組みをパクッて新しくつくる、ということだ。

ある種の「型」が決まってしまえば、そのバリエーションを増やすことは比較的簡単だ。「7人のアウトローが、村人を守る」という「型」を利用したのが、前述の「荒野の七人」である。

このやり方は、簡単に応用可能だ。例えば、「戦国自衛隊」。これは、自衛隊が戦国自体にタイムスリップする、というめちゃくちゃな設定の映画だが、 「公官庁の組織が、過去にタイムスリップする」という「型」をそのまま利用して、ほぼ無限にバリエーションを考えることができる。

さあ、どんどん考えてみよう。
「元禄警察予備隊」
似たようなテーマを、少しずつずらして取り入れている手堅い作品。しかし、警察予備隊という、きわめて中途半端な組織を題材としたため、どうあがいても感情移入できない。
「平安宮内庁」
これは、とても違和感のない組み合わせ。あまりドラマ性はないので、豪華なセットやキャストで勝負するしかあるまい。興行的には厳しいだろう。
「開国海上保安庁」
テーマは海。領海を侵犯するペリーと戦ったりする。ただし、江戸末期の時代設定に、海上保安庁をプロットとして組み込んでいくのは、かなり困難。
「縄文気象庁」
、、まず無理。

注:作者は「戦国自衛隊」を観たことはない。